working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

テレビゲームと親父と私(4)

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私の居場所はここなのか

自称響ちゃんにチャイナ服着せてみたら意外と似合ってたので調子こいてインペリアルガーデンOUT9ホールをカスタムクラブで回ったら大したスコア出なくてまた降段してるんだよこの会社員の成れの果ては。

 

昨日はパートナーと久しぶりの食事で仲直りできるかと思いきや上海蟹食いながら男女の間柄はもうやめましょうと切り出され、2人して行きつけのバーで2時過ぎまで飲んで結局うちでイチャコラして風呂にも入らず昼前に帰って行きました。「今夜は一緒に寝てあげるけど何もしないって誓って」と言われ、「お前のテクニックでは満足できないから死ねよ豚」と大差ないニュアンスで心に響きました。あるいは相当私のプレイが変態的なのか。

 

前回はゲームボーイに夢中になって天下を制した気分のまま目をすりつぶした度し難い子供の話でした。取り上げられたのが何度目だったか、家中隅々まで探しても見つけることができなくて、gentlyは再びゲーム的冬の時代を迎えていました。MDMAをキメたセックスに常習性があるように、高級なひとり遊びを覚えてしまった子供はもはや黒歴史とさえ言える「天下一武道会」の世界に戻ることはできません。かといって読書するでも勉強するでもなく、長らくしまってあったネクロスの要塞のゴム人形と再び戯れる日々が始まったのです。

 

気がついたら身長と陰毛伸び盛りの有毛で不毛な小学6年生になってましたが、好奇心はいつしか性欲と混ざり合って、Tシャツの首もとが大きく開いて、ブラも何もつけていないなだらかな丘に立つピンク色のオブジェが見えた同級生が何も気づかず笑顔を向けてくるので半分ニヤケ顔だったかもしれなかったり、あるいは短パンとトランクスの隙間から顔を出しているチンアナゴに気づかない同級生がこれまた何も気づかず自分の話が大ウケしてるんだと勘違いしている状況を鼻で笑ったり、脳内はエネルギーを浪費しては大量生産するマッチポンプの様相を呈していました。

 

そんなある日、おかんがいつになく神妙な面持ちで私を居間に呼びつけました。またなんらかの悪事が露見したのか。「あんたの下着は時々異常に汚れてて家族のと一緒に洗われへんし出て行ってくれるか」みたいなこと言われたらどうしようとか思いながら座ると開口一番、

 

「もう中学やろ?いつまであんなんで遊んでんの?はよ捨て、自分で捨て」

 

チベットを弾圧する中共政府みたいなこと言い出しよった。自ら手を汚すことを厭い、少数民族同士を争わせて反抗勢力を削ぐ手法はまさに習近平。当時は誰だっけ、毛沢東か鄧小平か江沢民大木凡人か。

 

「捨てるんやったらアレの話も考えたるわ」

 

さらにたたみかけるおかんの言う「アレ」とはゲームボーイのことではありません。なぜならおかんはこれ以前に

 

「あれか、捨てたった」

 

いやもう色々ひどいんですけど捨てたと言うなら仕方ないよね。アレはコレです。

 

 

 

小学校入学以来、のどから手が出るほど欲しい欲しいと言い続けたせいで心と体に傷を負い、それでも手に入れることが叶わなかったファミコンの進化版、スーパーファミコン。その購入を考えてやってもいいと。私のメンタリティをギリギリで支え続けたネクロスを捨てて、スーファミに乗り換えたいのとちゃいますか?え?どうなんや?この時期前後に親父と土建屋を切り盛りし始めていたおかんは元都銀の窓口行員でしたが、間違いなく政治家やな。

 

人は常に何かを選び続ける生き物です。gentlyはアホなガキでしたが決断しました。ゴーフル(神戸風月堂の薄い円形のおせんべいにクリームを挟んだ魔性の聖餐。クセになる味)の缶と餅のおまつり(福岡・直方のおせんべい。サクサクでとてもうまい。直方といえば魁皇こと浅香山親方の故郷ですね)の缶に詰め込んでいたゴム人形を1つ残らずポリ袋に投げ入れ、輪ゴムで束ねると熱でくっつくのでバラしたまま高級カバンについてくる巾着ケースに放り込んでいたカード類は1枚も見返すことなく袋ごと捨てました。不思議なほど未練がなかったのを覚えてます。

 

私は君たちのおかげでなんとか心折れずに暮らすことができた、今までありがとうと思ったかどうかは忘れましたが、なんと言うのかな、ちょっと清々しくもあったのです。周囲で集めている友達もおらず、内面世界を蝸牛の歩みで掘り下げるようなこの遊びはいつか私を取り込んで、それまでとは別の、私自身が思いもしなかった私を形作るんじゃないか。この機会に内向きな自分も一緒に捨てられたような、そんな気が少しだけしたのでしょう。

 

それからしばらくして、空手形の疑惑がつきまとうおかんの話は現実になりました。1991年の秋、ついに念願のスーファミを入手したのです。

 

あの日のことは今でもよく覚えています。何月何日だったか忘れたけど。車で10分かかる町の商店街の玩具店に行き、発注していた本体の箱を見たとき。それを包装して袋詰めしてもらう間すらまどろっこしく感じた高揚感。自宅に着いて箱を開けたときの、柔らかくも時折つんと鼻につく独特のプラスチックのにおい。そして家族の誰もテレビへの接続方法がわからず、従業員のお姉さんを呼んで接続してもらい、居間から仏間に移された32型ブラウン管の画面に赤い帽子とデニムのサロペット姿のヒゲおじさんが映ったときの感動。今思い返しても人生最良の日だったと思います。やっぱり何月何日だったか忘れたけど。

 

ま、先にネタバレしておくとこの蜜月は3年も続かなかったんですけどね?

