working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

大学と私(2)

ごきげんよう皆様。あいさつ文が定型だとやはりbotが書いてるんじゃないかと疑われる時代を漂流するgentlyです。営利を目的としない純然たる動機不純なブログですのでご安心ください。

不惑を過ぎて体の変調を感じる日々の中で、お布団に入った直後「私はいつ死ぬんだろう」と考えることがあります。日本人男性の平均寿命は約84年(約3万日)、私はちょうど半分を折り返したあたりで、こうやって眠って翌朝目覚めないこともあるのではないかと思ったりするわけです。それに寿命というのは生命が継続している「だけ」のことですから、平均に達しなくてもその時私は本当に「生きている」と言えるのか、いわゆるQOLは保たれている状態なのか、QOLに欠かせない健康とお金にまつわる不安に苛まれるのです。

そんな不安を薄め、生きていることの喜びを感じさせてくれるのがお酒です。古来お酒は神様との距離を縮める聖なるものだそうですよ。ビールワイン日本酒焼酎ウイスキー、世界の人々はよっぽど神様に会いたいんでしょうね。千鳥足で神様に接近したところで「どうせみんな、こうなるんだよ!」と胸を張って言えそうです。言えたところでせいぜい見ず知らずの神様にぶん殴られるだけでしょうけど。翌朝には容赦ない現実がやって来ることも付け加えておきましょう。そうやって人は生きていくんですね、現世に何らかの痕跡を残しながら。

 

このシリーズはKO進学後の洋々たる末路とその少し先までを書くつもりにしております。正直、タイトル回収まで何回かかるのかよく分かりません。

 

18年間住んだ地元を離れて東京で一人暮らし。甘美な響きです。もちろん家庭内に東京の家賃事情に通じた者などおりませんし、東京近辺に知人がいるわけでもありませんから、家探しの目安になる情報がどこにもありません。土地勘もなく、地域を絞れないので不動産屋に行くことも出来ず、またどんな相談をしてよいものかもちんぷんかんぷんで、入学手続きのために再上京したとき三田キャンパスの校門付近で配ってた物件情報の中から選ぶことにしました。

……ぼろい商売にかかる田舎者の典型ですよ。家賃月額6万円とうたっておきながら、年間契約更新料が30万円。実質月額8万5千円。場所は東京の下町、池上です。みんなこの話をすると池上線って歌の話するんですけど、私あの歌知りません。なんのことはないワンルームマンション、しかもユニットバスで8万5千円は高い。今なら分かることがあの頃は家族にも私にも分からなかった。東京は怖い街だ。ジェイ・エス・ビーって会社なんですけどね、不用意に名前出したら危ないから訂正線でしっかり消しておこう。これから決める子達はせいぜい気を付けるがいいよ。住みたい場所の目星は自分でつけて、必ず地元の不動産屋に行くのがいいと思う。

結果的に、池上は日吉にも三田にも通学しやすいので引っ越す必要がない気楽さがあり、スーパー、お総菜屋さん、クリーニング店、理髪店、パチスロ店と生活インフラが駅周辺の徒歩圏に整ったほどよいサイズの街でしたので、4年間居ついてしまいました。ついこないだの東京勤務の2年間も池上でした。その話は長くなるからまた今度。

 

大学は基本的に何もしてくれません。高校までは受ける授業も出席も義務的に(義務ではなく、義務的に)全てが調っていましたが、講義の登録も出欠も何もかも自分で決める世界です。時間割を自分で作ったり、サークル勧誘にもみくちゃにされたり、一人の自立した人間として扱われるこの感覚に慣れるまで結構な時間がかかりましたが、水が高きから低きに流れるように、勉強主体から遊び主体の生活リズムに落っこちるまで大して時間はかかりませんでした。今まで死ぬほど勉強してきたんだから、人生の猶予を存分に楽しもうと思って選んだのが軟式野球サークルです。ボールも規律も練習もヤワヤワのユルユル、毎日ひたすら学生会館、通称「たまり」でだらだらし、ほどよい頃合いにはヒヨウラ(日吉駅を挟んで大学と反対側にある商店街)で麻雀打ってました。打ってましたとは言っても高校まで真面目一辺倒でやってきた私が麻雀のルールを知っていようはずもなく、ひたすら高い講義料を納め続ける日々でした。カモがネギを背負ってきたんですね。それでも大して強くならんかったし、引きに対する感覚が他の人と違うとか、お前は何が見えているんだとか、今と大差ないことを色々言われましたが。

練習は新丸子駅近くの多摩川沿いにある野球場を借りてました。要するに河川敷の原っぱに毛が生えた程度のところです。トンボで均されているとはいえ散水してませんから砂埃が舞うんですよ。練習が終わるころには口の中がじゃりじゃりで苦労しました。2時間程度でやれることは限られてましたし、大して上手くもなりませんでしたけど、体を動かすにはちょうど良かったです。大学の授業にも体育はありましたけど、あんまり受けたいとは思わなかったし。

 

……書くだけでクサイにおいが漂ってきそうな話は置いといて、サークル加入の目的はデキる先輩たちが周辺の短大やら女子大から引っ張って来る合コンでした。学部をまたいで男友達がすぐ出来たのは良かったんですけど、みんな目的は合コンでした。大学生になったら合コンが出来る。僕たちKOです。はいもうこれだけでモテまくり。私の想像はこうでした。

