working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

テレビゲームと親父と私(3)

 

f:id:working-report2:20191130045227j:plain

何度目だ、スター+

スターかいわいの再降格と再昇格を繰り返すみんゴルファー兼会社員は、前回更新以来パートナーとセックス日時の間隔でもめたり、会社主催の公式行事を有志と言い切る上司ともめたり、左親指が腱鞘炎で痛かったり、あと相変わらず左膝の半月板が損傷していたり、散々な生涯を送っている途中でした。こんな「TARI TARI」はいやだ。

 

段位維持の条件が経験上なんとなく見えてきて、どうやら難易度高めのコース(カナロアビーチ以上)を、カスタムクラブでもいいんですが、大して性能の良くない既製クラブ(ビッグエアーとかピンホールとか)でラウンドして、そこそこ(のラインが見えないので困るんだが)のスコアで定期的に申請を続けると維持できるようです。毎日イーグルシティとかアルピナフォレストとかやってると「簡単すぎるとこで380yかっ飛ばすカスクラなんぞ使ってるからお前は段位にふさわしくない」認定されちゃうんでしょうね。あれだ、簡単な仕事しかやってないくせに目標設定さえ通ればS判定みたいなおおっと口が滑った。

 

続きのラフ原稿はあるにはあるのですが、これを読める形に再編集するのが面倒くさくてほったらかしてました。で、さっきからMac開いてシコシコカタカタやってるんですけれど会社支給のThinkPadのキータッチに敵うものはないなと思ってます。Macはキーの押し込みが浅い。今月1回も更新してないのでピッチ上げます。

 

突然、ゲームボーイを買ってもらえたのです。

 

1990年、gentlyは小学5年生。あそこの毛はすでにボーボーでした。ラブレターなんかもらっちゃったりして、好きな人もできちゃってたりしましたがデキてはいませんでした(何言ってるかわからない人は無視してください。本編に影響ありません)。この時の担任の先生がきびしくて、毎日漫然と生きてるだけでめちゃくちゃ怒られました。なんで怒られたか明確な理由があったのに忘れました。たぶん精神の歪みが外の世界に漏れ出して様々な悪夢による災いが顕在化していたせいでしょう。

 

何はともあれゲームボーイです。これまでの携帯ゲーム機とは一線を画す、ソフトウェアの入れ替えが可能な夢の携帯マシン。当時の子供たちはモノクロの液晶画面の向こうにどこぞの外国人少年が荒野で楽しそうに遊んでる様子や、通信ケーブルという名のハイテクな代物や、桂小枝南京玉すだれなど、CMのクリエイティブな世界観を見ていました。技術はまだまだでしたが、現代のスマホゲーとは別種の「楽しい」と思わせる何かがありました。ところで案外ソフトのCMって覚えてないもんだな。カービィは変な歌流れてた気がするけど。

 

大して欲しがった記憶もないのに、私と妹に1台ずつ買い与えられたのです。さすがの両親も小5になっていまだにゴム人形やカードをいじくりながら遊ぶ我が子が心配になってきたのでしょう。同時に買い与えられたソフトは「スーパーマリオランド」「アレイウェイ」「役満」「ベースボール」。マシンはあってもソフトは1本ずつしかないので対戦は出来ませんが1人で遊ぶには十分です。そして私がマリオをやっている間、妹には「アレイウェイ」を押し付けるというお決まりの展開で妹を泣かせてはおかんに叱られるパターンを繰り返すのでした。

 

ところで「アレイウェイ」ってなんぞ?ですよね。

 

f:id:working-report2:20191130054025j:plain

あの棒、宇宙船だったんか

最近は「ブロックくずし」などとセンスのかけらもない呼び名が定着してしまった感のあるゲームの名前が「アレイウェイ」でした。「ブロックくずし」の方がわかりやすいな。なんというかさ、パッケージって今でもいろいろ描かれてるけどさ、ゲーム本編以上の想像力をかき立てるものが描かれてたのってずいぶん昔のことになっちゃったのね。今はゲームが軽々とイラストを乗り越えてそれ以上の世界を見せてくれるけれど、それって本当に良かったのかな、想像する楽しみを逆に奪ってるんじゃないかな、と考えないこともないです。

 

gentlyの筆力ではゲーム文化の最先端たる現代を生きるお子たちにゲームボーイのすごさを伝え切れません。単三電池4本で稼働し、恐ろしく電力の持ちが悪く、自宅の備蓄乾電池を使い果たしてまた親父に吊るし上げられる話とかもういいでしょう。とにかく衝撃でした。

 

テレビを占拠しなくてもゲームができる。究極、お布団の中でもやろうと思えばできる(筐体上部にはめ込むようにして使う照明付きルーペも買ってもらいました。アドオンゆうやつですね。いやちゃうか)。たとえ画面端から徐々に走査線が消えようとも「役満」の手牌は想像で補いましたし、「信長の野望」でプレイ武将を選択するときも「しいですか? YES/NO」しか見えなくて「おそろしいですか?」と訊かれてるんだと思ってNOばかり選択してたら一向にゲームが進まない事態もありましたが(正解は「よろしいですか?」)、ゲームに飢えていた私の心をすっかり虜にし、その代価として私の視力を極限まですり減らしたのです。

 

