working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

テレビゲームと親父と私(5)

私、やっとわかったの。みんGOLも人生も両方でものすごいスランプに陥ってるって。下手さ加減にイライラしすぎてついにコントローラ1個つぶしてしまいました。なんだろうこの、思い切り床に投げつけた時にこみ上げた万感とは比較にならない、5千円少々の塊を一時の衝動でぶっ壊しただけの素朴な現実にともなう空虚感。

 

あれだな、パートナーが「もう、そういう関係性じゃないから」と言ってうちの鍵返しておきながら、生煮えな関係をこれからも続けていくようなこと言うし(別れるわけじゃないけど食べにも飲みにも行くらしい)、そのくせこの半月連絡も寄越さないわセックスできへんわゴルフは下手やわ仕事はアホみたいに忙しいわ、感情だけで生きている、そしてその感情すら乱高下して制御の利かない動物に成り下がってしまったんだろう。さっきまで頭抱えて「わたしには生きる価値がない意味もないもう死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」言いながらソファの上で膝抱えたまま横転してうずくまってた。

 

でもね、

 

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子供は笑いの天才やな

よつばと!」読んだらトゲパワワがアスパワワになったので続きを書こうと思います。よつばちゃんの治癒力はノーベル賞級。

 

スーファミでよく遊んだゲームはだいたい借り物です。なんでって、おかんに散々おねだりして買ってもらった私セレクションは致命的にセンスが欠如していたから。なので、スーファミソフトの借り物にまつわる話は番外として稿を改めます。

 

スーパーマリオワールド」「アクトレイザー」と順調に来て、さすが新時代のハードはゲームボーイと比較にならん美しさと面白さ、音楽もテッテレーの境地を抜け出していい感じじゃないかと喜び勇んで勇み足の3本目が「ボンバザル」ですよ。30年近く前なのに、いまだにあれを買ってくれたおかんに申し訳なく思うほどに極まったクソゲーだった(定価6,500円というのが最も泣ける)。

 

その頃から「価格は面白さに比例する」という奇妙な信仰が始まり(だいたい8,800円を下回らなければ大丈夫という意味不明なやつ)、4本目に意気込んで突入爆死ブッこいたのが「ポピュラス」です(定価1万円近かったはず)。なんだろうね、洋ゲーに導かれやすいお年頃だったんかな。これもひどかった。メニュー画面がことごとく英語。そこそこ分厚い解説書を読んで、とりあえず何がゲームの目的なのかは理解したけど、とにかくつまらない。画面デザインもひどい。キャラクターとか世界観とかゲームが進むと入れ替わるけど、なに、小手先でなんとかなる退屈さではなかった。ゲーム中のBGMの寒々しさは死ぬまで忘れることはないだろう。

 

洋ゲーの恐ろしさを身に染みて理解したはずなのについ最近「キングダムカム・デリバランス」でやらかしたことは後日述べます。

 

5本目は「SUPER PROFESSIONAL BASEBALL」。この前後からなんとなくリアルなプロ野球に興味を持ち始めた私は、親父の影響でなんとなく阪神を応援していましたが、時は暗黒の90年代初頭。奇跡的な大躍進を遂げた92年を除いて見るべきところのない時代になにが悲しくて阪神球団の応援などしていたのか。今その話は置いといてリアリティを追求したこの野球ゲーム、まぁ確かにチームとかユニフォームとかは日本のそれっぽかったし、選手のモーションや打席の構えも工夫が凝らされててよかったんですけど、実名ではなかったんだな。それゆえに自由なネーミングがなされてて、当時阪神でクリーンアップを担ってた岡田彰布らしき選手の名前は「かんび」でした。これ、他の選手は本名を少しもじった程度なのに、なぜ岡田は「かんび」なのか。子供にわかるわけがない。

 

6本目は「信長の野望 武将風雲録」。ゲームボーイ版を難易度MAXで散々やり込んで「この私に怖いものなど何もない」と鼻息荒く購入して最初に全国統一を果たしたのが毛利元就でした。やっぱり信長は全国版に限るね。近畿と中部だけで歴史は動かない。このゲームでスポットが当てられたのは茶道具でして、私は当時のガキが「チャキ」と発音するのが非常に耳障りで意地でも茶道具と呼んでいたのはいいとして、この茶道具が一国に勝る値打ちを持っていたという話を攻略本(上下巻あった)で読みました。滝川一益関東管領に匹敵する領地を与えられながらこれを喜ばず、茶道具を欲しがったとかいうエピソードでしたが、ひょっとして付属の解説書だったかな。

 

信長の野望」シリーズは領地と戦場が一体化して箱庭型になった前後から急速に難しくなって遊ばなくなりましたが、武将風雲録の武将たちの顔はとても個性的でした。毛利元就なんて一癖も二癖もある知将の老いた憂鬱がよく出てました。

 

そして7本目、私にネグレクトされ続けた親父が突然コントローラを要求してきた「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」です。次の8本目「ガンダムF91 フォーミュラー戦記0122」ですがこいつには思い入れが何もない(私がおねだりした記憶が一切ない)ので無視しましょう。最後となる9本目「ロマンシング サ・ガ」は高額そしてクソゲーという洋ゲーに匹敵する烙印を押してやりたいところですが今日のところは省略します。

 

飲酒に伴う暴力と、その元凶をなす仕事上のストレスによって家庭内不和が蟠る中、それにしたってゲームがきっかけで親子の会話が復活するとか「光のお父さん」みたいな展開じゃない。もっとも当時の親父は脳梗塞を発症して以来休職(というか社長なのでサボりともいう)しており、後遺症で右手がほとんど使えず、コントローラを握ることもままならなかったので、とりあえずボタンを押しやすいよう座卓に置いてあげたところ

 

「どないすんの」

 

操作方法を尋ねてきました。私の感覚ではまずコントローラを与えられたら何でもいいから触ってみるのが普通だろうと思っていたのになんでしょうね、無理やり会話を求めてくるこの感じは。とりあえずこの十字のキーで主人公、この緑の服着た子な、これが動くから、でBボタン、ちゃうちゃうそれYやしな、武器使えるから。剣振ってるやろ?長押ししたら威力倍になるしな。長押して音するまで押しとくねん離したらあかんねんほれ敵来た来た、はい攻撃!あーやられてる!B!B押すねん!それYやて!

