working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

据置機は彼岸への渡し船

皆様こんにちは。PSシリーズには電源オン時に独自の起動音があります。

説明の手間が省ける動画がありました。それにしてもYouTubeはなんでも落ちてますね。これを見ることでコントローラを握ってるプレーヤーにも「今からゲームをやるぞ」スイッチが入って集中モードになると思ってます。一番好きなのは初代PSなんだな。ものすごく張り切って作ったんだろうなってのが伝わるから。

 

ところで、日本国内のPS5流通は発売以来ずっと滞っています。

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北米市場優先と言われている理由がこの記事にも書かれていますが、日本では相対的にソフトが売れないために利幅が薄く、マイクロソフトとの競合が激しい北米を主戦場とするSIEの経営判断という結論になっています。ハードの出荷台数が少なければそれ以上にソフトが売れることはなく、ソフトが売れなければハードの出荷台数も絞られるという、収斂していくだけのしんどいスパイラルのようにも読めます。

私が気になるのはソフトが売れない理由です。PS5発売からぼちぼち2年経つのに、日本国内の新作ソフトはPS4とのハイブリッドが主流で(ないこたないけどPS5がそんなにないんだから仕方ない)、それなりにいるはずのPS4ユーザの購買力が不景気やら低賃金やらで低下していることもあるのでしょうけど、その理由について、ここからは特に根拠のない話をします。あてずっぽうです。

 

①ソフトに金を払う感覚が一般的ではなくなった。

スマホゲームアプリはほとんどが基本プレイ無料です。タダで遊べるなら高いお金を払ってわざわざ自宅据置のハードやソフト買ったりしませんわね。つまり日本のゲーム市場を支えてた層の大半はライトユーザであり、安く遊べるスマホゲームに移行した後は微課金でちょっと楽しけりゃいいや程度の興味関心だったんでしょう。ゲームはやりたいけど、高い据置機までは欲しくない。そこへスマホという新しい選択肢が出来たので雪崩を打って流出したってところじゃないですか。

その一方で、全体のほんのわずかしかいない、ゲームで強くなることに病的な執着を持った人たちによる、アイテム取得やプレイ制限撤廃(最初「拡張プレイ」て書いたけど意味が違ったわ、菊門は大切にね)を目的に、私達の理解と常識を超えた金額が注ぎ込まれることでゲームの屋台骨が支えられる、この上なく歪な収益構造が出来上がったものと推察します。

ゲーム廃人とか廃課金兵とか侮蔑的に呼ばれることの多い彼らですが、彼らがいないと成り立たないプラットフォームのうえで遊ばせてもらってるのが実態なのかなと。事実、トップクラスの課金額を誇る一握りのユーザはベンダ主催のパーティーに呼ばれるそうじゃないですか。可愛い女性声優さんと握手会とかポラ撮影とか夜伽とかしてもらってるんだろうか。うらやましいぜクソッ!ちょぼらうにょぽみ先生が知ったら発狂するやつや。

 

②ゲームとの向き合い方が変化した。

そもそも家でじっくりやるもんじゃなくなったのかもしれません。スマホがあればどこでもゲームできるので、据置機やソフトパッケージにこだわる必要がない。ポケモンGO駅メモのような外出を前提とするゲームの登場は、ユーザの意識に革新的な変化をもたらしたと思います。ひっきりなしに微課金を誘ってくるUI、収集欲をそそる画面レイアウト、一度課金し始めたらずるずると引き込まれて行く中毒性。据置機にもDLCはありますがせいぜい数万どまりのところ、果てしない課金を可能にしたスマホの恐ろしさたるや。

ただ、どこでもゲームが出来るライフスタイルが定着すると自律神経に変調をきたしやすくなります。通勤通学中も、仕事中も、食事中も、寝る前も、下手したらトイレ中まで、ゲームの事ばっかり考えるようになってしまったら、必ず(必ずです)日常生活に何らかの影響が出ます。毎日いつもイライラしたり、すぐに攻撃的な言動をしたり、ものを思い出しにくくなったり、便秘になったり、息が臭くなったり。知らんけど。

 

