working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

大学と私(6)

皆様こんにちは。5ヶ月ぶりにあの続きを書く事にしました。あの頃の爛れた暮らしの続きと言うほどの続きがなく、せいぜい3か月少々の付き合いだった彼女との思い出もたくさんある訳ではなく、これまで断片的に他記事で触れていたことのつぎはぎになってしまいますが、ご容赦ください。このシリーズの直前エピソードのリンクを貼っておきます。

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大学が夏休みに入り、特にやることのない私と彼女は狭いワンルーム半同棲の暮らしを始めました。以前の隣人が彼女を連れ込んで事に及んでいる様子がどうしようもなく聞こえてきましたので、最近引っ越してきた両隣のサラッピン男子学生どもに聞こえよがしにしていました。真昼間に外出して、すぐ近所の日蓮宗大本山にお参りして、そのまま家帰って一緒に冷水のシャワーを浴びて洗いっこしたり、カーテンの隙間から日差しが入り込む部屋でせっせこ励んだりしました。有頂天でした。

半同棲が始まってこのかた、ひとりの時間が一切なくなりましたが、この時は全く苦になりませんでした。夢中になってたから。不毛の合コン時代にあれだけ望んでも手に入らなかった彼女が出来たし、その彼女と四六時中イチャコラできる幸せを味わい尽くしてました。そして夜の盛りの後に果てた頭で、この子の何を好きになってこんなことしてるんだろうと考える、その繰り返しでした。その先を考えなくていい、頽廃の時間でした。フッ。彼女なんて、出来てしまえばどうということはない。

 

ある日、彼女が裸でまとわりつきながら私の耳たぶを執拗に甘嚙みの唾液まみれにした後、尋ねました。まったく、しつけのなってないペットだぜ。

「地元に帰らないの?」
「今年は別にいいかな、寂しくないし」
「ふぅ~ん、うふふ」
「なにがおかしいの」
「帰るんだったらついていこっかなって」

それは考えていなかった。もし彼女を連れて帰省したら、あのおかんおよび妹がどんな顔をするか。半同棲を続けるうちに、有頂天の私ですら内心イライラしながら看過してきた諸々の事象に、過剰な敵意で噛みついてくるだろうことに気づいてました。好きかどうかも分からず肉体関係を持ってしまった彼女はいわゆる「女に嫌われる女」でした。構成条件のひとつひとつはさほど目に余るものではなくても、集合して一人格を形成したとき、周囲にまき散らすフラストレーションの圧は容易に想像できました。

ただ、私はそれを我慢しながら全部受け入れてました。その許容が愛とでも呼ぶべきものなら、私は彼女を愛していたのかもしれませんし、感情より先に肉体が結合した、性欲に任せて抱いてしまった私の後ろめたさから何も言えなくなっていただけかもしれません。一般的に想像される彼氏と彼女の関係とはどういうものなのか、その後いくつか経験した中でも私は例外なく性欲に負けているので、これがきちんとしたあり方なのか、いまだに判断がつきません。そして判断がつかないまま年老いて死ぬのでしょう。

 

じぇ「彼女が来るから」
おか「はーん?根性据わってんな?」

 

2000年8月。南海の神撫台で茜色映える母校が甲子園に出ることもあり、私は先に関西に戻り、おかんにその旨を告げたところ、会う前から審判を下されたような返事を聞きました。彼女はお盆前後に私を追って到着、そこから5日間のショートステイに入るのですが、忘れもしない8月18日の母校の試合を2人で見に行くことになりましてね。地元から甲子園はなんせ遠いですから、朝早くに家を出て、内野特別指定、いわゆるネット裏を2枚確保しました。第1試合の途中でしたかね。まだあの頃はそんな時間でも8号門から入場できたのです。母校の対戦相手はPL学園。母校でなくとも力が入る一戦になること間違いありません。

……読者様は御賢察ですね。クソ暑い中、自分自身に縁もゆかりもない高校球児の試合を熱心に見つめるタマな訳ないですわ。私が一生懸命、真心込めて野球のルールを説明しても上の空です。銀傘の下なのに余程こたえたらしく、試合途中に何度も席を立って通路の影に入るので、その都度私も付き添って声をかけたり水を買ってきたり甲斐甲斐しく世話をしたおかげか、母校は勝ちました。彼女の化粧と機嫌も持ち直したようで、第3試合を見ることなく球場外周のプリクラで密着して写真を撮ったり、帰りはHEPの観覧車に乗ってベロチューしたり、帰宅してからは家族が寝静まるのを待って、やることしっかりやりました。楽しかったですよ、ええ。

翌日。やはり甲子園の酷暑が効いたのか彼女は体調を崩し、居間の隣室で休むことになりました。実家は昔の家なので、隣室といっても襖一枚隔てただけの広間です。さて居間ではおかんと私が母校の準々決勝をテレビ観戦しており、ぎゃーだのわーだのよっしゃーだの、それはそれは賑やかにしておりましたので、彼女は休むどころではなかったでしょう。母校は勝ち、その後優勝しましたが、それら全てが彼女にはどうでもいいことでした。ちなみにその日の晩もやることしっかりやりました。楽しかったですよ、ええ。

 

彼女が実家の新潟に帰るまでの旅費をおかんが工面したのは優しさではなく片道切符程度の意味でした。彼女は固辞しましたが最後には受け取らせました。その後の顛末は以下の記事、中段あたりに書いてます。

