working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

個人的な不安の話

「その気持ちは恋ではない、愛だ。」くらいの感じで「コロナは菌ではない、ウイルスだ。」と言っているのだろうご高名なミュージシャンと、政府系事業の資金の流れを辿っていくと必ず突き当たると言っていい現代の金満悪代官がネットで話題になっています。ミュージシャンの発信が、まるで相互に論駁し合っているかに見えてただの独り言でしかないという事実にがっかりします。そんなことをわざわざ書き込んで、肝心の悪代官に何にも届かないことはそっちのけで、周辺の無思慮な賛同をホイホイ集めるためにSNSがあるわけじゃないと思うのですが。

 

悪代官のほうは私と同じ大学の先輩で、20年くらい前にかの構造改革を手掛けた首相(こっちも大学の先輩)とタッグを組んで契約社員と非正規雇用中心の社会を作り出した張本人です。ちょうどそのころ歴史を教わっていた軍艦好きの先生と三笠会館の榛名でエスカルゴを食しながら「あいつらは同学の恥だね」と話してたのを思い出しました。エスカルゴってうまいんですよ。あの頃もっとワインの味が分かればよかったのに。「同学の恥」という言葉の意味が20年後に重みを増してのしかかってくるのはさすがだなと思いました。

 

私は終身雇用を是とする企業の最後の生き残りあたりにいるのですが(それとてコロナ禍でいつまで生き残るか分かったものではありませんが)、その終焉が悪代官のせいだとは思いません。未来の不安があるとすれば商才がない、経理事務と法律に多少明るい程度のどこにでもいる平均的なサラリーマンでしかないことぐらいで、今は才能ある者が頭角を現して財を成せるはずの時代です。不条理な身分制度に縛られることもなく、だいたい自由な経済活動が行えます。大河ドラマの主人公・渋沢栄一の目指した合本主義世界の究極の姿です。たまに吉沢亮さんは表情が抜け落ちてることがあるけどなんでかな。

 

それなのに不満が渦巻いているのは、才能も財もない者が増えすぎたからです。ニュースなどでは「富の偏在」と表現されています。能力主義という言葉に代表される、その人の「能力もしくは結果」を「正しく評価」する手法が広がり、相当数の企業で加齢とともに賃金が上昇する年功序列を評価軸から外したことも一因でしょう。いままでそれなりの学校を出てそれなりの会社に就職すれば当人が多少ぼんくらでも安定的な人生が保障された「ゆがんだ」時代が去り、誰もが才能の発揮と成果を求められる「当たり前」の時代になり、働きに見合った収入が手に入るようになったはずなのに、結果として幸せを感じる人が少なくなり、新たな貧富の格差が生まれるのは、ただただ矛盾した話ではあります。

 

この点については、社会のルールが大きく変わったのではなく、個々の会社のルールが会社側に都合よく変わっただけだったりします。株式会社組織は、株主から資本金を預かり、これを元手に商売をし、上がった利益を株主、経営者、従業員のいわゆる利害関係者の間で適正な比率で分け合う組織です。従業員の働きに関しては持ち場によって大きく業務内容が異なることは想像できると思います。一般的に営業は多くの顧客から受注することが、管理部門、例えば経理は月末や期末の処理を早期に、正確に終わらせることが、現場はお客様の注文を聞いてすぐに対応すること、丁寧に接客することが、それぞれの使命となるでしょう。

 

その使命(あまりに仰々しいので以後「目標」と言い換えます)に本来的な意味での優劣はないはずですが、すべての従業員が同一水準で目標を達成したと仮定した場合、これらを色眼鏡なくストレートに評価していたのでは、従業員に配分する利益の範囲を飛び出してしまいます。そこに生まれるのが優劣であり、優劣が生まれることによって評価軸に変化が加わり、さらに個々の従業員の目標の達成内容、全員が同じ水準で目標を達成できることは現実的にありえないため、その度合いを加味しながら評価を刻んでゆくのです。

 

それでは、優劣は何に拠って判断されるのか。業務内容に占める頭脳労働のシェアによって判断されるのです。ある意味現場仕事は一定の教育訓練を受ければ務まるため頭脳労働割合は低いとされ、逆に管理部門で高い専門性やスピードが求められる職種では頭脳労働割合が高いとされています。実際の業務内容に応じてさらに細かく見ることも出来ますがこれ以上はあまり意味がないのでやめます。ここまでは従来の社会です。

 

さらに、従業員の賃金が高止まりすることで日本企業の成長力が失われるとかなんとか言って、さらなる切り崩しを図ったのが、構造改革の旗手と呼ばれる慶応の悪代官です。今日まで数多くの問題を生み出し、多くの不安定な雇用環境を生み出した契約社員と非正規雇用によって給与条件を大きく切り下げ、企業の内部留保を促した結果、同一労働でも契約形態によって賃金に差が生じるという謎の事態が生じました(最近できた法律で解消されることになりましたが、どうも運用を見ていると穴だらけのようで)。大方このような社会構造を、悪代官は時間をかけて構築し、現在は○ソナという人材派遣業の総帥として君臨しています。ほんまに暗殺されるんちゃうかな。

 

以降、チャリでフードを運ぶ人に代表される非正規雇用形態が常態化し(彼らは個人事業主であり、業務受託先の指示内容を達成するかどうか、利用者との間では準委任に近い契約になるのだそうです。準委任とは契約目的を達成してもしなくても、その結果責任を負わない契約形態のことで、つまり食い物を届けなければ受託先から賃金が支払われず、顧客が文句を言っても業務受託先は責任を負わない代わり、届けるべき人の評価は下がって受注しにくくなるため、恐るべきモチベーションが働くのだそうです。受注待ちの様子はさながらテレクラです。テレクラが何か知らない坊やは帰りな)、日本の中間層の多くを貧民化させたわけです。

 

私が学生の頃、悪代官が何をしようとしているのか分かりましたし、自分の20年後、30年後のことを考えたときにどういう働き方を選ぶべきか、判断する材料がありました。堀江貴文さんは「搾取」とよく言います。まぁウーバーは搾取の典型ですけど。……くどいようですが、これは私が信じているか否かではなく、社会の構造がそうなっているという話です。

 

正規の雇われ身分というのは至って気楽なものです。業種によっては死ぬほど働かされているところもあるでしょうけれど、その日のうちに帰宅出来て、ちゃんと給与も毎月振り込まれること自体奇跡のようなものだと思います。その条件を受け入れているなら、生きていくのに十分なお金がもらえるなら、起業とか独立とか大きな志を持つ必要なんてないじゃない。コロナ禍で年間給与が16分の1減額されたってそうそう大きな影響ないよ、私は一人だし身軽なものですよ。

 

……この事象を人はゆでガエルと呼ぶのでしょう。居心地のいい環境が徐々に変化して、気が付いたらぐらぐら煮えくり返って死んでいる的な。日本はこれからどうなるんでしょうね。私のような働き方をしている人間はいずれ夜道で惨殺される時代になるのでしょうか。不安に感じても仕方ないので、今夜も酒を飲みましょう。