 

そして、スーファミがうちにやってきてから在宅時の過ごし方が変わったのは私だけではなく、妹は「ちびまる子ちゃん」のすごろくっぽいゲームソフト買ってもらって遊んでましたが、一番意外だったのが親父です。親父はこのころ過度の飲酒が原因で脳卒中になり、一時は生死の境を彷徨ったものの、右上半身と左下肢不随ながらも言語や脳機能に異常のない奇跡的な状態で復活したのですが、何か心境の変化があったのでしょうか。私が「アクトレイザー」でえっさほいさ街づくりをしている間もやってきて画面をじーっと見ていたり、感動のエンディングを迎えた時も

 

「あれやな、20世紀の映画の始まりのやつみたいやな」

 

 

 

はははそっくりやなというか出だしまんまやな。コントローラに触りはしませんでしたが見ているだけで何か楽しそうでした。

 

本来ならここから当時遊んだスーファミの名作について熱く語りたいところですが時間も限られているので次の機会に回すとして、親父がゲームコンテンツに自ら歩み寄ってきたことには、私との親子関係に変化をもたらすきっかけになるかもしれないという希望がありました。

 

それ以前の親父は飲酒して帰宅した後の暴れようが無茶苦茶で、ギャンギャン怒鳴り散らしながらバカラの灰皿が飛ぶわ窓ガラスは割るわテレビ画面も割るわで、とにかく大きな音と声で人を恫喝して動けなくし、そこへめがけてタコ殴りを仕掛けるという、凄まじい以外言葉が見つからないほどでした。小学校高学年から中学にかけての私は力で親父にかなうはずもなく、おかんへの暴力があまりに過ぎる時は近所に助けを求めに行くくらいしかできず、ひどい時は一家諸共パジャマのまま外に追い出され、そのまま車中で眠るか近所(つっても車で10分以上かかる)のビジネスホテルに飛び込む日々が続きました。

 

私は心の中で、いつか天罰が下ればいいと呪う程度が関の山でした。

 

そして決まって翌朝の親父は二日酔いを理由に会社に出ず(一応社長ですから)、そんな日が長く続けば家にいる機会も増え、やがて禁じていたはずの飲酒にまた手を出して、ある日なんかは近所のバーへ車で行くので(はいおかしいですね、でもこれが日常でした)おかんが自分の車でガレージを通せんぼしたのに憤激したのか、リバースギアのままおかんの車の横腹へ突撃すること数十度、バリケードを突破して自分の車も後部がめちゃくちゃになっているのにそのまま行ってしまうこともありました。

 

もう、ただ狂っているとしか思えませんでした。

 

幼い頃は甘やかしまくりの親バカと鬼神のごとき折檻しか知らなかった親父。後から知ったことですが、地方の建設業という国や地元の議員との癒着なしには生きていけない世界の影響でこんなに滅茶苦茶になっているのは、今から見ればただただ気の毒でしかないのですが当時はそんなことを知る由もなく、ひたすら親父が悪い、酒に溺れるその弱さが悪いと思い込んでいました。

 

禁酒と飲酒の波を繰り返すのが分かってから、私は中学に上がった頃から親父をネグレクトするようになりました。なので先ほどの会話も一方的に聞いていただけで何の返事もせず流していました。それが分かっているのにゲームをきっかけになんとか関係改善を図ろうと話しかけていたのかもしれませんね。そんな親父の声を聞くことすら嫌になっていた私は、何か話題が始まりそうになったらゲームがどんな状況であれ電源を切ってその場を立ち去るくらい徹底しました。

 

1992年の春ごろ、親父は私を蹴落とした玄関土間に酔った状態で転落し、その時に判明したのが脳卒中です。体が以前のように動くことはなく、杖をつきながら歩く姿からは、往年の鬼神めいた暴力的な親父など想像もつかないくらいに弱ったように見えました。

 

そして状況が決定的に動いたのは「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」です。スーファミ導入から半年経った夏、私の誕生日プレゼントとして用意してくれていたのを先に私が見つけて遊び始めたのに(おかんにはお礼言ったような気がするけど言ってない気もする)、おかんも親父も特に何も言わず、親父は気が向いた時にスーファミのある仏間までわざわざ眺めにきたのですが、今まで見ていた画面と何が違ったのか、突然、

 

「ちょっと、貸してくれへんか?」

 

ネグレクトを決め込んでいたのにこの時ばかりは親父の言葉に本能が反応し、顔を見てしまいました。え?あなた、これ、やる気?

 

続きはまた次回。

 

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あしたはちゃんとやって来る、よね?