working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

WBレクイエム

皆様こんにちは。先日、会社OBが多数集まる宴会がありまして、その段取りを監修する立場になかったのでほとんど気を抜いて座っていられると思ったら、お店側のホスピタリティが足りなさ過ぎてあれやこれや気を回して動かねばならない羽目に陥りました。

高齢者にはきつい手羽のから揚げ、ローストビーフ、締めのパエリアが出てきたのもつらかったけど、それ以上にこの季節、野外吹き抜けの会場なのにあったかいお酒がなく、日本酒は冷しかなく(その冷も瞬間蒸発)、赤ワインも白ワインも一様に冷やし(手でグラスあっためて飲んでみて、あー、やすいワインだと分かってしまう私の高貴な舌の罪深さ)、焼酎はロックと水割りのみ。山積みになってるブランケットを出席者に配り歩いたり、乾杯発声するから1杯目はこの数をテーブルに持ってきてねって事前に言ってるのに「グラス交換制なのでカウンターに取りに来てください」とかわけわからんこと言われて、乾杯するのに誰が行列なしてドリンク取りに来るんじゃいとか憤ったり、なんとなく覚悟していたとはいえ大変でした。

 

気を遣うシーンが多くておちおち酔っぱらえませんでしたので、近所のビアパブで一人飲み直したくらいです。酒はいいね。酒は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。

いいお店は忘れない

飲み直しながら改めて考えました。事前打ち合わせ勢は何をしていたのだろう。なぜあんなに色々足りない宴会になってしまったのだろう。安くない金を払ってあの内容はないよなぁ。もしかしたらコロナ禍の2年余りの間に、店も客も宴会の仕方を忘れてしまったのだろうか。以前も書いたように、酒の味は究極どのようであっても、宴会の価値は誰と飲んだか、話したかに大きく左右されるのでそのセッティングが大きく影響することはない、ないとはいえしかしと言わざるを得ない。

 

大阪は川沿いのロケーションが魅力的とよく言われます。ただ、その界隈の飲食業全てとは言いませんが、ショバ代だけでやってるんじゃないかと思うことがときどき、まあまあ、かなり、いや例外なくあります。お酒や食事の「おいしい」とは何かを知っている者には縁のない、小金持ちの若い男女がやってきて「通」ぶりたがる店ばっかりです。オールハイル、ブリタガリ

ビールと高アルコール飲料の管理は、サーバを毎日洗浄したり、直射日光の当たらない涼しいところで保管すれば(あとはバーテンダーの腕次第で)おいしいと言えるんですが、味の差が顕著なのは日本酒とワインです。この2つに限っては信頼できるお店でしか飲めません。信頼できるお店。ただしくは、信頼できたお店。反射炉IPAを呷りながら次に考えていたのは、今年初めに廃業してしまったバーのことです。

 

先代オーナーが亡くなってから閉めていたバーの再開を引き受けた友人の依頼で、2018年5月の開業に合わせて色々手伝いに駆り出されました。お店が軌道に乗って続いてくれたらいいなと心から思ってましたし、なにより彼はカクテルをはじめ酒をこしらえるのがうまいので、出来る範囲でお手伝いしようと決めていたので喜んで引き受けました。幸い近隣に競合しそうな店舗もなく、客筋のいい常連さんがある程度ついて、ある程度うまく行っていると思ってたんです。

ただ、経営状況を聞いているとどうにも芳しくない。飲み代だけでは足りないということで、映画に興味のあるお客さんを対象に色々なイベントをやり始めました。確かに、常連さんも毎日来るわけではない。イベントで集客を図って、認知度を上げていくのも大切なことだ。私も毎日通ってたわけでは……いやほぼ毎日通ってたな。体調が悪いと称して、このバーで知り合った彼女がセッティングしてくれた上海蟹の宴をドタキャンした夜にも通ってたな。他の常連さんに「なにしてんすか」て怒られるくらい通ってた。

経営に関して、正しく経理処理できる人がいなかったのは痛いところです。もっと痛い、正しくはイタいところがあるのですがそれは書きません。というか書けません。地代家賃はオーナー持ち(これ既に破格の好待遇やないか)なので、人件費と水道光熱費仕入以外の経費が思いつかないのですが、そういうのを一元的に管理して損益分析してなかったんです。それが露呈するのが、コロナ禍の営業補償、一時金の受給申請に必要な書類を用意できない話を聞いた時でした。オーナーが地代家賃を証明できるものを持ってないというんですが、ほんまにそれだけかと思ってしまった。

人を集めることが難しくなり、営業時間の制約もあり、徐々に経営状態は悪化していたのでしょう。ここは常連チームが飲み支える時だと思ったので、以前にもましてお金を落とすよう心掛けていたのですが、ある日こう言われました。

 

「カウンター席を撤去します」

 

最初はそうじゃなかったのです。カウンターが店の奥にあり、そこに集まるように座っていると、入りにくい店に見えてしまう。だから常連さんは扉から見えない位置に座れと言われていたんです。ごもっともだ。興味はあるけど入りたいお客さんを呼び込みにくい状態になっていることには多少自覚がありましたから、みんな指示に従いました。それがどうエスカレートしたものか、ついに撤去。

