working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

出会いと老害

少し前にこんな話をしました。

 

 今の10代は我々世代が「出会った」と思っているような体験をしているのかどうか、仮にしているとしてそれはどういう「出会い」なのかが分からない

 

全文はこちら。

working-report2.hatenablog.com

 

新作アニメの放送開始から1か月ほどが経過し、もともと7月放映予定だったものも含めると1週間あたりの最大視聴本数が40本を超えるという異常事態で始まった秋クールは、順調とは言い難いペースながらも興味の有無にかかわらず第1話を見続け、結局10本以上をその1話で見限りました。

 

いったい私が何をしているのか、普段アニメをご覧にならない皆様には「興味がないのになぜ見るのか?」が全く伝わらないと思いますが、これが私の思う「出会う」ための行為です。ジャンルや作者やキービジュアルだけで判断するのではなく、アニメは実際に動く映像と音をセットで見てみないことには評価の下しようがないから見るのです。

 

面白そうと思えば録画を継続し、その中でも高評価の作品はCMカットして録画保存するか、パッケージ(ブルーレイ)購入を検討する、好みに合わなければ毎週録画を即中断してデータを消去する、この繰り返しです。

 

作品を作る人々への憧れが強すぎて半ば信仰になっていた10代のころは思い込みが激しく、他者から支持されない独善的な評価を下しがちでした。当時私が「出会った」体験をしたのは後に「エヴァンゲリオン」シリーズで名を上げる庵野秀明監督の「ふしぎの海のナディア」(1990年~91年放送、NHK総合)。金曜日の夜7時のニュースが終わると気が動転しそうなほどワクワクしていました。さすがに30年も経過すると古いなと感じる場面もあるものの、やっぱり面白いと今でも思います。

 

で、何が独善的だったかというと、ナディアが終わって以降もう二度とこのような体験をすることはないと思い込み、VHSビデオテープ(デジタルネイティブ世代には伝わらないかもしれませんが、3倍モードの色ムラがひどくて、赤い色が映るとモノの輪郭が毛羽立ったように見えたものです。間違って上書きしないようにツメを折って保存してました)で録画したナディアを何度も繰り返し見続けて信仰の極限たる原理主義に陥っていたため、他作品を評価するという目さえ持つことができなかったのです。

 

和歌山の片田舎でしたがテレビ東京系のテレビ和歌山がアニメ的に貧弱だったことを除いてあとは問題なく視聴できる環境でしたので、学校に行けばきのうの幽遊白書とかドラゴンボールZとか、いやはや私の同級生たちはなんてオコチャマなものを見ておるのだと謎の高みから見下ろしていたのでした。その時間帯は家の夕食が始まるのでテレビを見ること、ましてや親が許可しないアニメなどまず見ることが叶わなかったという事情もあり(いかにNHKという看板が有効だったか、そしていかに親というものは子供の見るものに関心がないかよく分かるというものです)、その結果として通過儀礼的に見ているはずの作品のほとんどを見落としてきたので、心底あの頃の私を首絞めて揺さぶって覚醒させてやりたい。

 

そうこうしているうちに高校受験のためにアニメやゲームボーイスーパーファミコンなど「好き」との断絶を経験し、カウンターカルチャー全般と一度手を切った私の中にはナディアへの信奉だけが残り、そうであったにもかかわらず庵野監督の「新世紀エヴァンゲリオン」をスルーし(テレビ東京系列で貧弱極まりないテレビ和歌山はリアルタイム放送してなかったんじゃないかな)、高校大学時代を通じて何を見ていたかと言えば時代劇でした。

 

仲代達矢の清左衛門残日録、神田正輝池上季実子の深川澪通り木戸番小屋(タイトルはとおりゃんせだったかな)、阿部寛の天晴れ夜十郎、小林稔侍の夢暦長崎奉行真田広之の半七捕物帳、国仲涼子の五瓣の椿。同じ時代劇でも民放キー局のそれらと一線を画すストーリー性とカッコよさ、特に小林稔侍の遠山景晋はめちゃくちゃカッコよかったんですよマジで(亡くなられてしまったけど、悪役の島津重豪を演じた神山繁もカッコよかった)。真田広之のちょんまげは違和感しかなかったけどそれでもやっぱりカッコよかった。仲代達矢はダンディズムが歩いているような人なので言うに及ばず。この辺の系譜は最近だと中井貴一の雲霧仁左衛門ですかね。これも私の10代において貴重な出会いの数々ではあったわけです。心の底から時代劇を崇拝していました。

