working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

歴史と歴史コンテンツ

先月末の日経文化面にこんな記事がありました。聖武天皇が大仏を作ったのは一見無駄に見えるが、人民が力を合わせれば困難を乗り越えられることをを可視化したものである。

 

それを読みながら思い出していたのは何年の時だったか、小中学校の歴史の授業です。

 

1学期まるまるかけて奈良時代を脱出できないほど執拗に、大仏造立が人民に与えた苦難と、短期間に三度も遷都を繰り返した聖武天皇の無能を強調した内容でした。学級通信には「大仏に苦しめられた人たちについて」というタイトルで生徒の作文を掲載し、労役作業中の人民が高所から落下して死んだとか、銅を溶かす炉に落ちて死んだとか、労役から逃げ出そうとして殺されたとか、いたかどうかも定かでない個人の死にざまにまで思いを致す必要があるのかというレベルで「奈良時代は地獄の時代」というイメージを刷り込まれました。

 

日教組の影響がない高校と大学を経て、社会人になってからも岩波新書中公新書講談社学術文庫を読み漁って見えてきたのは、現存する資料から読み解ける範囲が限られており、1300年以上前のインタビュー映像や手記が存在しない以上、歴史とは先人によって繊細に組み上げられた推論(いわゆる研究)からさらに各人の研究によって形作られたもの、つまり歴史に触れる人の数だけ歴史があるということです。

 

車窓の景色が座る位置によって違うように、同じ資料を眺めても学者によって言うことが違うので、史実とは史資料類から明らかにされるもの、歴史とは史実を推論で補ったもの、そう思うようになりました。

 

すると曖昧になってくるのが、「歴史」と「歴史コンテンツ」の明確な線引きは可能なのか?です。推論が極大に膨れ上がってもそれは歴史といえるのか。であるならば、長谷川博己のカラフルな着物も歴史なのか。竹中直人柄本明、あるいは高橋英樹染谷将太、さらには渡辺謙中井和哉は本当に同じ人物を演じたのか。網野善彦先生と池波正太郎先生とジェームス三木先生は同じ仕事をしているのか。多目的トイレを多目的に利用した渡部建は何が悪いのか。

 

歴史と歴史コンテンツは区別できる、というより区別できないのはちょーっと恥ずかしいと思います。歴史を暗記科目にしてしまった教育機関の怠慢によって、大河ドラマ=教科書の映像化と多くの人が思い込んでしまうくらい、歴史がどういうものかきちんと教えられていないからこうなっちゃったのです。今はいない会社の先輩が「歴史の勉強になるねん」ゆうて持ってきたのが「一騎当千」のDVDだったときはごめんなさい、こういう時どんな顔していいかわからないの。

 

歴史研究とは史料批判(史料を多角的に分析検討することをこう言います。「批判」の語感から昨今取り沙汰される批判と混同されることが多いのですが、「疑う」とほぼ同義です。史料と資料の違いは説明が長くなるので各人で調べてください)を通じて、これはこれ、あれはあれと明確に言えることを整理する作業です。命に限りある研究者は次世代の研究者に研究成果を遺し、その蓄積の上に成り立っているのが歴史です。このあたり、過去は不変のはずなのに、研究者が言っている歴史とは何なのかが一般の人々には分かりにくく、そのためにコンテンツを作る仕事と混同されやすいのです。

 

確かに、過去に起きたことは不変の事実として存在します。しかし、現在進行形で歴史が作られている一方で、大昔の出来事であっても歴史は動きます。なぜ動くのか。歴史を映す鏡が資料しかないからです。

 

たとえばある高名な研究者がこう言ったからこうなんですとか、研究成果の中にどうやら偽物の資料が混ざっていましたとか、本来厳密であるべき研究蓄積の中に権威もしくは妄想で補われたコンテンツが混入していたり、あるいは(滅多にないことですが)これまで存在が確認されなかった史資料の出現によって解釈が変わり、歴史が書き換わるのです。教科書を20年前と比較すると、私たちが常識のように年代暗記で覚えていたことのいくつかが変わっています。史料批判を繰り返して再整理する、気の遠くなるような作業を続けているのが歴史研究者です。

