working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

出勤とテレワークの現実〜断章〜

やっはろーみなさん。在宅勤務6日目にしてアイデンティティが溶け始めているgentlyです。家でひとりで誰とも話さず仕事していると心を病みます。20年近くサラリーマンを続けてきてこういう働き方は初めてです。さすがに疲れてきました。

 

自営業とか、あるいは在宅で仕事するのが当たり前の方々はメンタリティの維持とか、全然気にしなくていい方法とかあるんでしょうか。個人の資質でクリアできる部分と慣れの部分があると思うんですが。

 

前回記事の続きを書き足しておきます。

 

ネット店舗と実店舗を兼営している友人が以前ネット記事のインタビューでこんな話をしています。

 

↓ここから抜粋
——それで10年以上やっていけるって、センスとかがないと厳しい感じするんですけれど。

 

かもしれないですね。僕、出勤時間があって、その時間内そこに行かないとあかん仕事は、ほぼ無理だろうと高校生の頃から思っていたんです。学校も遅刻ばっかりだった。会社でも、「やることやったら帰らせてくれないかな」と思っていました。

 

——時間通りに動けないのが欠点だとしたら、●●さんの強みってなんですか?

 

勤め人になれる人が耐えられないプレッシャーみたいなものに、耐えられるというのはあるかなあ。ここで生活していると、多分、普通の人では耐えられないようなストレスとかプレッシャーとかがあるんですよ。例えば誰にも雇われていないとか。僕はそれに対してなんとも思わないから平気。
↑抜粋ここまで

 

在宅勤務を始めて以来この一節が何度も気になってまして、要は単独で仕事をしていることへの耐えられないストレスとプレッシャー、彼が「誰にも雇われていない」と言っていることは、雇われていることによって所定日に勤務すれば成果はどうあれ固定賃金が保証されていることへの安心感がない、つまり自分でしっかり稼がないといけないのが最も大きく(その安心感が仕事の思考力や機動性を奪っている側面については前回記事で書きました。諸方面からのお叱りがあると思ってます)、でもそれはどんなお仕事をしていようが当たり前のことなんですよね。

 

これは落ち着かないですよ。だって大半のサラリーマンは出勤に伴う労働力=持ち時間を差し出すことによってお金をもらっているようなもので、その成果がどうであるかをほとんど問われることなくやってきたわけですから形式的に成果を問う機会もなくはないですがなんせ人材マネジメントなんて専任でも難しくって大変なのに仕事を大量に抱えた管理監督職が片手間に出来る訳がないだろう。効率がどうとか、クオリティがどうとか、評価に直結する成果が今ほど見えやすくなっている状況はかつてなく、みんな漠然とした先行き不安の中で働いていて、その不安の正体が新型コロナウィルスのおかげで明瞭になったのです。

 

これはいいことなのかどうなのか。いわゆる「日本型」の労働の欠点があぶり出されつつあることは、生産性を高める(もうほんとこの単語クソ食らえだわ)とか、最新技術の導入(使いこなす頭のない人にそんなもん渡してどうすんねん)とか以前の問題として、アナログレベルで「働く」とはどういうことなのかを再認識するきっかけにしていくべきだと思います。

 

当然やるべきことに対して「息が詰まる」だとか「こんなん無理や」とか言ってしまう前に、本当にその頭はちゃんと考えているのか。考えているなら、なぜ無理なのか。先生に当てられて立ち上がって「わかりません」と答えてすぐ座る子供にご褒美が与えられると思うのか。ここですよね。