 

そんなカルチャーキャリアでは大学で話が合う奴なんていません。軟式野球サークルに入ってもいい加減な奴のたまり場だったし、合コンに行っても民放ドラマの話しかしない子たちばっかりだし、だから教養課程の2年間は共通の言語が持てる友人が出来ずに大変苦労しました。その苦労した期間に講義も遊びも適当に、遠藤周作の著作を余すことなくガリガリ読んで、日本とキリスト教のことなんかを深く考えたのも一応出会いということになるのかな。3年になって選択科目の研究会(いわゆるゼミ)に入り、得難い友人と出会うのですがこれはまた別の話。

 

就職を経て仕事に疲れ果てた2005年ごろから再びアニメの門を叩き、2008年ごろから各局の深夜アニメを総ざらいし始め現在に至ります。ここ10年で形成されたアニメの見方は経験値を積んだ分だけ見切りが早くなる、自分の好きではないことがすぐに分かるので、そういう意味での独善性は健在なのですが、どこに引っかかったのか(あるいは引っかからなかったのか)、あの頃よりはうまく説明できると思います。

 

つまり「出会う」というのは、私が見たかったのはこれだ!と思い定めて物語の終わりまでついていく価値を認めた傑作に出会うということであり、そういう経験を若いうちにできたのは幸いだったと思う一方で、冒頭で引用した話に戻って、ではアニメについて今の私が第1話で見切ってしまう作品が多数ある中で、10代20代はいったいどんな出会いをしているのかが分からない、と言っているのです。

 

店長「それは老害ですよ」

 

最近懲罰的なニュアンスでバーカウンターに立つことを禁じられている店長が一瞬何を言っているのかわからなかったのですけど、私が認めないからと言ってそれが傑作でないという保証はどこにもなく、私の心にフックしなくても10代20代の心にフックする作品は十分ありうるわけで、それら作品群を自分には分からない、面白くないからという理由で一様に貶めるのは、年を取っただけでマウンティングする行為と何ら変わりがないと。SAOが気に入らないとか、電撃系が最近ことごとくつまらないとか、ジャンプ連載のアニメ化はだいたい裏切られるとか、経験則で語ってきたことはすべて真実であると思い込んでいたこと自体が間違いだったのだと。

 

私は結局、当時も今もこれからもどこまでも独善的にものを見ているのだということに気づいたのです。

 

似ているなぁと思ったのは男女関係です。最初にどんな男(もしくは女)と出会うかによって、人生における好みの方向性が決定づけられ、以後それを多少上回るものに対しては勝手な憧憬を抱き、多少下回るものに対しては勝手な侮蔑の念を向け、極端に上回るか下回るものを見たときにはどんな反応をするのが適切か分からなくなるのです。

 

あたかも、沼倉愛美ちゃんをラゾーナ川崎で見たときや東洋ショーで荒木まいちゃんの神々しい女性的肉体美を見たときには拝む以外の行為が考えつかなかったように、あるいは過去に交際してきた女たちとのなれそめが常にちょっと見上げるか見下ろすか程度でしかなかったように、老いてゆくごとに私が気付かないところでその色は強まっていくのでしょう。

 

生育環境や年齢や時代や流行が多少影響するのかもしれませんが、自分の中にあるものだけは不変ということはないのであって、人との出会い、作品との出会いを通じて、本来直進する光がプリズムによって屈折するように、私を構成する何かも常に変化の風波に晒されながら生きている、そういうものなのでしょう。

 

女たちと毎度意味の分からない別れ方をする私は、例えが適切かどうかはともかくみんな「傑作」だったのでしょう。私の勝手な憧憬あるいは侮蔑がすべて見破られ、逆に侮られていたのかもしれないですね。