 

歴史がこのようであるのに対して、歴史コンテンツとは歴史をもとに創作者の自由な発想で作られたお話やゲームやイラスト、と言うことができます。その自由度は創作者に委ねられていて、歴史コンテンツを見るときの私たちはどこまでが歴史で、どこからがコンテンツかほとんど意識することなく受容しています。コンテンツのクオリティが高ければ高いほど歴史とコンテンツは一体化するので、日本のポップカルチャーの追求心が歴史をわかりにくくしているとも言えます。

 

その中で気になるのは、大河ドラマは歴史に忠実だから高尚、ゲームやアニメは歴史から大きく外れているから低俗、といった議論があることです。これを言う人は高尚であることの優越感に浸りたい以外に意味がないので詳しく分析しませんが、ツッコミどころが2つあるので箇条書きにとどめます。

 

・高尚はよくて低俗はアカンのか。
 イヌはよくてネコはアカン並みに不毛。

 

・どちらが上かそんなに決めたいか。
 ラブライバーアイマス厨か。

 

ところで少し前には「篤姫」が、ごく最近では「いだてん」が「大河らしくない」という批判にさらされたことがありました。私はどちらも見ていないので両作品がどのように「らしくない」のかは知りませんが、逆に「大河らしい」という形容詞が意味するところは、歴史に忠実に見えることと、ずっしりとしたお話の重みといったところでしょうか。

 

先に、コンテンツの自由度は創作者の裁量に委ねられていると書きました。しかし、大河ドラマ自体が長い歴史を持ったため、こうあるべきものという通説が出来てしまったことで批判の余地が生まれたのでしょう。歴史コンテンツは歴史ではないのに、柔軟性を試す場としての性格を大河ドラマが失ってしまったとしたら可哀想ですね。

 

今回、なんでこんな柄にもない話をしたいと思ったか。現在放送中の「麒麟が来る」は桶狭間の戦い以降の新エピソードが放送できなくなり、翌週の「独眼竜正宗」のダイジェストを見るともなく見てました。リアルタイム放送当時の私は8歳で、唯一覚えているのは巨大な十字架を背負って橋を渡る政宗だけです。

 

その程度の私の目に強烈なインパクトで飛び込んできたのは、勝新太郎豊臣秀吉です。小田原征伐の参陣が遅れ、死に装束で現れた政宗を、床几に腰かけて睨みつける。テレビ越しに見ている私が失禁しそうなほどの凄まじい威圧感がドバドバ出てるんです。え?秀吉ってこんなに怖かったっけ?竹中直人の二面性も十分怖かったのに、大変申し訳ない言い方だけど、比ではない。鬼神の如き眼光で射すくめるような視線を投げつけた秀吉はその後笑顔に戻り、政宗を呼んで崖上から布陣を見せた後、太刀を預けて悠々と立小便をするシーンですら恐怖でした。

 

私は本物の豊臣秀吉に会ったことがないので、どの役者が歴史上の秀吉に近いのか知りません。役者の仕事は歴史上の人物を忠実に再演することではなく、その場に相応しい演技を見せることです。物心ついたころの私には薬物疑惑の記者会見で太り気味のおじさんにしか見えなかった勝新太郎が、なぜこんなにも称えられているのか腹の底から理解したのです。そしてそれが、歴史とコンテンツの違いを語るうえで最もわかりやすい例でもあったというめぐり合わせ。

 

前身のブログ記事を大幅に加筆修正した結果、ほぼ別物になりました。あー、みんGOLですか?やってますよ?

 

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++定着って難しいねぇ

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夏の三つ編み麦わらお嬢さんは絶滅種