working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

大学と私(1)

皆様こんにちは。たまにはご挨拶しないとbotが書いてるのかもと疑われるくらい技術が進歩した時代を生きるgentlyです。いうまでもなく私は生身の人間です。たまに女王様の椅子になります。今は毎日予算作成業務に追われてこんなもの書いてる場合じゃないんですけど、書きたい欲望に素直に従うこともまた大切かなと思ってます。なんていうのかな、過去の栄光にすがりたい時って、あるじゃないですか。あと最近クソ寒くて、コンディションを崩しやすい時期に試験に臨む受験生へのエールも込めたくて。半分以上嘘ですけど。

前回の「アニメと私」を従前と読み比べると、うっとうしい思い出成分が全然足りません。GOSICKへの個人的な思い入れはあっても、自分以外の誰かが絡まないと思い出にならないんだなと気づきました。なのでこのシリーズはいったんお休みにします。買い込んだアニメ棚をぼんやり眺めていればそのうち思い出すこともあるでしょう。今回は旧ブログでも取り上げた思い出ネタを大幅に加筆修正してアップします。20年近く昔のことなのに鮮明に覚えていて、いまだに夢でうなされるくらいです。たぶん棺桶に入るまで忘れないんだろうなと思います。

 

実家のケーブルテレビで深夜に放送されていた桜通信を見て以来の憧れと言うほどでもありませんが、私の母校は現役一万円札の肖像の偉人が作った私塾の成れ果ての大学です。KO義塾、略してKOと呼ぶことにしましょう。イニシャルの意味あるかこれ。

ところで、当時のケーブルテレビと言えばパーフェクTV!(現在のスカパー!)でした。機械生命体みたいな恰好のシュワちゃんがバンバンCMに出てました。中学生のころ親父の一存で契約することになり、複数チャンネルのまとめ契約がお得と言われていたようで、12局の選択会議には私も呼ばれましたので、とりあえずスカイAとGAORAが映ればいいよと言いつつ、しっかりキッズステーションカートゥーンネットワークを入れてもらいました。深夜帯のアニメチャンネルはペイパービューに頼らなくても割とえっちなのを放送してたんですね。そう、桜通信ってKOを舞台にしながらほとんどKOである意味がない作品でした。東大のエリート感は窮屈で(イメージの話です)、早稲田ほど野暮ったくなく(イメージの話です)、ファッション感覚で選ばれたKO(これはイメージではありません)。ペイパービューは視聴タイトルが領収書に出るので、万が一購入してたら死刑になってたと思いますが。

しかし、ファッションと思われていたであろうKO法学部法律学科の偏差値は当時の私学トップでした。……調べたら今も早稲田の政治経済学部と並んでトップでした。さすがKO、さすが25年前の私。あの頃の私はとても勉強が出来る少年だったのです。私かっこよすぎませんか。

 

地位が人を作る。ついこないだ麻生さんが岸田さんについて「あれだね、総裁選まで頼りなかったけど、ちゃんと首相の顔になったね」みたいなこと言ってましたけど、本当にそう思います。私の資質云々もあったでしょうけど、いやあったに違いありませんけど、人はその地位に見合う努力をします。眼鏡をコンタクトレンズに切り替え、クラス委員の風格を備え、近寄りがたい雰囲気さえ漂わせながら、ある意味順風満帆でした。順風満帆でなかった点はこちら↓に書いております。

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若かった私はそれはそれは毎日猛勉強しました。朝6時半に起き、自転車で駅に向かい(試験前後でへばってるときはおかんの自動車送迎に頼りましたが)、7時過ぎ発の電車に乗って通学1時間。車内では参考書の立ち読み。8時半から始まる70分1コマの1限から5限6限まで連日びっしり。土曜が休みなんて考えもしない時代でした。5限で終わる日は図書室で自習。たびたび登場する銀の魔女っ娘とイチャコラしてたのも図書室でしたが。高校からの帰宅がだいたい夜7時過ぎ。帰宅の車内でもときどきイチャコラしてましたけどね。9時までに夕食と入浴を済ませ、テレビをほぼ見ることなく(見てたのはNHKの時代劇くらいです)応接室を改造した勉強部屋にこもり、だいたい午前2時まで学習(妹と共用でしたが皆さんが期待するようなことは一度もありませんでした)、ときどきあの娘を思い出しながらナニする暮らしを丸3年続けました。え?いつ桜通信を見てたのか?そんなの家族全員が寝静まってから音量を絞りに絞って見てたに決まってるじゃないですか。自分で言うのもあれですけど、エリートを目指す人間はこれくらいやるのが当たり前と思ってました。睡眠4時間の過酷な環境のおかげで身長が伸びなくなりましたが。

