working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

Sデレは人生のきらめきとともに

コンビニでお惣菜を買うとき「袋はいらないです」とレジのバイト店員ちゃんに伝えると、確かにレジ袋は省略されたものの、割り箸とおてふきはしっかりついてきます。割り箸は計画的に伐採された木材とはいえ外装はプラスチックです。おてふきの外装も同様です。

 

こないだ、飲み仲間の映画館長さんがスーパーで有料を承諾して袋を下さいと言ったところ、ウミガメの鼻にストローが詰まったあの写真を見せられながらプラスチックの海洋投棄が世界的な問題になっていることをくどくど説明されたそうで、「地域の自治体が適切に処理してるのにこのバ(中略)ァは俺が海に捨てに行ってるとでも言いたいんか」と半ギレながら笑い話にしてました。間違った意識の高さはいざこざの元です。

 

3連休に有休を追加したきのう、クリーニングのワイシャツ回収やら食材の買い物やらで手がふさがった状況で汗だくになりながら(昼間は死ぬほど暑いですね)、昼ご飯どこで食べようとご近所をウロウロして結局入りたいところはどこも閉まってたのでやむなくコンビニに入ってお弁当を買い、エコバッグが先の買い物でいっぱいだったので

 

じぇ「袋だけください、お箸もあっためもいらないです」
ばい「わかりましたー、それじゃあっためますね」
じぇ「いや、袋だけでいいんです」
ばい「あ、そうなんですね、お箸はどうされますか」
じぇ「いらないです」
ばい「あ……わかりました、ではこれで(スッと差し出す)」
じぇ「だから、袋はください」
ばい「あ、あ、申し訳ございません」

 

あまりの暑さでバイト店員ちゃんも意識が混濁しているのか、マニュアル化が徹底しすぎて機転がきかないのか。これだけ暑くなっているのは人類の環境破壊の成果かもしれませんが、現場レベルで環境問題を考えながら仕事してる人なんてほとんどいないんでしょう。どうも、世間に苦笑しながら生きておりますgentlyです。

 

ふわふわワクワクを過ぎてからアニメや漫画のチェック量が減りました。30代までは30分アニメを1日20本以上見ても平気だったのですが、今は10本見るのがやっとです。体力とともに感受性が衰え、何を見ても大して面白く感じられなくなっています。この現象を世の人は老化といい、私も「ははぁこれが老化かぁ」などと受け入れてしまうことでますます老いぼれのスパイラルにハマっていくのでしょう。

 

それでも、死にかけている感情が大きく動くことがあります。ありていに申し上げるとギャルです。ブログをさぼっていたこのひと月、「イジらないで、長瀞さん」と「やんちゃギャルの安城さん」を読みふけっておりました。

 

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どちらもわっるそうな顔してますね

ご覧の通り、長瀞さんは日焼けした肌色と細身のプロポーションと、まるでゴミを見るような目つきが特徴です。対照的に安城さんは王道のJKギャル、というか最近この世代の子たちを全く見かけないので本当に王道かどうかは知りませんが、大多数のおっさんがイメージするJKといえばこんな感じでしょう。着こなしがユルユルで隙だらけのナイスバディ。おっさんポイントも高そうですね。

 

彼女たちはあたかも猫が小動物を弄ぶように、自分のやることなすことを弱々しい抵抗とともに受け入れる気弱な男子を玩具にして遊び倒します。女としての魅力を最大限活用して、いかにも経験なさそうな男子をからかい、恥ずかしがったところで大いに笑い者にします。

 

いや、これ、新手のいじめですよね?

 

女子たちがひ弱な男子をいじめる構図は昔ワイドショーで見たことありますよ。往々にしてそういう子は男子にもいじめられて、どこにも味方がいない状況になっているし、すでに社会問題化していることは周知の事実です。

 

ところがですよ。

 

ぴゅあぴゅあオボコ男子を世知に長けたっぽい女子がからかうものの、彼女たちは経験豊富とかそんなことは全くなくて、ただひたすら大好きな男子とつるみたいだけで、期せずしてやって来る想定外の男前な言動にズッキュンしてしまうのです。

 

このようなジャンルを「Sデレ」と呼ぶそうです。Sとはサディスティックのことで、からかわれた男子が困る様子を眺めて楽しむ様子を指していると思われます。デレとは好きの思いがわかりやすい状態で出てくることを指すと思われます。

 

こんなシチュエーションはありえない、男性が一方的に理想的な女性を描きすぎてて気持ち悪いとか芸がないとか批判するのは簡単でしょうけど、そしてこれは乙女系の男子キャラ達について私が思ったことをそっくりそのまま述べているわけですけれども、そんなありきたりなブーイングをかまして食わず嫌いしているほうこそ、誰かの好きな何かを語る態度としてありえないし、よほど芸がないことでしょう。私がどうしても相容れないのは「刀剣乱舞」と「なむあみだ仏ッ!」だったわけですけれども。おモテにならない男女が互いに相容れない分野において理想妄想欲望がちょーっとくらい混ざってたっていいじゃないですか。一部乙女系の男子たちは断固許容しがたいですけれども。

 

Sデレコンテンツに登場する人物には、ざっと以下の特徴があります。

 

女子
・とにかくワガママ→こうと決めたら退かない
・顔もよく頭もいい→男性を引きつける魅力
・成績はかなり悪い→勉強が嫌い
・なぜその男子を選ぶ→蓼食う虫

 

男子
・だいたいメガネ→知性の象徴
・だいたいオタク→好きに正直
・チェリー1億%→無垢な少年
・へんなこだわり→芯の強さ

 

完全に男性の自己投影と相互の美化と妄想じゃねーかこの野郎!なんか高尚に語ろうとしたけどこりゃ弁解の余地ないわ!すべてはフィクション!紙製の万能願望器!問おう、あなたが私でマスター〇ーションするか?

