working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

∞8再評価

皆様こんにちは。エンドレスエイトを13年ぶりに見ました。

朝倉涼子はみんなの心に潜伏している

13年前とは2009年4月、1期の再放送を交えて2期が放送されたときです。時系列が完全に整理された状態で憂鬱6話と退屈が終わり、てことは次こそ新作じゃね?と期待が集まった第8話が予想通りの笹の葉ラプソディで、しかしながらハイビジョンではなく画面縦横比4対3にスペックダウンという微妙なテンションになったことは棺桶に入るまで忘れません。

ジョン・スミスがみくるちゃんをおんぶした次の話でまた1期に戻り、黄緑さんの彼氏の家でカマドウマに追いかけられ、その次は名探偵コナンの前後編でした。船内でキョンの妹長門を「ユキちゃん」て呼んでたのが可愛くて、SOS団は誰もそう呼んでないよな、その後も呼ばれたかに見えて呼ばれなかったな、悲しいな、あのとき長門は何かに気づいたんだねと広がってゆく回想の翼はいったん畳みます。まだ数百字も書いてないのにキュンキュンしてきた。

 

その後に始まったのがエンドレスエイトです。夏休み後半の14日間を15,000回以上もループする様相を全8話にわたって再現したその内容に、当時は賛否両論が巻き起こりました。

いや、賛なんて目に入らなかったな。同じ話を何度も見せるのは演出といえるのか。再放送交じりの新作枠が1クール分しかないのに、その3分の2ほども投じる意味があるのか。こりゃ京アニさん大失敗だよ。絶対神聖視してた人も目が覚めたんじゃないですか。当時の私は旧ブログでそんなことを書いてました。アホですね。

少し前の2018年にエンドレスエイトを前衛芸術の視点、憂鬱のエピソードで古泉一樹が滔々と語る人間原理理論(あの人間原理は正確ではないという意見も散見されますがよく分かりません)の視点から再評価する試みが書籍化されたようです。自由だな東京大学

著者ご本人によるブックレビューを読んでもいまいち何が書かれているのか私にはピンときませんでしたがご紹介しておきます。いつか手に取って読むこともあるでしょうか。

www.u-tokyo.ac.jp

読んだ人の感想がAmazonレビューに掲載されています。分析方法論を除いて(そこ一番重要だろ)、私がやろうとしてることそのものぽいです。こちとらアラフォーの会社員が片手間に書いてるブログなので知的滋味もへったくれもありませんが、この文章における私の目的はエンドレスエイトをどう見れば面白いのかを出来るだけ多くの人に伝えることです。

エンドレスエイトの驚愕: ハルヒ@人間原理を考える | 三浦 俊彦 |本 | 通販 | Amazon

 

2期における新作は14話あり、笹の葉ラプソディ(1話)、溜息(5話)、エンドレスエイト(8話)の比率を見るとエンドレスエイトにウェートをかけ過ぎているように見えます。私は「同じ話」と書きましたが、京アニが一切の作業コストを省略してまるきり同じものを垂れ流していたわけではなく、同時期にTBS系列で放送していたけいおん!にリソースを傾注していたわけでもなく(そういう面もあったのかもしれませんが)、カット、アングル、色、服のデザイン、セリフ回しに至るまで、その演出意図が見ている側に伝わったかどうかはともかく差異を挟んでいます。

それでも。リアルタイム視聴していた私はエンドレスエイトがいつ終わるのか分からず、もしかしてこのまま新作枠を食いつぶすのではないか、その最後に訪れるカタルシスがいかほどであっても許容できないのではないか、そんなことを考えてました。許すも許さんもただ見てるだけのお前に何の権限があるんじゃい。アホですね。8週目でやっと抜けたときの解放感と安堵感はありましたが、演出方針に対する理解が及ばず、その後に続く「朝比奈ミクルの冒険」メイキングエピソードに相当する溜息5話の評価もエンドレスエイトに引きずられ、私の中で2期の立ち位置は微妙なものになってしまいました。

 

