working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

今日は……敬意が騒がしいな……

皆様こんにちは。WBC日本代表の準決勝がいよいよ始まる前日の夜、近所の寿司屋さんで調子よく飲んだ後、行かなくていいのに家系のラーメン屋で一杯キメて帰宅するなり寝てしまいました。現在、その目覚めの途上です。寝ぼけながらもう一つ気になったことを書きます。敬意の話の続きです。先に本音書いておくとね、敬意敬意うっさいんですわ。

 

WBCで実況を担当した文化放送斉藤一美アナウンサーが視聴者の批判を受けている記事を見ました。

news.yahoo.co.jp

……内容に触れる前に、その批判がどの程度の規模感なのかがわかっていません。また、この記事をもとに書こうとしている私はアマプラの実況を見ていませんので、リアルな体験に基づいた内容ではないことを申し添えます。場合により、極めて小規模な事案を、私が意図しないうちにさも大きく見せようとしている可能性がありますよ、ということです。

 

記事の伝えるところでは、アメリカ対キューバの試合実況を担当した斉藤アナウンサーが選手の容姿を揶揄するような発言をしたり、死球のシーンを見ていなかったり、大差がついた状況を皮肉ったり、その伝え方に対して視聴者がSNS上でクレームを発しており、その基軸に据えられているのが「選手への敬意、リスペクトが感じられない」という趣旨です。

この試合は日本が決勝に進出した場合の相手を決める一戦であり、アマプラが独占配信していたそうなので、見ていた人はそれなりにいると推測します。記事は一応賛否があるような書き方になっていますが、批判側の意見が多そうな印象を持ちました。

斉藤アナは以前、WBC日本代表強化試合のオリックス戦でもアマプラ実況を務め、この時も同様の批判を受けていたようです。記事の引用は控えますが、批判の趣旨は先に引いた記事と変わりません。

 

スポーツ全般について、選手に敬意を持つことは必須ではないと思います。アナウンサーという職業柄、起きた事象をどのように切り取って視聴者に伝えるかは個性に委ねられる部分が大きく、敬意があるから伝え方もうまいとは限らないでしょう。

この記事と関連記事を読んだ限りでは、斉藤アナの切り口は私も好きではありません。学生時代、東京でラジオを聞いていた時の巨人戦中継のような、よく言えばざっくばらん、悪く言えば距離感を誤っている印象です。そういう時は試合途中でも聞くのをやめてました。

斉藤アナの選手に対する敬意の有無は正直わかりません。が、長年アナウンサーとしてのキャリアを積んで来られた以上、対象への敬意を持たずに仕事を続けられることなどありえないと思います。

 

では、敬意とはどのように表現されるのが正解なのでしょうか。私はそんなものはないと思います。

 

野球場に行くとよくわかりますが、観衆は結果の出ない選手やチームに対して容赦ない言葉を浴びせます。今はだいぶマシになりましたが、10年ほど前はひどかったです。相手打線に打ちまくられたり、3タコ4タコしようものなら練習ちゃんとしてるのかだの、昨日飲みすぎたんじゃないかだの、嫁が悪いだの太り過ぎだのスパイだの、家族でどこそこ行っとっただのもっとええもん食わしたれだのホテル連れ込んだ女誰やだの、ここに書けないくらいひどい言葉が飛び交ってました。特に観衆の少ないパリーグは客席からグラウンドまで声がよく届くんです。

敬意なんて、かけらも感じないでしょう?ただ、たまに飛び出す的確な野次には観衆がどっと笑ったりするんです。敬意というより愛のある野次です。彼らと同じように、とまでは言いませんが、実況も解説も、時にやゆを交えながら、観衆の実感に近いものを伝えようとしていました。こういうのを機知、ウィットと呼ぶのだろうと思います。テレビやラジオを通じて試合を見るのはそういうものだと思っていましたし、社会も今ほど敏感ではありませんでした。

 

最近のテレビは野球選手のアスリート化と呼応するように、やたらと敬意=リスペクトを強調するようになりました。いや、実際すごいんですよ?それはわかるんですよ?ただね、いち視聴者が選手を見て決める心の中の問題になぜテレビが介入してくるのか?黙って事実を中継しろよって話です。今もWBCの日本戦中継は試合開始の1時間も前から何をやってるのか知りませんけど、気分の盛り上げに一役買おうと躍起になってるんでしょう。私そんな早くから見ませんけど、数字が取れるからやってるんでしょう。

その流れを受けて、アナウンサーも解説者も軒並み大人しくなったように思います。口は災いの元。寄らば大樹の陰。

……そう考えると現代のテレビ中継で時流にも権力にも視聴者にも媚びることなく爆笑を引き出す福本豊という人は色々な意味で凄いなという話になるのですが長くなるのでやめときます。

 

話を戻して、いくら的確でも笑えない内容も当然ありましたし、一概に昔がよかったとまでは言いませんが、斉藤アナのスタイルは古い時代の実況に近いことをやろうとしている印象を受けます。ウィットを効かせようとして失敗しているのです。所沢では許容されていたことが全国の視聴者に受け入れられず、見る人の感覚に寄り添うことができていないだけです。敬意の有無が問題ではないのです。

敬意に比重を置きすぎると、つまらない実況になります。結果が伴わなくても選手個人の見えない努力や精進を強調したり、最高の結果を祈ったり願ったり、それはそれで見ていられないでしょう。強化試合期間中も含め、決して好調ではなかった村上選手が凡打と三振を繰り返している間、去年の彼の実績を高らかに伝える実況がいかに虚しかったことか。

 

斉藤アナも事前取材で色々な情報が手元にある中で、WBC、しかもラジオではなくテレビという、圧倒的多数に注目される慣れない仕事とどう向き合うかは考えていたでしょう。今回は色々な批判があったようですが、この経験は今後の仕事にも生きてくるんじゃないでしょうか。