working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

セールスへの固執について

世論の大波に流されて自分が感じたままアニメを見ることが出来なくなるので、ネットかいわいの情報を極力遠ざけています。

 

・何をいつ放送しているか
・誰が作っているか
・誰が出演しているか
・何が流行っているか
(なぜ流行っているかは除く)
・なぜそれが好きか

 

この5つ以外は読む人の心を豊かにしない情報のごみだと思っています。

 

……ですが、気になってなんとなく見てしまうのは

 

・何枚売れたか

 

です。テレビ録画、レンタル、配信、サブスクとアニメを見る環境がどれだけ様変わりしても、関連グッズの中で最も高額な映像パッケージの売れ行きはファンの本気度を測る尺度として最も正確という、「学歴は人の能力を測る尺度として最も正確」と同程度の信仰に近い通説がまかり通っています。

 

売上情報を見た人の反応として、だいたいこのようなことが起きます。

 

大好きな作品のブルーレイを買った。高かったけど、これはお布施みたいなものだ。だってあんなに映像がキレイorストーリーが秀逸orキャラクターデザインがカワイイorめっちゃ笑えるんだから、売れて当然だ。この資金で2期制作も間違いなしだ。さて、どれくらい売れているのかな……1巻初週1,000枚を下回っている、だと!?これは何かの間違いだ!オレがこんなに大好きで認めている作品が売れていないなんてことがあってたまるか!てかこの作品の価値が分からないアニメオタクってほんとバカだな!どうせお前らには説明したってわかんねーよな!はっクソが!

 

信頼に足る、というか「好き」をお金で表現する指標であるがゆえに、汗水垂らして働いて得た浄財をつぎ込んだ作品が売れていない事実に打ちひしがれて、他者をけなすことでしか、存在価値と鑑賞眼への自信を保つことができないのです。あと、対価を払って商品を手に入れる行為を、金品授受の見返りを求めないお布施に例えるのはアホ丸出しなのでそろそろやめましょう。

 

ロッド・サーリングなら「純粋にアニメが好きな少年の心を持ったこの中年オタクは、闇の世界へと引きずり込まれてゆくのです……」で終わるところですが、自分の価値観、大切にしているもの、好きだと思えるものがマジョリティとズレていることにショックを受けるというのは、私が思うオタク的な考え方の対極にある事象です。日本には1億少々の人が住んでいて、その人たちの大多数とは違う感性をもって文化と接している自負があり、大多数が見つけてこないものを見つけてくる、その中に美や他の価値を見出す、それこそがオタク的な考え方とありようではないでしょうか。他からズレていることは大いに結構、論戦上等のはずなのです。

 

ところが、アニメという趣味を同じくする人々の中で「売上」という厳然とした結果が提示される状況では、なぜか勝ち組と負け組が選別され、セールスの伸びない作品を買った人はバカにされるという逆転的なネット文化が根付いてしまいました。ここに私は、誰もが距離と時間を隔てて共通の趣味に関する意見交換が行えるはずだったネットが、理想を捨てて他者を嘲弄するメディアに変質した姿を見るのです。

 

そもそも人によって作品の好き嫌いはあっても、作品の善し悪しが何らかの数値をもって指標化されるものではありません。売上が良いから良作、悪いから駄作、と考えるとその思考の短絡性がよく分かるでしょう。私はこれが悪いことだとは思いませんし、文明の利器をうまく使いこなせない人類の限界だとか説教じみたことは申しません。なぜなら、こうなった理由がきわめて合理的だからです。

 

趣味人が集うネットコミュニティには温度差があります。性別と年代が違うだけで、同じ「アニメ」の看板を見ても感じるものには相当なギャップが生じます。私が「温度差」として取り上げたいのはそういうギャップではなく(看板に「○年代の深夜アニメ」などの限定条件を付ければある程度は回避できます)、「詳しい」とか「知っている」とかいう言葉に表される知識の深度と、個人の人間性です。

 

これらはネット上の付き合いだけではすぐに見えてこないパラメータですが、趣味の話をするときには絶対的な重要性を持ちます。なぜならこうして集ったコミュニティ内部においても、自分と「同程度」の人がいるかどうか、つまり知識の深度において自分と対等に話せる人間であるかを見極めようとするからです。

 

その結果、表向きの態度とは裏腹に内側にある知識が浅いと目星がついた途端、次に顔を出してくるのが、浅さを見極めた側の人間性です。

 

リアルな交際をともなうコミュニティでは今後の人間関係に配慮した振る舞いが出来ても、無数に御縁が存在するインフレ化した一期一会が当たり前のネットでは相手の見切りが異常に早く(その早さにも理由があると思うのですがこれは改めて考えます)、それ以降相手にしなくなります。無数の御縁ゆえに、よく言えばひとつの関係に固執しない、悪く言えば相手を同じ人間と見る必要さえない、極端な判断の早さがあるのです。そこには売上を至高の判断材料とする短絡的思考と親和性の高い、人に対する面倒くさい気遣いやあらゆる思いやりを省略したいという欲求があり、充実した趣味のトークがしたいだけのその人からすれば、歩みの遅い後続集団にペースを合わせる必要性が感じられないからです。場合によっては「あいつはバカだから相手にしないほうがいい」と未知の誰かに吹聴して回っているかも知れませんね。

 

いやいや、私はそんなことはしない、と思った方にもお心当たりはあるでしょう。知っているという割に自分よりも知らなくて、話も別に面白くなくて、いったん話し始めると止まらない、相手するだけで疲れてくる人が。「あの人の話は疲れる」とか、誰かに言ってませんか?

 

いや、言ってていいんです。それが人間の自然な振る舞いです。なので、ネットのコミュニティのあり方は異常ではなく、よりリアルな人間性が露出しているだけなのです。そしてこのような傾向が顕著な人の中には、せっかちを通り越して性急に結論を求めたがる思慮浅き人が少なからず混ざっているので、さきの売上指標を絶対視する風潮が生まれてくるのです。

 

私は以上のことについて「悪いことだとは思いません」と書きました。ですが、下種の極みとして軽蔑しています。売上情報とそれをもって煽り立てる連中なんて人間のクズと言っても差し支えありません。昔の人も「付き合う人は選べ」とよく言ったものです。

 

だから、私の大好きな「放課後ていぼう日誌」が1巻初週1,200枚前後しか売れていないとか言われても、ぜ、全然ヘーキなんだからね。