いつか再評価する機会があると思って購入したBlu-rayコンプリートボックスを取り出したのは、前々回書いた射手座の日と野球回の退屈を見るためでした。あの痛ましい事件から3年目を迎えたことがきっかけで、見るのは今しかないと直感的に思ったのです。新オープニングのSuper Driverが軽快に流れる中、キャラクターデザイン・池田晶子総作画監督西屋太志、団長補佐・武本康弘のスタッフクレジット。京アニらしさを体現していた3人を一時に失ったことは唯一無二の国宝級技術を失ったに等しく、もうこのタッチの絵が見られないことへの悲しみと同量の、事実の重みがあります。著作権管理上望ましくないのですが、画面接写を使わせてください。

盛大に胸張ってる団長 やっぱりかわいいよね

こんな吊り眉でもデッサンが崩れない、ギラギラした雰囲気と、しっとりした色気を含んだ華やかさを同時にまとった美少女を描ける人は今、日本国内にどれほどいるでしょうか。新オープニングの涼宮ハルヒはヴィヴィッドです。日本語で言うと元気ハツラツ!オロナミンCの「はつらつ(溌溂)」。肩を怒らせて歩く様子すらキュートに見えます。めいっぱいストライドを伸ばして走る様子は競走馬のように優美です。当時30過ぎの私が恋をするのも当然です。

ワクワク感とともに始まった13年ぶりのエンドレスエイトの演出を理解するのに時間はかかりませんでした。8話で終わることが分かっていることの心のゆとりは絶大でした。物語の中で最も精神的負担を強いられている長門有希の微妙な変化にこそ見どころがあり、14日間のループを15,532回、太陽暦換算で約596年を、世界でただ一人、全ての記憶を保持したまま観測していた彼女の物語であることを再確認しました。方法論的にもう少し詳しく書くと、長門の姿が映るたびに映像を静止し、背中、頭の斜め後ろなど、表情以外の部分にも何かあるのではないかとの前提で細部にわたって観察しました。演者の茅原実里さんの声色にはほとんど注意を払いませんでしたが、茅原実里さんが妻帯者を絡めとるほどの美BODYには大変興味があるのでぜひとも観察の機会をいただきたい

 

……私が言葉を費やすまでもなく、テレビアニメの涼宮ハルヒシリーズは全て長門の孤軍奮闘、献身的武功を称えるサーガであり、気まぐれな全能神・涼宮ハルヒに名義貸ししていただけと言えばそれまでなんですが、特にエンドレスエイトは画面の外の人間たちはたった7回のループ、8回目の脱出で音を上げたというのに、彼女が地球人類だったら発狂するレベルで本当によく頑張ったのです。この事件から3か月半後の12月18日、現に彼女は発狂して神を殺すに至るわけですが、そりゃ反逆したくもなりましょうて。

 

長門の変化は回を追うごとに深刻になるわけではなく、放送2回目からその表情に疲労が色濃く出てきます。バッティングセンターで見せた顔は女子高生のそれではありませんでしたし、3回目では表情が読み取れない影で覆われ、以後キョンに呼び止められてもどこか憂鬱、退屈な顔をした長門と相対することになります。彼女は観測が任務だから何も助言しないというのですが、何千回も同じようなことを繰り返す意味について何も考えないわけがなく、意識せずとも退屈になる、疲労することを知らないのでしょう。だって恋愛すら知らない宇宙人の女の子なんですから。

そんな長門の退屈疲労表現は放送5回目に至って究極に達します。1万回以上繰り返してきた自宅マンションの屋上からの天体観測で、ついに顔すら映らなくなり、ただひたすら空を見上げる長門の背中が描かれるのです。背中で語るのは本物の漢と雀士しかないと思ってましたが新たに長門をつけ加えたい。6回目以降は表情が削ぎ落され、諦念を含んだ無表情、見ようによってはアルカイックスマイルにも思える、人間の感情に分類しがたい何かが出ている状態になります。もともと無表情な子なのに、平和な時の無表情とは明らかに違う顔です。そして記憶を失っている涼宮ハルヒ以外のSOS団メンバーに、嫌な顔一つせず同じ説明を繰り返すのです。

 