 

「これは常連排除なのかい」
「席はばらけますけどこれまで通り使っていただけたら」
※LINEで3時間超の応酬を極限まで圧縮

 

これまで通り使えねぇじゃねぇか。

彼が言うには、常連さんが常連然として座っているだけで、つまり固まって会話するその姿勢がダメなのだと。止まり木にたかる楽しみが失われた後、彼はさらにイベントのバリエーションと回数を増やし、違う種類のお客さんの認知度向上に腐心しました。

それに手ごたえを感じたのか、以後はイベント限定入場日が増え、不定期休業も増えました。たまにイベントに申し込んで参加しても、他に誰が来ているのか分からない不安感があると常連さんの足は遠のきます。ある時なんか、イベントに参加した常連さんが、ほかの客の振舞いで不快な思いをしていることも放置して、新しいお客さんにへいこらしていました。

 

無自覚的な客の選別に至った理由が、私を含む常連さんにも多少はあったのかもしれません。経営が芳しくないことで自身の報酬も返上して営業しているのに、お店も自分も報われない状態が続いていたとすれば、変えようともがくのも理解できます。しかし常連さんは、何かお店に迷惑をかけましたかと問うてみたい。新しいお客さんにみだりに話しかけたり、酔いつぶれて吐きまくったりクダまいたり、バーの常客として品位を欠く行動をしましたかと。

私は迷惑かけました。かけまくりました。営業時間無視して早朝までやってもらったこともありました。寝てたこともありました。お店を汚すような真似はしませんでしたが、お金払って店内BGMをアニソンだらけにしたこともありました。そういうことの積み重ねが彼の堪忍袋の緒をちょん切った可能性が1%もないとは言えない。ただ、それら一切も、オープニングメンバーとして無償労働を提供するくらいの関係性なのだから、ダメだと思ったら断ることも出来たと思うのです。

……だからこそ断れなかったのかもしれないけど。

 

2021年の夏が終わるころ、私はお店に顔を出さなくなりました。行っても誰にも会えないのでは行く意味がありません。何の約束もなくフラッと入ったところに知ってる顔があることのありがたさを教えてくれたお店から、無言のうちに「お前は邪魔だ」と言われているような気がしました。

 

「彼はバーをやりたかったのではなく、お酒で人を喜ばせたかったんでしょうね。バーをやるというのは必然的にすべてを管理することになるので、そういう意味で彼は経営者や店長のたぐいではなく、一人のバーテンダーだったんでしょう。今は喜ばせるベクトルが必ずしも酒に頼らなくてもいいことに気づいたようなので、イベントに傾倒してるんだと思います。これに加えて、彼は自分が与えているという感覚器を持っているのに、人から何かを与えられている感覚器が壊れているのか元からないのか、そのことに対する感謝が一切ないんですよ。なんかみんな勝手に集まってくれた、勝手にやってくれた。自分を軸に人が集まっていることへの自覚がない。時と場合によりそれは『絆』であったり『しがらみ』であったりするので、人間関係に振り回されずにやりたいことに邁進できるのは得な性分と言っていいでしょうけど、取り残される人たちは釈然としませんよね。僕の知ってる限り、彼はそれを繰り返してます」

 

私より長い付き合いのある古物商の友人の話はすとんと胸に落ちました。

 

最終営業日は緊急事態宣言直下で、ゴールドステッカー認証もないため酒類提供も出来ないのにお店の入口が開いていて、なにも提供しない店長と副店長がいたそうです。私は顔を出さなかったのでどんな様子だったのか知りません。そのうち改めて聞く機会もあるかもしれませんが、大して興味もありません。現在、彼は大阪のとあるオフィスを借りて、そこで寝泊まりしながらイベント企画立案を生業にしているそうです。連絡もついぞ取ってません。副店長もほぼ住み込みのようです。別に他意なんてないですけど、たまに昔の嫁がらみのことで連絡すると、どうでもいい用事と比べて240倍のスピードで返事がきますが、そんなこと書いたら私の人間性を疑われてしまいますので、誰も読めないように丁寧に取り消し線で削除しておきます。

 

ただ、お店は常連さんを置いてけぼりにしたことで、集まる機会を置き土産にしてくれました。かれこれ1年近くになりますかね。家をクリーンに保つ動機付けにもなってありがたいことです。おかげでいつでもデリヘルが呼べる。

 

「お客さん、何軒目ですか?」

 

と聞かれて物思いから呼び戻されたのは23時過ぎでした。反射炉IPAに始まり、ハーパーソーダボウモアロックを挟んで、最後はヴァイツェンとめちゃくちゃに杯を重ねて酔っぱらいました。そういえばこのお店も10年以上前、古民家を改築して出来立ての頃に入って以来長く続いてます。ホスピタリティって思ってた以上に難しいもんだなぁとか訳の分からんことを考えながらふらふら帰りました。おしまい。