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ザコンという言葉を他人事のように思っていましたが、おかんが許さない女とは結婚できないんだろうと思い込んでいた節があり、彼女の滞在中に浜辺で愛の告白をしたり、運転中に彼女の太ももを触ったり、胸元へ手を差し入れたり、いろんな意味でよく交通事故にならなかったものだと思いますが、何をしても、やることしっかりやっても、好きとは、愛とは何かが分からないままで、肉欲の衝突でしかありませんでした。それが若いからなのか、私の恋愛観がおかしいのか、ただの変態どスケベ野郎なのか、混沌としたままでした。

 

9月になり、まだまだ続く大学生の夏休みは自由なものです。私も実家からのUターンで東京に戻り、彼女と会う約束をしました。おかんとの死闘直後で心底凹んでいた私は、体目当てでいつまでもこんな関係を続けるわけにはいかないと思い始めていました。好きかどうかも定かでないのに会うたびにやることしっかりやって、万が一がないとも限らない。彼女のためにも、私のためにもならない。もちろん避妊具は使っていましたが、私は今ほど避妊具を信用してなかったのでとても怖かったのです。今も大して信用してませんけど。破れるし。

 

会って、きちんとお別れをしましょう。心に決めました。

 

とかなんとか思ってたんですけどね?いざ当日になって、私は彼女と会う勇気が出ませんでした。会ったらまた、彼女の体に飛び込んでしまう。やることしっかりやってしまう。ああ、なんて意思の弱い生き物なのでしょう。連絡するにもなんと伝えて会わないことを言えばいいのか分からず、無言のすっぽかしという最悪の手段に出ました。

……当然、電話がかかってきますよね。これに出る勇気すらなくて延々放置。私からコールバックしたのは夜中でした。衝動的にその日の夜に会えないように。

 

泣いてました。泣きながら言われました。

「他に好きな人でもできたの?」
「違うんだ、一人の時間が欲しいんだ」

ひどい。ずるい。何言ってんのこの性欲モンスター。女の敵。gently死ね。生きてる値打ちもない。

「そんなの嘘だよ、私知ってるもの」
「他に彼女なんていないよ?」
「gentlyくん、私の体に夢中だもの」
「それは」
「別れたら、私とエッチできなくなるよ?」

この時、人生で初めて立ちくらみを覚えました。私が彼女の何に魅力を感じて関係を維持しているか、彼女は自覚していました。いくら口では愛だの恋だの言ったところで所詮は体なんでしょう?私とするのが気持ちいいんでしょう?そうはっきり言われたのと、それでもいいから関係を続けられないのかという、彼女の最大級の譲歩と許しでした。ああ、私はなんて幸せ者なんだろう。彼女にこんなにしてまで引き止められている。彼女は「他の女」という虚像に引っ張られて、もはや正常な関係に戻れない提案をしている。

……ここまで言われて、自分がなんと返事して電話を切ったのか、覚えていません。彼女の提案はあまりに誘惑的で、そのままずるずると行ってしまいそうな気さえしましたが、ちゃんと断れたのかどうか、もう会うべきじゃないとはっきり言ったのか、おかんの話をしたのか、あるいは別のことを話したのか。

「でも、これで会えないのは嫌」
「僕も今日は卑怯だったと思う、ちゃんと謝らせて」

はい、結局会うことになりました。約束の場所に行ったら美人局的に他の男が現れてボコられるか金品をせしめられるか、どんな復讐があるかも分からないけど、会うことになりました。

 

9月下旬。ぼちぼち必修の語学の講義が始まろうかという頃、飯田橋で待っていた彼女は、私の薄汚い疑念を払拭するどころか、今までに会ってきたどの彼女よりも清楚でした。お化粧が薄い。というかすっぴんじゃないか。高いヒールをやめたのか、なんと呼ぶのか分からないけど、普通の女子の靴だ。それに少し痩せたのか、陰がある。私の思い過ごしかもしれませんが、この期に及んで彼女はまだ、私を引き止めるために、私の好みに合わせようとしているんだと思いました。

いや〜もう一緒に歩くのが嬉しくなるくらい綺麗でさ!バッカだなオメーはよぉ!ってもう一人の私が隣で肩叩いてるんですよ。なんでこんな綺麗な子と、別れる事にしたんだっけ?これが先日、電話口で、肉欲的な交際を容認した彼女なのか?一人の時間?そんなもんいるか?もうこの子とどこまでも爛れちまっていいんじゃね?骨抜きにされてもいいんじゃね?

この最後のデートがどんなだったか、大体上記のようなことをぐるぐる考えていたので、どんな話をしたのか覚えてません。謝ったのは謝りました。喫茶店でお茶を飲む姿もさまになってて、なぜそこで字を書いたのか忘れましたけどその文字すら美しくて、お茶の水の名に恥じない気品と知性あふれる彼女と、こんな時間を過ごしていることが夢のようでした。そこで初めて、私の浅い考えが明らかになり、彼女は自分の良さを知って欲しくてこうしたんだ、私の手に余るほど素敵な女性だったんだ、恋をしてもおかしくなかったんだ、男ってほんとに馬鹿だなとようやく気付かされました。その日は歯食いしばって、一人で家へ帰りました。

 

10月。鎌倉ハイキングに同行した友人から、彼女が入院したので見舞に行った話を聞きました。あの時より憔悴していて、体つきもめっきり痩せて、別人みたいだったけど元気だったと聞きました。なぜ入院したのか、なんの病だったのかは彼も聞けなかったようでした。私も尋ねませんでした。でもなんだろうこの罪悪感。色々な可能性と疑惑が一緒にやってくる罪悪感。てかオメェどうやって彼女の入院知ったんだ。私はもう真相を知るべきではないのかもしれません。知っていいことなんて何一つない世界もあるんでしょう。私の人生はあの時に大きく、よからぬ方に転回したのかもしれないなんて、考えたって無駄です。

今回はここまで。