working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

毎朝電車で乗り合わせるあの子でも想像しながら読むといいよ

クールビズと言われ始めて15年経ちました。「社会人男性はスーツにネクタイ」という旧弊がしぶとく生き残っている気の毒な会社はまだまだありますが、官民挙げての制度化がなければサラリーマンの半分は熱中症で死んでいたことでしょう。

 

今や夏場の外出は命を危険にさらす行為です。私はそこらのおっさんに比べて歩くのが格段に速いので、クールビズだろうと全裸だろうと目的地に着いたとたん汗が噴き出してきます。軽い運動をしているようなもんですね。その汗をベルトが吸い込んで数年そのままにしておくと防具のにおいになります。けさ自分で嗅いで失神しそうになりました。そのベルトをアルコール50%配合の除菌ペーパーで拭いたら、ベルトの塗料以外の真っ黒な何かがごっそり取れてにおいもなくなりました。めでたしめでたし。gentlyの次回作にご期待ください。

 

装束文化の変遷に伴い、ホワイトカラーは自分の体が発するにおいに敏感になったと思います。特に男性は見た目が涼しげになった分、ほかにも気を使わないといけないことが増えたというか、いままで厚着を強いられてきたので多少の汗臭さは社会的に許容されていた、そういうにおいがしても仕方のないことと受け止められていた(むろん我慢を強いられていたわけですが)のに、そのままではいかなくなりました。フェイシャルペーパー(顔拭くやつ)やボディシート(体拭くやつ)がコンビニなどで好調な売り上げを示し始めたのもクールビズが言われ始めてからで、それまで仕事以外関心のなかった男性たちに新しいエチケットをもたらしたと言えるでしょう。

 

あ、先年別れた彼女さんはひと通りさかった後に私のにおいを嗅いで

 

「無味無臭やな。私はほら、柑橘みたいなにおいするんよ」
「えーうそやんうわほんまや」

 

人間の場合、信頼や愛情は性愛が絡んだ途端別の何かになり、その直後から風化が始まるのでどこまで本音を反映したやり取りかはともかく、自他がどんなにおいを発しているのかは本能や社会性の強弱にかかわらず動物にとって神経質な問題です。私がよく見ている動物写真家の番組でも知らないネコ同士は必ず互いのおしり周りのにおいを確認しますし、すっぽんぽんの閨は遮断するものがないので、ゼロ距離の嗅覚情報への反応次第でその夜の成否が決まるのでしょうし、ベロチューしてる間に相手の体臭や口臭が耐え難いのではとてもそんな気分にならんでしょう。

 

私たちの絆は真夏の氷像並みに脆かったです。そうか、だから男性は女性への愛のしるしとして高い硬い石を捧げるのか。心が結晶化するわけじゃあるまいし、お金に愛情を込めることはできても永続する保証はどこにもなくて、結局見える物でしか赤心を証明できないのが人類の限界なんだろう。ところで書きながら思い出したんだけど彼女は「無味無臭」と間違いなく言ったんだよ。だからなんだと言われたら、さぁなんでしょうね。

 

それはともかくにおいです。同性異性を問わず相手のにおいについて言及することは、相当近しい間柄にある者同士がやることです。異性間になると一気に距離を縮める(≠距離が縮まる、ここ重要)行為とすらいえると思います。ある日私がオフィスですれ違った女子社員に向かってすんすんしながら「君、とてもいいにおいがするね」なんて言った日にゃ即刻賞罰委員会です。この状況を自分なりのコミュニケーションとして片づけてきた狒々爺どもが「息苦しい」とか「冗談が通じない」とか嘆くのは筋違いもいいところで腹掻っ捌いて果てろユーモアを語る資格はありません。

 

ところが。いわゆる「セクハラ」に該当すると思われるこうした行為でも、男女の立ち位置が逆になった途端、事の性質が一変するのはなぜなんでしょうか。

 