 

このお話の展開はラブコメディとしての作品性が保証されているから成り立つものであって、実際にこのようなことが起きたらいじめとして処理される問題だと思います。男子以前に人間性を侮辱する振る舞いを行い、人格否定につながりかねないことを割と平気で言ってのけるSデレヒロインたちは、現実世界ではただのいじめっ子です。

 

それがフィクションの世界で美しいとか可愛いとか本当は彼が大好きという理屈づけの元で許容されており、女子からそのような扱いを受けることにあこがれを持ってしまった精神的終末期の男性諸君が、ある種のメンタルな痛みと快感を求めて群がっているのでしょう。本質だけを取り出すと「春琴抄」に近い。究極一歩手前の愛。そりゃだいたいの恋愛作品は本質だけ取り出したら似るでしょうけど。

 

ただ私はこういった見方以外に、自分の過去にわずかでも類似する事案があったことを思い出すがゆえに、心が揺さぶられる人たちも少なからずいるだろうと思うのです。みんなこうなる前は無垢な少年だったし、気弱だったかどうかはともかく、誰かのことを一途に思い、また思っていた相手と一致するかは別として、距離感の間尺が合わない女子から急接近されてどぎまぎした経験のひとつやふたつやみっつよっつくらい誰にもあるのです。その時踏み込めなかった自分にも、たなぼた的展開が待っていたのかもしれないと、二度と戻ってこない過去に思いを馳せるのです。

 

皆さんが聞きたくもない私の過去……親父が死んだ直後、クラスメイトが制服着用で一様にお参りに来てくれました。当時好きで好きで死にそうなくらい恋焦がれていた女の子がいましてね。普段のその子は黒縁のスクエアなメガネにツインの三つ編みという、人によってはツボにはまる、見ようによっては地雷案件と思われるいでたちをしてました。その日、彼女は来ませんでした。

 

翌日。クラスメイトの男子に伴われてうちに来てくれたときの変身ぶりに度肝を抜かれましてね。黒のカットソー(黒のラメ入り)に黒のミニスカート、黒のニーハイ、デカいメガネは消え失せて大きな黒瞳に白い炎が燃え、三つ編みはロングポニーテールに。私の好みをどこかで調べ上げて色々な意味で殺しに来たのではないかと思いました。田舎人の視線を一身に受けながら、この17歳の美しき魔女は駅からうちまでどうやって来たのか聞いたら「タクシー」。ほうきじゃないのか。

 

私の部屋(ベッドなし)で彼女と2人きりで話しながら、ニーハイとミニスカの間に見え隠れする人肌色したアヴソリュート・テラー・フィールドが気がかりで正直お話どころのテンションじゃありませんでした。親父。草葉の陰から聞いてくれ。私が恋をした地味っ娘は、正真正銘の魔女でした。すげーかわいいしなんかいいにおいするし緊張でネルシャツの下は汗だくになるしあとすげーかわいいし、このままアイアンメイデン入れられても我が人生に一片の悔いなし。

 

どれだけの時間が経過したのか、私の感覚では光の速さでしたけれども、彼女は黒革のハンドバッグから何かを取り出し

 

魔女「gentlyくん、これあげる。」

 

立ち上がり、私に渡そうとしてくれた時に少しよろけて、ふぁさっと私の胸板に、見た目以上にボリュームのある柔らかい何かとその一本一本が実は蛇の化身であってもおかしくない鱗に似た銀色の輝きを放つ黒髪が落ちてきたとき、今この魔女を抱きしめたら人生が変わると思ったのです。

 

でも。私はヘタレでした。できなかった。

だって私たちは、受験生だったから。

 

人生において最も大切なこの時期、彼女が恋愛に夢中になったら大変なことになる。親御さんに申し訳が立たない。2人が結果を出してから、ちゃんと親御さんのところへご挨拶に行こう。童貞のくせにそこまで考えたのです。いっぺん死んだらええねん。

 

じぇ「だだだだいじょおうおうおうぶ?」
魔女「……うん。」

 

いやもうこれわざとやん!彼女恥ずかしがってるやん!アッホやなぁお前んなもん考える前にぎゅーってしたれやちゅーしたれやってな!23年後の私が時空の彼方からいくら叫んでも、18歳の私はチンアナゴのような煩悩をコントロールしていたのです。愛。愛ですよナナチ。成れ果ての現在にふさわしい愛だ。1997年8月、gentlyは青春を謳歌していました。

 

ちなみに包装の中身は、長渕剛の記念すべき30枚目のシングルCD「ひまわり」でした。なるほど長渕ボイスはどんな魔具より強力だ。その後、何回この歌を聴いても彼女の真意を図りかねたことは墓場まで持っていくつもりだったが無理だった。人は生まれやがて死ぬから元気出せってことなのかな。

 

魔女とは似ても似つかない長瀞さんですが、彼女を見ているとそんな過去を思い出すのです。本当はものすごく恥ずかしがり屋のくせに、先輩の気を引くためにあれやこれや手を尽くして頑張っちゃう、イジりすぎたかな?と思ったときは「やりすぎたかな?」と汗かきながら険しい顔で反省してて、あぁそんなことしてくれる女子が私にもいたんだよ本当だよ!とベランダから叫びたくなるのです。悶えそうな過去とともに彼女たちを見ている人も、きっといるのです。たぶん。

 

読み返すとブックレビューの体をした呪いの書ですね。ありがとうございました