working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

大阪のプライド

5年前。同業他社の同期がfacebookで「今の大阪、変えなアカンよね!」と具体的根拠を伴わずに賛成をごり押ししてきた、いわゆる「大阪都構想」(大阪市を解体し、特別区に再編成すること)の是非を問う住民投票が11月1日に再度実施されます。学卒とは思えないアホさ加減に嫌気と魔が同時に差した私は政令市を返上することのデメリットや市税収入が府に取り上げられ市単体の行政サービスの質の低下が起こりかねないことなどを延々と並べたてて翻意を促しましたが、投稿する片っ端から削除されました。

 

今回、吉村府政における圧倒的リーダーシップにかなう者は見当たりませんし、こんなところで滔々と私が持論を述べたところで誰も読みません。せいぜい大阪市が市でなくなったところで関西ひいては日本全体に与える影響は極めて限定的です。行政機構がどうなろうと直接的な利害が市民に分かりにくいので、数々の世論調査が示す通りいよいよ特別区とやらに再編成されるのでしょう。大阪市民の過半の意見は、本来市のために使われる税金を大阪府全体のために使ってくださいというわけです。美しい思いやりじゃございませんか。

 

大阪に住むことと大阪「市」に住むこと。これは首都圏の方々には分かりにくいかもしれませんが全然違います。岬町と大阪市北区は全然違います(岬町民の皆様ごめんなさい)。また、同じ大阪「市」内でも福島区西成区では全然違います。何が違うか。家賃(あるいはローン支払い額)と納付税額、要するに収入差です。収入によって人は住む土地を変えます。いわゆる「大阪都構想」が実現するとこうした場格が一見フラットになり、大阪「市」民であることのプライドを著しく損ねると私は思っています。

 

反対派の急先鋒・藤井聡さんは相変わらず市民の危機感を煽っておられます。しかし、実は市民にとっての問題は藤井さんが扱っているような市政運営に直結するフェータルな問題でも、私が気にしているプライドの問題でもなく、「吉村洋文と心中できるか」という、近松ばりの情緒あふれるエモーショナルな問題に過ぎないのです。

 

新型コロナウイルスをめぐる動静において吉村知事の手腕は見事としか言いようがなく、首都東京にも引けを取らない決断力と政治力に、県境を越えて多くの人々が感銘を受けました。府政運営上の逆境にも関わらず、平成以降の大阪の首長がこれほど目に見える結果を出したことはなかったのではないでしょうか。そのように我々を導いてくれる人が言うことなんだから、ここはひとつ協力してやろうじゃないか。戦後日本は民主主義国家となり、あまねく国民に教育の機会を平等に与え、一定水準の知性を育んできましたが、そんなもの、浪花節の前には極めて無力な屁理屈に過ぎないのです。そのような為政者が何をしようとしているのか、つぶさに見る必要すら感じていないのです。

 

橋下徹さんが政界に進出した時、ヒトラーになぞらえた批判を複数見かけました。今吉村知事に対して沸き起こっている民の感情はそれに実績が伴ったという意味で橋下さん以上に強力です。少し前には私もこれを危険な兆候ととらえていましたが、なんのことはない、横山ノックさんを知事にした時代から大阪市民は「おもろいこと」に傾くだけなのです。衆愚政治でもポピュリズムでもなく、そもそも政治を扱っている感覚ではないのです。政治に対する究極の無関心が生み出すものを独裁と呼ぶなら、その独裁を甘んじて受け入れようとしている市民が責めを負うだけのことです。そうやって大阪市民は数々の夢を見て、夢が覚めた後の現実に苛まれてきたのです。

 

大阪市は一度解体されると、名実とも元の姿に戻ることは限りなく難しいと言われています。先ほどから私が問題にしているプライドはカネに力点を置きすぎてチンケなものに聞こえたかもしれませんが、行政機構としての大阪市が好きというのではなく、大阪に住んでいることへの愛着や誇り、シビックプライドなのかもしれません(私はこの単語を聞くのが鳥肌が立つほど嫌いで、「まちづくり」関係者が安易に口にするのを見ると引っ叩きたくなります)。そんなプライドを著しく棄損するであろう点について、さきの藤井さんが以下のたとえ話をもって示しています。

 

↓ここから

この「大阪市を潰す」という概念は、大阪においては少々直感的に分かりづらいのかも知れませんが、次のように考えれば簡単にご理解頂けるのではないかと思います。

すなわち、今回の大阪都構想住民投票は、堺市民に「堺市を廃止しますか?」を問う様なものなのであり、

神戸市民に「神戸市を廃止しますか?」を問う
横浜市民に「横浜市を廃止しますか?」を問う

様なものだということです。

言うまでも無く、堺市民も神戸市民も横浜市民も、そんな投票にほとんど誰も賛成しないでしょう。

にも関わらず、大阪市だけなぜ、大阪都構想を支持する方が多いのかと言えば――それはたまたま、廃止される市の名前が、府県の名前と一緒だからです。

でも名前がどうあれ、廃止は廃止なのであって、大阪でも堺でも横浜・神戸でも「都構想の実態」は一ミリも変わりません。

ついては大阪市民の皆さんには是非、名前やイメージに囚われずに、大阪市という自分達の自治体を潰すのが都構想というものだという「真実」をしっかりと認識した上で、投票所に行っていただきたいと思います。

↑ここまで

引用元:https://38news.jp/politics/16694

 

いわゆる「大阪」とは大阪市であること。たぶん、そんなことはなんとなく、みんなわかってるんだと思います。でも、その上にある府が同じ名前を冠しているなら大阪市なんて要らないのではないか。大正から昭和初期にかけて、周辺自治体の合併により市域を拡大し「大大阪」と呼ばれた時代がありました。それと同じことだろう。いいえ違います。大阪市という行政機構が失われた後にも、いま私が持っている「大阪」のアイデンティティが生き残るとは思えません。それはとてもさみしいことです。

 

ま、従容と結果を受け入れる覚悟をもって住民投票に臨みましょう。