 

KOボーイはカッコいい。KOに行けばモテまくりのヤリまくり。きっと桜通信的な、ラッキースケベな、オニャノコにちやほやされる夢のキャンパス・ライフが待ち受けているに違いない。自分のビジュアルスペックを無視した野望を抱いて、おかんの意見も「社会でつぶしがきくから」程度のものでしたから、お金の問題をすべておかんに頼り切りながら、KOを第一志望とする関東有名大学受験の旅(10泊11日!)に出ました。

 

宿泊先は新宿ゴールデン街にほど近い安宿でした。自室の窓からサンウェーブ工業の電飾看板がよく見えたこと、受験日以外は基本部屋にこもりきりで最後のあがきとばかりに英単語やら構文やらを詰め込みまくったこと、掃除のときと休憩のときはテレビをつけて、藤井兄弟の歌が流れるNHK長野五輪中継を見てたことを覚えてます。どれだけ受験したか列挙してみましょう。

KO 法(法律)、文
早稲田 法、政治経済、教育、一文
東京都立 文

滞在11日中、7試験。ちなみにこれの前には関西私大(立命館の法、同志社の法)も受験しており、受験料だけで一体いくら親のすねをかじったことか。お気づきかもしれませんが、国公立の前期日程で東京都立を受験したということは、センター試験も受験したということです。自己採点ながら、英語192/200点、日本史B86/100点、国語180/200点。英語は文章題の8点問題を1つ落としただけという奇跡的なスコアでした。日本史Bはひっかけ型の説明文問題に苦戦して90点割れ。国語はまぁまぁというところでしょうか。あと国公立を受けるために現代社会も受験しましたが、70点ぐらいだったかな。文系のかたまりです。

 

KO法学部受験の朝は雪でした。新宿から田町までの行き方(笑われるかもしれませんけど、和歌山の片田舎の高校生は山手線に乗ったことがないのです)を頭に叩き込んで、会場の空気に慣れるため早々に現地入り。桜通信でよく見た旧図書館を見た時はそれなりに感動しましたよ。これ本当にあるんだ。

文系3科目の試験なのでそれほど時間はかかりません。その後、当時の法学部入学試験には面接がありまして、少しでもきちんとした格好で受けるようにということで、わざわざ進学塾の先生が東京までスペアの制服を持ってきてくれたのを思い出しました。当時の面接官が誰だったのか後から知ることになるのですが、憲法学でメディア露出も多かった小林節先生でした。面接では至って気さくな雰囲気の方で「君の高校のネクタイと制服のカラーリングは我が校のシンボルカラーと同じなんだね、これも御縁なのかもしれないね、はっはっは」と言ってたのを覚えてます。素直だった私は調子を合わせて相槌を打ってたと思いますが、これは不合格フラグなのではないかと内心ビクビクしてました。その後の憲法講義の印象とは180度真逆すぎて、東京の人は怖いなと。

 

その後の受験ラッシュのことは正直よく覚えてません。KO法学部の受験日がとびきり寒かったからよく覚えてるんでしょうね。試験内容も今までやってきたことの応用でクリアできましたが、日本史が教科書もほとんど取り上げない牛肉オレンジ問題から始まる超近現代を含んでいたことはいまだに恨みがましく覚えてます。

……なぜこんなにたくさん受けたのかというと、他の受験生を邪魔するためではなく私が通っていた高校と進学塾の実績アピールのためです。いくらか受験料補助が出ていたのですが詳細は覚えてません。つまり大人たちの期待を一身に集めてたわけです。その結果、早稲田の法学部以外はすべて合格(ここだけ落としたのは直前に本命合格通知が来たことを実家から告げられて気が抜けたため)という成果で高校の進学実績水増しに十分すぎる貢献を果たしました。私かっこよすぎませんか。南大沢の東京都立大学の校舎の美しさにも多少憧れましたが、喜び勇んでKOに進学しました。これで私のハーレムライフが始まる。新しい暮らしに乾杯。まだお酒を飲めない18歳の私は、受験戦争から解放された人生のピークオブモラトリアムで文字通り、有頂天になってました。

 

とりあえず今回はここまで。所期のとおり、上げて落とす記事になりそうです。