working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

願いと呪いは紙一重

岡村隆史さんのファンでもなんでもないので、彼が何を発言したか、それがどのように問題なのかについては一切言及しませんが、こういう時に一番やってはいけないのは一次情報(岡村さんのラジオの発言)に触れずに二次情報(岡村さんの発言をもとにした記事)だけで彼のやったことが社会的制裁に値するかどうか判断すること、その情報と認識にのみ基づいて自らが不正確な三次情報の発信者となることです。

 

その結果として誤った情報が広く浅く拡散され、やがて岡村さんへの社会的制裁ではなく集団で岡村さんを暴言でぶん殴る行為を正当化する免罪符として扱われ、要するに集団リンチの口実でしかなくなるのです。不正確な情報だろうとなんだろうと、万人の平等が保障されているはずの法治国家たる日本で、誰かの生きていく手段を断ちかねない言動が曖昧に尖った倫理観のもとで許容されている。法が裁かないなら俺たちがぶっ殺してやろうみたいな空気が容認されている。これは恐ろしいことです。

 

なので私SNS大嫌い。「使い方さえ間違えなければねぇ」って言う人に問おう。

それ、包丁は食材をカットする調理器具であって、人の身体を害する道具ではないのと同じくらい間違えちゃいけないことじゃないのか。

 

世に溢れる便利な道具は往々にして二面性を持っていて、自動車は移動時間の短縮に大きく寄与した一方で多数の交通事故死を招いたり、携帯電話やスマホは情報伝達スピードを飛躍的に高めた一方で外出中の他者への配慮を必要とする場面で残念としか言いようのないモラルの欠如を招いたり(ハンディを持っている人の注意を無視したスマホのアバズレの話はこちらをどうぞ)、それらはプラス・マイナスの効果を比較考量した結果今日まで使われているわけではなく、便利さと効率を追求した結果でしかないわけです。核兵器のように人類が滅亡するレベルですら、人は文明の利器を手放そうとしないのですから。

 

だからこそ、使い方を誤ることは致命的なのであって、決して些事や他人事ではないのです。自己管理能力に絶対的な自信があって使い方を間違えたりしないなどという無根拠な自信を吹聴して回る人を私は信用しません。「人間は間違うもの」という痛烈な自覚がない人は人として未完成であるとすら思います。

 

そんな自覚もないままデジタル技術を凶器まがいの言論に変えてぶん回す奴を放し飼いにしている世界など、速やかに視野の彼方に放り捨てたいと思うのが人情でしょう。

 

新型コロナウィルスの猛威が収束しつつあるかに見える昨今の情勢、思い通りに行動できないストレスのはけ口を求める人々は標的に飢えています。人を便利に、幸せにするはずの利器で人を傷つけようとするクソみたいな奴が、一人でも多くコロナの標的になりますように。

 

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またいつか飲めますように!

かんぱーい!