working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

平和をかみしめる日

皆様こんにちは。79年前の今日、広島に原子爆弾が投下されました。平和記念公園では朝早くから式典が開催され、8時15分、静かに祈りを捧げていました。同時刻、私はレトルトおかゆを温めながら瞑目しました。

無念にも落命された方々に鎮魂の祈りを捧げる集会には例年、公園周辺に屯する正体不明の政治圧力団体から奇妙なシュプレヒコールが飛んできます。彼らにも主張はあるでしょうが、なぜこの日この時、慰霊の目的で集った人たちを邪魔するのか理解できません。

 

戦争の記憶を引き継ぐのは難事業です。戦争を、原子爆弾を体験した方々が高齢に達し、語り部を続けられなくなった、お話を伺う機会が減ったこと、あるいは戦争の悲惨さを伝える書籍、映像その他コンテンツがどれだけあっても、その作り手が戦争を知らないことによる限界と、平和を享受する現役世代の無関心は、もはや戦争と平和の区別もつかない、平和ボケですらないレベルに達していると思います。

 

現に日本は今「平和」なのか?と問われると、どうでしょう。

日本近海には外国艦船が頻繁に出没、測量を行い、現状変更の試みを継続的に挑戦する国家群があります。日本は公式の立場上、核抑止理論には反対しながら、その実在日・在沖米軍の核の傘に守られている現実があります。

経済では日本株の多くを買い占める外国ファンドが跋扈し、「観光公害」を引き起こすほどの外国人旅行者が押し寄せ、強烈な物価高にもかかわらず実質賃金は伸び悩んでいます。にもかかわらず毎日戦争みたいな仕事に忙殺されている方もいるでしょう。子育ても戦争みたいなもんやと飲み仲間から聞きました。

 

他国と交戦状態にないことをもって「平和」とするなら、今は平和です。平和この上ない。私は仕事中にWEB漫画を読み始める部下を抱えながら、兵役もなく、ほぼ定時に上がり、家に帰れば毎日プリキュアが見られる。こんな平和なことがありますか。

しかし、その平和を守るために、私がぼんやりしてる間にも日夜心身を限界まで削りながら、広義の国防に邁進する人たちがいます。この平和は手放しで享受できているわけではないのです。日常生活では垣間見る機会すらないところで、狂ったように頑張ってる人たちがいるのです。

 

……みんな、官僚って聞くだけで親の仇でも見つけたみたいに敵視しますけどね、あの人たちはすごいんです。地方自治体の木っ端役人と比べ物にならんほど優秀で、仕事がバリ大変。大学の同級生女子は外務省なんぞに行っちゃって、帰宅するのが月2回あるかどうか。海外出張とかじゃありませんよ?庁舎で寝泊まりですって。激務すぎませんかね。

そういう頑張ってる人へのリスペクトのなさも、慰霊の場を荒らしに行く人、我こそ正義と信じて疑わない人のメンタリティに含まれてるような気がした次第です。

次は8月9日、その次は8月15日。右翼も左翼も、只々、騒がしい。これも平和の享受と言えばそうなんかな。

そういや今年の広島つおいな