 

「この子、左利きなんやな」

 

今それどころちゃうやろ!!

 

……ほどほどに遊んでというか、いくら言っても敵に攻撃が当たらない親父の指導を粘り強く1時間ほど続けましたがいい加減疲れてきた頃合いに親父も疲れたらしく

 

「むずかしいな、明日にするわ」

 

明日もまだやる気か。仏間から足を引きずりながら出て行く親父を見送りつつ、とはいえ久しぶりに会話してみてなんとなく楽しかったのはありましたし、まぁ明日もやるんだったらもうちょっと教え方を考えなあかんなとか、他にどんなことを思ったか。

 

ここからは今の私が思うこととして、たぶん親父はあのとき人生で初めて、テレビゲームのコントローラを触ったのです。私の初めてが7歳ぐらいで、親父の初めてが還暦一歩手前。テレビゲームがネイティブでない世代にとって、それはいかほど新鮮で刺激に満ちたものだったのでしょうね。敵に攻撃が当たらなくても、慌ても騒ぎもせず泰然と構えて死を待つリンクを見たのも初めてでしたが、私の感覚が間違っていなければ、リンクが生きようが死のうがどうなろうが、親父はなんとなく楽しかったのだろうと思うのです。

 

次の日も、また次の日も、学校帰りに宿題をほっぽり出して「ゼルダの伝説」をやってる時だけ親父が現れて、10分ほどコントローラを触って居間に戻って行くという奇妙な交流が始まりました。仏間は襖で仕切られるものの普段開けっ放しなので、なんのゲームをやっているのかは居間の親父に筒抜けだったのでしょう。そんなにやりたかったら私が戻るのを待たなくても自分でやればいいのに。ただ、いくら教えても敵に攻撃が当たらず、機械オンチの中高年にパソコンを教えるインストラクターのイライラを中学生で経験してしまった私に向かって親父が言い放ったのは

 

「どやって刀振るんか、それに書いといてくれ」

 

コントローラにそんなん書いたら同級生の笑い者になりますから絶対嫌です覚えましょう。あと刀て。武士ちゃうで。

 

そうこうしながらも私のプレイで着実にストーリーが進行し、どの辺だったか、弓を使って動く的に矢を当てる射的屋のようなところに入りました。

 

「なんや、なんやここ!」

 

さっきまで相撲を見ていたはずの親父がいつの間にか後ろにいて、昔の私のごとくファミコン見学の小学生のように興奮してデカい声をあげたのにはびっくりしましたが、あからさまにやりたそうだったのでコントローラを座卓に置いて親父がそこへ座ります。私は何度か的に当てていたのでまたやり方を教えようと思ったら店の者に話しかけて勝手に撃ち始めるではありませんか。ちょっと待て。なぜわかる。

 

「見てたしな」

 

攻撃ボタンはBと散々教えた私の苦労が実を結んだ訳でもなく、なぜか親父は射的屋の操作だけ熟達し、ある日を境に帰宅したら私より先に射的屋でシュッシュやってるという信じられない光景が展開されるようになりました。

 

体の自由を失って以前より圧倒的に覇気のなくなった親父が、わざわざ仏間に来て、テレビ棚のガラス戸を開けて、スーファミを取り出して、電源を差し込んで、ソフトを差し込んで、スイッチを入れる。そんだけ動けるんだったら働け。休職中の社長が最高の暇つぶしを見つけたようでした。生来の酒好き女好き博打好きだった親父が久々に男を取り戻した瞬間でもあったのでしょうか、その後さらにストーリーが進んで(進めているのは私です)、障害物が動いて妨害するパターンが登場したときも年齢を忘れたかのように

 

「あ!クソッタレがほんまに!」

 

育ちが露呈しすぎる悪態をつきながらキャッキャ遊んでました。賜杯の行方など、どうでもよくなったのでしょう。

 

ゲームに翻弄され続ける私の人生の中で、この時が一番嬉しかったのかもしれません。あんなにふれあいから縁遠いと思われた親父が、私と同じテレビゲームをどうやら心の底から楽しんでいて、挙げ句の果てに射的の障害物のかわし方を私に教えるところまで来た時にはもう分かったから一人でやらせてくれと言いつつ、これで多少なりとも親父の鬱屈が晴れるならしばらく遊ばせてあげてもいいかと思うようになっていました。

 

……大方の皆様の予想通り、そんな日々は長くは続かず、やがて心身回復した親父が再び職場に顔を出すようになり、相変わらずの業界と社長業のプレッシャーから来るストレスがまた親父を蝕んでゆき、私もまた堪え性のない子供でしかなかったことを後悔とともに記憶するのですが、続きはまた。そして次回完結です。

 

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上手いんだか下手なんだか