working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

ある女性とスピについて

ここを読者登録している人のブログを久しぶりに読んでみたら、スピ化が著くて何を書いているのかよくわからないところに行ってしまわれました。心屋仁之助ほどモラリスティックでなく、八木さやほどポジティブでもエモーショナルでもない。淡々と、よくわからないことを書いている。

 

哲学には論理的帰結(問いと答えが納得いくように結びついている)があり、スピにはそれがありません。「私がこうなんだから、こうなんだよ!」のごり押し。スピはその違いが分からない人々を生餌か苗床にして新しい信者を釣り上げ何かを買わせ続ける、マルチと酷似したビジネスです。ああいう方々のお商売を邪魔する気はないのでこれ以上の言及は止しておきますが、読者登録解除してくれないかな……。

 

とある県の外郭団体で働いていたころ、職場の同僚に「子宮委員長はる」(現在の八木さや)を信奉している女性がいましてね。至って真面目で性格もまっすぐなんですが、誰かの言動になにかひとつでも気に入らないことを見つけると、急激に態度が硬化して相手にしなくなる奇癖がありました。そのことについて彼女と話したことはなく(怖くて話題にできませんわ)、彼女のfacebook(もうほんと、SNSはなぁ……)の発信内容から受け取る印象として、2つの特徴がありました。

 

まず、非常に向上心が強い。「意識高い系」ではなく、実際に意識が高く、目指すところも果てしなく高い。そういう心がけの人は滅多にいるものではありません。なので周囲からは尊敬のまなざしをもって遇されます。SNSでいろいろなことに取り組んでいる様子を日々発信し、自己研鑽に努めているんだなぁというのがよく分かります。その反動として、「仕事ができない人は私のように努力しない怠惰な人」に分類して毛嫌いする傾向があり、仕事の出来高レベルで人を区別して応対しているのが際立っていました。

 

そして、自分が認めない他者の言うことを聞かない。もう少し具体的に言うと、客観的な事実としておかしいな、と思われる何かがあったとして、指摘する人がいたとしましょう。それが気脈の通じている人ならば素直に改めるのですが、それ以外の人だと聞き流します。受け取る指摘が同じでも、それに従うかどうかについて人を選んでいるのです。さきの仕事の出来る/出来ない人を区別するのと非常によく似ています。出来る人は私の仲良し、出来ない人は怠惰であるがゆえ私の前から去れというわけです。

 

外郭団体は県全域の特定事務を担当するので、色々な地域の人々とお仕事をすることになります。そこで例えば、あそこの地域の人はできるから好き!とか、向こうの地域の人はできないから嫌い!とか言われると非常に困ることになります。あまり露骨な態度に出ると仕事に差し障るので、彼女もその辺は大人な対応を心掛けていたように見えるのですが、堪忍袋の緒はさほど頑丈ではなく、我慢ならないほど無能な対応をされたときは結構な頻度でブチ切れてました。特に平和堂の部長はかわいそうだった。主任級からガミガミ叱られる様子をみんなの前でやるって、公開処刑かよ。

 

私について彼女がどのような評価を下していたかというと、一応「出来る」方にカテゴライズされていたようで、東京出張のタイミングなどではまめに時間を作ってランチに誘われたりしましたし、春先の某巨大百貨店のイベントで同じシフトに組み入れられることも多くありました。そのように認めている間は本当に気の優しい女性だったので、場合によっては恋愛関係に発展することもあったのかもしれませんが、内心どこでエクスプロージョンが始まるか気が気でなかったので、彼女の前で下手を打つと世間的な致命傷になるという恐怖心からきびきびと働いていました。お客さんが持ってくるレシートの合計額を計算するときなんかは必死で、短い経理担当の間に培った電卓スキルを駆使してバババーっと足し算、あといくらお買い物いただくともう一回抽選できますよ!とお客さんに説明する芸を延々とやって、「計算めっちゃ速いですね!さすが●●(出向元の名前)の人だわ」と褒められて胸をなでおろす始末。

 

その後、私は定期異動の季節から少し遅れて出向元からの辞令が下り、東京の一般社団法人へすっ飛ばされることになりました。連続の外部出向。会社は余程私を持て余しているのでしょう。やがて彼女が同じ職場で知り合った男性と結婚するという知らせを聞き、結婚式と披露宴に呼ばれ、穏やかな関係性を保ったまま徐々にフェードアウトしていくのだろうと思っていたのに、やってしまったのは私でした。

 

どれくらい経ったころか、彼女は出産しました。そんでまぁ、赤ん坊の写真をSNSに投稿しました。人生の勝負ポイントにおいて最高のパフォーマンスを成し遂げたという自負があったのでしょう。実際、出産というのは大変な偉業です。彼女の友達はいいね!と超いいね!の応酬です。おめでとう!とか頑張ったね!とか怒涛のキラキラコメントの連続。

 

私もその自己評価を貶めるつもりはありませんし、素直に祝意を伝えておくにとどめておけばよかったのですが、どうしても許容できないポイントが一つありました。赤ん坊の写真が全裸だったことです。

 

出産どころか結婚したこともない私が力説するのも変でしょうけど、子供は宝物であっても親の私物ではありません。SNSは世界中の人に情報を拡散するメディアです。設定で公開範囲を限定できるといっても、それは生まれてきた子供にとって大きい世界か小さい世界かの違いでしかなく、そのほとんどは会うことのない他人のまま一生を過ごすことになるはずです。

 

そのような人たちに向けて、生まれた直後とはいえ全裸の写真を晒す行為には、大切なはずの子供を彼女の手柄として評価してもらう道具として利用している気配と、まるで仕事の出来ない者には価値を認めないそのポリシーの延長線上にあるかのような、庇護下にある間は子供の人権を認めない、極端な割り切りに根差した承認欲求の気配が拭い切れないのです。

 

なにより、自分の知らない年上の人たちが赤ん坊のころの写真を持っている状況とか、気持ち悪いでしょう?

赤ん坊は意思表示できないのですから、親としてそれくらいの想像力を持っておいてもらいたいと願い忠告することが、友人としての務めってもんでしょう。みんな喜んでるからといって子供が未来に受けるかもしれない不利益を考えないのはダメでしょう。

 

才気煥発な彼女にしては浮かれすぎているのではないかと思い、子供の写真投稿へのコメントとは別に、私のタイムラインとして上記のようなことを書きました。

 

以降、彼女からの連絡はパタッと途絶え、投稿にコメントしても反応が返ってこなくなりました。あの瞬間をもって、彼女の中で私の評価は許されざる者に切り替わったのでしょう。

 

彼女が今も八木さやを信奉しているのかどうかは知りません。ただ、いったんクロと判定したものを永久にクロのままにすることは、いつか彼女を窮地に陥れることになるのではないかと心配しています。また、そうした行動特性が全部スピのせいだと言いたいのではありません。ただ、スピに傾倒する人には白黒はっきりつけたがる傾向と、思い込みの激しさが車の両輪のようにセットされて、それが優秀な頭脳と永遠に果てることのない向上心をもって行われるときに何が起こるのかが怖いのです。

 

つくづく業の深いことです。