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えたいのしれない妖気

若くてきれいな女の子に褒められる。頭をなでられる。日々の頑張りを褒められる。さらに体臭を褒められるなんて事がもし本当にあったなら、男性は天にも昇る気持ちになります。それが密室で体を密着させながら行われるようなことがもし本当にあったなら、それはもう何らかの許可が出たサインです。この誘惑を拒める男性はまずいません。そしておっさんにこんな形で言い寄って来る女子高生もまずいません。

 

自分の気持ちが不安定で、衝動的に何らかの現実逃避に身を置きたいと思っている女子高生はたくさんいて、そういうシーンで彼女たちはとことん未熟な子供なのです。お小遣いとかカレシとか友達関係とか勉強とか、大人から見れば小さな問題に過ぎないけれど現状に納得しておらず、その大半はドラスティックな解決法を夢想こそすれ実行していないだけ。

 

しかし、その問題が肉親に起因するもので、部外者が手を差し伸べた程度では到底解決しない性質であったならどうでしょうか。早熟な彼女たちは多少乱暴でもその境地を抜け出そうとするのではないでしょうか。そして部外者の手を借りて、自分の性を代償とすることの「お手軽さ」に思い至った時、もはや問題の大小と自分の葛藤の相対性に関わりなく、かけがえのないそれをあっさり差し出してしまう子がいてもおかしくないと思います。

 

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膝と胸と目を同時に見てしまう

では大人たちはちゃんと大人をできているのかといえば、与えられた役割を黙々とこなすうちに社会的地位を与えられ、家庭内で父親もしくは母親としてふるまい、そのすべてを満足に演じ切れている人はごく少数でしょう。私には嫁がいたためしがないのでその辺は推測するよりほかありませんが、他人同士が最初の突然変異的感情で結ばれて以降惰性で暮らしていくもの、それが家族であると思っています。生家の状況次第で人の数だけ家族像があるのでしょうけれど今は深入りしません。大人は経験を重ねて分別がついた分、軽挙妄動に踏み込めない生き物であるがゆえに立場に苦しめられ、どこにも救いを求める手段がありません。だから、責任と重圧から日々解放されたいと願うのです。いるかいないか分からない神への祈りに等しいレベルで。

 

今置かれている状況を何とかしたいと思いながら、その場を捨てて逃げ出したい衝動に駆られる気持ちは本当によくわかります。そんな私たちにとって彼女は救いであり、人生にハリを与えてくれる存在なのです。

 

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法のラインもひとっとび♪

と、この漫画はいうのですが

 

僧侶「いや完全にホラーですよこれ」

 

人生を破滅に導く魔性の女という私の感想を裏付ける第三者の意見が聞けて良かった。家庭のない私ですら万万が一現役JKに手取り足取り励まされてますなんてことが世に知れたら社会的地位を保てなくなり、華美豪奢な独身貴族の生活ができなくなってしまいます。

 

共に歩む伴侶はいなくてもその概念はおおよそ分かります。苦しい時の心の支えとか最大の理解者とか、最近は性に捉われない考え方がずいぶん広まったようですが、もしもこの先私にそういう人ができるなら絶対女性がいいです。思えば変な女ばっかり好きになる人生なのは置いとこう、私も彼女たちに負けないくらい変だったのだろうし。

 

あと、私の周辺の離婚率の高さが何に起因してるのか考えだしたら泥沼化するからこれもやめとこう。家族とか絆とか愛とか、人口に膾炙して本来の豊かな意味が失われた薄っぺらい不憫な言葉より先に「同じ家に住んでるだけの人」とか「最後に目を見て話したのはいつだったか」とか「むしろコロナが来て無言が自然になった」とか、現実を直視せざるを得ない状態があるのも仕方がない。きっと時間の不純物が2人のピュアな思いを濁すんだろう、そういうことにしておこう。

 

ただ。男女の垣根を越えて結ばれる場合があったとしても(私はそっちではないけど)、娘の友達という、成年に達することが何の解決にもならないところに運命の相手=ファム・ファタル=破滅を招く悪魔を見出してしまったことに同情を禁じ得ないと同時に、とことんまで破滅を見せてくれと私は願うのです。良作です。