ゲームボーイを与えられてからの1年でメガネを交換すること2回。近眼がどこまで進行するのか私も知りませんが、いわゆる弱視秒読みというところまで追い詰められてほっといたら失明か?というところで、もうお分かりですね。想像以上に悪い方向へ進んでいると考えたおかんは私からゲームボーイを取り上げました。「妹のを触ったら命がないと思え」とも言われたと思います。多分そこまでは言ってないでしょうけど、それくらいインパクトのある事件でした。

 

まただ。またゲームのない世界に逆戻りだよ。この間に妹は雑誌の懸賞で「爆裂戦士ウォーリア」を当ててケラケラ笑いながらプレイしてました。腹立ったので何回かどつき回しました。そしておかんから過分の報復を与えられました。このあと、ゲームボーイを取り戻したり奪われたりの繰り返しを向こう4年ほど繰り返すのですが、その最終ターンだけ後述します。

 

そして視力が生まれたての子鹿以下になった私はおかん権力発動により眼科医ではなくどう見ても一般のおうちに連れて行かれ、空気圧でふくらむ樹脂製の風船で顔面やら両足やら腕やらをくるまれ、圧の出し入れで体に刺激を与えるという新興宗教ばりの治験者としてインフォームドコンセントもへったくれもないまま日々治療行為が施され、結果一時的に視力が上がっただけでも奇跡でしたがやめた途端急激に悪化するという、ある意味このゲーム記事より特筆すべき体験をしていたのでした。

 

買ってもらえたソフトよりも友人から借りてくるソフトに名作が多かったと思います。私のセンスがなかったんだな。特に記憶に刻み込まれたのは「聖剣伝説」。あれは本当によくできてた。最近の「聖剣伝説」シリーズを知らんのでうまく表現できないけど、「イース」のフィールド戦闘にRPGの成長要素が取り入れられたのはあれが初めてじゃなかろうか。その前の「ゼルダの伝説」がどんなだったかよく知らんけど、リンクにはレベルアップの概念はなかったはず。

 

いっぱい名作があったんです。「レッドアリーマー」「魔界塔士Sa•Ga」「ボンバーボーイ」「ネコジャラ物語」「モンスターメーカー」。だいたい一人で遊ぶやつだねとか言うな。通信ケーブルを持っている子供は私の田舎ではごく少数派で、対戦する機会なんて考えもしませんでしたし、実際対戦できたのは「テトリス」ぐらいだったでしょうか。筐体が2台必要で、ソフトも2本いるんです。シェア思想が広く普及していた当時の小学生社会において、ソフトがダブることは一種の不文律で禁じられていた空気がありました。

 

この中でも特に「モンスターメーカー」はやばかった。ダンジョンや森は裏返しのカードで埋め尽くされてて、これを1枚ずつめくりながら進んでいく(要するに初見では俯瞰視点からダンジョンの構成が把握できない)スリルがたまらなく良かった。あと、主人公の女子キャラクターがことごとく薄着なのも良かった。特にディアーネちゃん。髪型といい色味といい、いいにおいしそうな娘だった。公式画像落ちてなさそうだから各自検分するように。レイヤーいるとか胸熱すぎんだろおいこれ。

 

ただね、名作の呼び声高いソフトとは一線を画したところにgentlyの好きが埋もれてましてね、それが「カーブノア」です。ゲーム目的はいたって単純で、地下ダンジョンに潜入して、レベルに応じた金貨もしくはモンスターを所定枚数拾うか倒すかして後はひたすら脱出に向けて努力するゲームでした。主人公が一歩動けばモンスターもそれに応じて動く将棋のような感覚が肌に合ったのかもしれません。そして何より、脱出時の音楽がそそりまくるんです。目標達成後はさっさとダンジョンから出るために出口を探すのですが、体力もアイテムも尽きかけてる状況でモンスターに遭遇するかもしれない恐怖感と、早く!早く!と無駄に焦燥感を煽る感じがたまらなく、いい。動画サイト調べたら出てくるのでこれも各自検分するように。

 

子供に買い与えたゲームとはいえ、これだけ子供が夢中になるものですから大人だって多少は気になるだろうと当時の私はなんとなく思ってて、親父やおかんにそれとなく「やらないか?」と持ちかけてみたのですが(以前のようにエキシビジョンしておくと捨てられるのはわかっていたので口頭の勧誘にとどめたのですが)、両者の回答は常に一致していました。

 

「そんなちっさいのみえへん」

 

相手するのが面倒臭かったんじゃないかと思う傍ら、考えてみれば当時の両親の年齢にまだgentlyが追いついていないので年相応の感覚がわからないだけかも知れません。でも、親戚のおじさんには「役満」の牌がちゃんと見えましたから、やっぱり面倒臭かったんだろう。緑内障、近眼、加えて老眼を患いつつある現在のgentlyに比べれば全然マシだったはず。それでもMacテキストエディタのありえへんくらいちっさい字がちゃんと見えるんだから、見えへんはずがない。

 

私は単純にゲームがしたかったのではなく、ただ両親と遊びたかったのか?おかんは遊びに全く無関心でしたが、逆に親父は前回も書いたようにテーブル系の相手になってくれましたから、それだけで良かったのかもしれません。そんな親父との顛末のピークが次回やってきます。

 

とりあえず今夜はここまで。

 

f:id:working-report2:20191130050146j:plain

またあしたー