③ゲーミングPCの台頭。

Steamはゲーム販売のプラットフォームなのでゲーミングPCとは異なりますけど、配信型でライセンスだけ売るタイプのゲームが出てきたら、変態的な物欲でもない限り据置機だのパッケージソフトだのは必要ありません。しかもアカウントさえ持っていればデバイスも横断できちゃうなんて、えらい時代になったものです。ソフト=ファミコンであり、モノだった時代の藤田屋事件は記憶の遥か彼方の話です。彼方ちゃんは大歓迎だよ~。

ゲームをPCでやるといえば、私たちの時代はエロゲーもしくはギャルゲーでした。「どんなのやってんすか?」て人に聞かれたら三国志とか信長の野望とかソーサリアンとかイースとかソリテイアとかマインスイーパとか答えてましたけど、ほぼ100%エロゲーでした。エロゲーは時間がかかるんです。ヒロイン一人をチョメチョメするまで20時間はザラでした。

今やPCでゲームと言えばオンライン全盛、オンラインにあらずんばゲームにあらずの世界になりました、ペッペッ。国内外のユーザと協力プレイ?ソロプレイならいざ知らず、自己決定権がない状態で?仕切りたがりとイキリに指図されるまま?赤の他人と一緒に敵チームと対戦?ミッションに成功しても失敗しても、腕前が同等以上で当たり前、劣っていようものならアホほど非難される。そんな環境、ちょっと考えただけでも反吐が出そうです。

 

ここで私はいつも、ドラクエを愛してやまなかった女優・淡路恵子の金言を思い出すのです。

 

「ゲームなんてものは、ひとりで自分のHPやMPを高めていって、99まで行くものなの。なんで赤の他人と一緒にやらなきゃならないの? まあ、あれは会社のどういう意向か知りませんけど、(それまでの)『ドラクエ』がどれだけみんなに愛されているか」

 

元記事引用からの孫引き↓

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冒頭の話に戻るんですけど、淡路さんはオンオフが極めて明快だったんでしょう。なんせカッコいい人でした。女優業をやるときは役に没頭し、家や宿所に帰ってプライベートに入ればドラクエに没頭する。据置機の電源オン画面は此岸と彼岸を隔てる三途の川で、その向こうは一人の世界で、誰にも邪魔されずにゲームが出来る、電源を切ればこちらに戻って来る、そういうものだろうと私も思うんです。

残念ながら淡路さんは8年前に彼岸に行ったまま帰らぬ人になりましたが、スマホゲームはゲームをより身近にしたようでいて、実はゲームに集中する環境を奪ったんじゃないかなと。もっと言うと、ゲームにも実生活にも集中できない環境にしたんじゃないかなと危惧してます。

例えば電車の中。ほとんどの人がスマホを片手に何かやってます。まぁだいたいゲームかSNSです。日経電子版を読んでる人なんて見たことありません。それは別にいいんですけど、私が一々カチンとくるのは、乗降の予備動作を一切しないことです。電車に乗ろうとするとき、降車する人を待ってから乗るのが一般的なマナーですが、スマホ画面に夢中になっている人は降りるテンポがワンどころかスリーテンポ以上遅れます。降車の波が完全に途切れたところへ駆け降りるものですから、乗車の人とぶつかりそうになるので危ないことこの上ない。ぶつかった拍子に転倒して大けがさせたとか、客同士が口論になってナイフで刺した(なんで持ってんねん)とか、そのうち未曽有のトラブルを引き起こしますよ。

 

……今の日本を取り巻くゲーム事情と、スマホの普及によってゲームに集中できない環境になったんじゃね?ってことをくだくだ述べました。これってつまり社会が豊かになるどころか、只々他人に無関心な、メンタリティの貧しい、今自分が取るべき最適行動を考えない社会になってるようにも見えるんです。

牽強付会が過ぎると思われるかもですけど、昨日国葬が執り行われた安倍さんの下手人に共感する人間がたくさんいるのは、自分の境遇と重ね合わせられる人(主に経済面で)への共感に過ぎず、逆に経済面で恵まれているのだろう殺されてしまった安倍さんやそのご遺族に対する共感など必要ないという、怖いほど短絡的な割り切りが瞬時に行われていることも無関係ではないような気がしています。これが分断かと、肌で感じています。