長門は観測に徹するため、発生事実に変化を加えないよう盆踊りと金魚すくいを兼ねたイベントで必ずお面を買い(お面は毎回デザインが異なりますがどれも宇宙人ぽいものです。自分の似姿として買ってるんでしょうかね)、キョンが支払おうとするのを毎回拒否します。何も覚えていないキョンは「何となく世話になっている気がしたので」おごっても良かった気がする趣旨の発言を8回繰り返すのですが、ここで言う「世話」は長門の現状局面における無為を指しているのだと思っていたら違いました。長門は今起きている事象を観測し続けること以外に、全能神・涼宮ハルヒに異変が生じたときは粉骨砕身して世界を維持するためにSOS団に組み込まれた安全保障装置です。憂鬱のエピソードで現状変更を試みた朝倉涼子の排除を目の当たりにしたキョンは、長門が陰に陽に何か苦労していると日ごろから思っていて、それが現段階では何を指すのかうまく言えないけれど、守られている感覚があったのでしょう。

それは言い換えるとキョン長門に対する恒常的依存であり、何かがおかしいと感じ始めてから長門に声をかけたのは、この事態を打開できるのは長門しかいない期待からなのだろうと思います。

ところが逆に、キョンに声をかけられた長門は、それまで見せていた疲労と退屈と憂鬱の表情から一変して、何かを期待するかのように目を見開いてキョンを凝視するのです。キョンは放送2回目以降毎回長門に声をかけるのですが、長門は決まって希望を見出したかのような、ほんの少し明るい表情になるのです。そのパターンも回ごとに異なりますが各自ご確認のうえキュンキュンしてください。これを本放送で見落としていた自分がいかに狭い視野になっていたか痛感しましたわ。

長門はずっと知っていました。キョンが全てのキーであり、それはいつぞや自宅マンションで大量のお茶を飲ませながら滔々と語って聞かせたから、キョンも分かっているはずだと。ただ、観測者であるために積極的な介入が出来ず、何をどうすればいいか言わないのです。いじらしいじゃないですか。そこまで知っていながら正解を言わないことが、どれだけ人間にとってしんどいことかを彼女は理解していないのです。そして、彼がこのように自分を頼りにしているのに、何も出来ないもどかしさを何と表現するのか、知っていても自分は観測者だから関係ないと、およそ人間離れした感覚で接するのです。

 

そして8回目のループ脱出でついにキョンが「俺の課題はまだ終わっちゃいない!」と声を張り上げて涼宮ハルヒを振り向かせ、そこから怒涛の勢いで全メンバーに自宅招集号令をかける様子を見ていた長門が、

 

あの無表情の長門が、

 

疲れ切っていた長門が、

 

肯定も否定も「そう」で済ませる長門が、

 

ほんのちょっとだけびっくりした顔で思わず頷くのです!!その視線は不肖の息子がついに一人立ちしたことに感動した母親のそれであり、今まで何も主張しなかった彼氏が突然頼もしく見えた彼女のそれであったように見えました。長門の最後の挙動は、たった8回のループで辛抱がきかない我々のための十分なカタルシスへの導線として機能しているのです。その後の涼宮ハルヒが団長権限を無視したキョンを罵りながら詰め寄り「私も行くからねっ!」と悔しそうに宣言する手前だったのです。

 

私、やっと分かったの。長門はこの前後からキョンに恋してたんだなって。日頃どんな本を読んでいるのか知らないけれど、部室に置いてある文物には少なからず恋愛に関する描写もあったはずです。長門は概念として恋愛を理解していたけれど、実感としては全く理解していなかったのです。590年以上も1人の男子がどのように行動するか見つめ続けるなんて、好きじゃないと出来ないですよ。好きでも出来ないな。情報統合思念体の意思によって世界への積極的干渉が禁じられているために、その思いを表現することが出来ない苦しさの原因を彼女なりに解決しようとしたのが、12月18日の巨大時空震であり、長門が恋をしてもいい世界に書き替えてしまえばいいんだという暴走を生んだのです。地球人類と触れ合うことで、地球人類の気持ちに目覚め、その回答が涼宮ハルヒの完全消去ではなく遠島、切り離しという、キョンの意思に運命を委ねることだったといういじらしさ。いい子じゃないの。

 

……以上が私のエンドレスエイト再評価であり、同時に涼宮ハルヒの消失につながる最大の原因となった事件としての評価であり、私の知らない多くの涼宮ハルヒファンが試みたであろう、長門を軸にした再解釈を、初めて私なりに文章化してみました。大変な長文になってしまいました。おつきあいいただきありがとうございました。

要するに長門LOVEなんです