でも気付くの早かったですよ。KO生はここにいる野郎たち全員だったことに。

 

じぇ「お相手はどちら様ですか」
先輩「フェリスだよ、超ノリいいから大丈夫」

 

バットは日吉のたまりに置いてきて、私物のグローブやスパイクが入った道具袋を提げて、東横線に揺られて意気揚々と渋谷センター街へ。今はなくなりましたけど、掘りごたつ式のよくある居酒屋で「北の宿」という演歌みたいな名前の店でした。さすがに練習着ではないけれど、普段着に着替えただけで、銭湯に行く間もなかったのでシャワーも浴びず土埃も落とさず、野暮ったいなりをした20歳そこいらのイモ兄ちゃんが雁首揃えた向かいには、バッチリメイクとオシャレないでたちの女子大生。その靴はどうやって脱ぐんでしょうか。あと、なんかシマウマみたいなバッグ持ってる子いるんですけど。色使いがなんと言うのかこう、ピンクと白と黒?フラミンゴ?これをコーディネートというのかな?戦支度が違い過ぎる。始まる前から敗色濃厚な私たちの口から精一杯出てきた言葉は

 

「みなさん、その、とってもおきれいですね」

 

だめだ終わった。宮尾すすむのような手つきでそちらのみなさん方のことですよと言わんばかりのポーズで固まってしまった私を、時空のひずみを乗り越えて、KO生のクセに気の利いたほめ言葉一つ捻り出せないこの口の左ほほを思い切りぶん殴ってやりたい。

先輩たちがどういうノリで行くのかリードしてくれるのかなと思ったら、これまたひどいんです。

 

「みんなどこからきたの?」
「フェリスですけど……」
「うん、あーそうなんだ、僕ら一応KOね、こいつら1年だから気が合うと思うよ」
「え、みんな年下?同い年って聞いたんですけど」
「え?あ、え?そうなの?」

 

だめだ終わった。さっきとっくに終わってたけどもう建て直しようがない。本当は2年生なのに2回目の1年生をしているらしいこの先輩はとても優しいんですけど、何にも教えてくれないどころか、手違いをやらかした。その後も詳しく覚えてませんけど、なんとかフォローしようと大して上手くもないメソッドで得意げに話すもんだから、身動きできないコンディションに陥るんです。男が聞いててもつまんない話に、蝶よ花よの女子たちがウキウキするわけがない。壊滅的。3,000円さようなら。この投資は無駄にはしない。

そうだよ、KO生ってだけでモテまくるはずがない。それに先輩はダメダメだけどちゃんとコネ持ってた。頑張ればコネくらいは何とかなるかもしれない。当たり前の現実がようやく見えました。この場に決定的に欠けているのは意思疎通の力でした。女子相手に怯んでいてはいけない。こないだまで手をつなぐのだってドッキドキだった奴が、たった1回の合コンで大した成長ですよ。

 

大学生は自分から行動を起こして経験を積んで学ばなければ何一つ手に入らないこと、4年という時間的猶予が存在する中で自己を形成する強い意思が必要であることを思い知ってからの私は、週2回の合コンに必ず参加して(よく体がもったな)、彼女たちを喜ばせるトークスキルを上げること、まだ1年生ですけどお酒もほどほどに飲めるよう頑張ることを目標に、とにかくたった一人でいいから「彼女が欲しい」という気持ちに応えてくれる女の子を見つけようと決めて取り組んできました。そういう努力の仕方は高校時代に培った何らかの精神的なものが役に立ったんでしょう。おかげでトークスキルは関西弁から想起されるイメージ程度には向上し、お酒もほどほどに飲めるようになりました。

そして20回を超えて数えるのをやめたころ、夏の合コンvs跡見女子短大で、ついにいい感じの女子とお話しできて、電話番号とメルアド交換もして、やっぱ違うねKOは!と胸張って言えそうな状況になりました。跡見グループとはその後横浜の花火大会に出かけたりしました。彼女は桃色の浴衣に身を包んで現れました。他の子たちもそれはそれは気合の入った夏の装いで、その一方で相変わらず私の服飾センスは垢抜けないを通り越してダサいの領域から抜け出せないありさまで、それでもみんな親切で、たのしく観覧できたのを覚えてます。

当時の私には、自分で服を買うというコマンドが存在しなかったのです。高校までおかんから買い与えられた服を何の疑いもなく着ておりましたのでセンスなどあろうはずもなく、ようやくそれらしきものに目覚めたのは30を過ぎてから、それもアイドルマスターの画面の中の女の子たちのコーディネートを真剣に考えるようになってからだったのは、今は置いときましょう。話がぶれすぎる。

体の芯に響く音を立てていた花火が終わり、片田舎では見られない打ち上げ数で、私は頭の奥がぼーっとしてました。そのまま野外プレイスポットになってるらしい山下公園の脇をドキドキしながら抜けて、東急とJRに分かれるところで彼女と2人きりになり、いろんな話をして、その日のうちに持ち帰ってとはいかず、いい感じにメールのやり取りを続けていた夏休み間近のある日。

 

先輩「部長がさ、あの子とヤったんだって」
1年「へぇぇ、浅黒くてかわいい感じの子でしたもんね」

じぇ「……………………」

 

大学生になってもね、私、ナディア探してたんですよ。違う違うそうじゃない、今重要なのはそこじゃない。続きは次回。