working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

生成AIをめぐる事象(3)

皆様こんにちは。生成AI3回目は私の考えを述べる回になります。ただでさえ長いのに結論にもっていくまでどれだけかかるか見通せません。12月に入ってから書いては消しを繰り返してるので、読みにくかったらすみません。

 

前回の記事で、AIは思考していない、その仕組みは人間の思考を模倣できておらず、膨大なパターンの中からそれっぽいものを組み合わせて提示しているにすぎない、と書きました。いわゆる「強いAI」と「弱いAI」です。

ユーザが求める答えに近いものをポンと出してくれるその手軽さ、占い師に過去と未来を言い当てられたような錯覚が、まるで人間と会話しているような、AIへの過度な親近感=「強いAI」イメージを抱かせるのです。

ユーザの期待とAIの実態に大きな乖離があるにもかかわらず、エンジニアがこれを明確に否定しないのは極めて不誠実な態度です。

その駆動原理、アルゴリズムがいまだに限りなく「弱いAI」でしかないことが身に沁みているはずのAIエンジニアこそ自覚的であるはずなのに、残念ながら彼らの一部はテクノロジーに明るくない人々、具体的には政治家を丸め込む、きつい言い方をすると「騙す」側として立ち回っています。

 

なんのためか。金のためです。

 

AI産業の育成と称して、政府から多額の補助を捻出することに成功している彼らは、この先どう落とし前をつけるつもりなのか知りませんが、世界に目を向けてみると、生成AI産業は活況を呈しつつも、その倫理的な側面から生じる問題への対応として欧州を中心に法規制の動きが活発化しています。倫理的な問題が何のことかは後述します。

その実態はいったん置いといて、人手不足が深刻な労働の現場におけるAIの補助的役割、生産性向上、人間の労働時間短縮など一定のメリットがあることは間違いありません。その意味でAIが産業の現場で活躍すること、積極的な導入に動くことに異議を差し挟むつもりはありません。

 

ただし、それが本当に役立っているならば、です。

 

AIを導入しようとする企業で一時期もてはやされたDX=デジタルトランスフォーメーションという言葉。業務に革新的変化をもたらすデジタル化をそう呼ぶのですが、各種報道でご承知のとおり、成功確率は極めて低いのが実態です。

DXがうまくいかない原因は企業や組織によって原因は様々考えられますが、一番ありふれた失敗例は、経営組織のトップがITに通じておらず、顧客あるいは同業他社への体面を気にして「なんかやれ」と号令するパターンです。

具体的な課題も何も洗い出さずにトップの思いつきでなんかやらされるIT部門はたまったものではありません。やれというからには具体的な予算もつくものと思うじゃないですか。これが微々たるものなんですよ。成果が上がるかどうかわからんものに経営陣も経理の査定も予算を与えるわけがありません。

課題の洗い出しから始めて、それがどうなれば効率化、省力化できるかゴールをイメージして、どんな解決策が考えられるか、その選択肢にAIを含む最新技術があるか、コストはどうか、メリットはどうか、期間はどれくらいかを比較して検討する。

 

ふつう、物事を考える順番ってそうじゃないですか。それをすっ飛ばしてAIありき、先端技術ありきで好ましい結果なんか出るわけがありません。

ここにも政治家と同様、テクノロジー、特にAIに対する無理解、つまり「AIは思考するようになった」だの「人間の代わりになる」だの「人件費を抑えられる」だのといった、人口に膾炙した、いまだかつて存在したことのない「強いAI」理論が蔓延っています。

アイロニーがきいてるぜいらすとや

ほんと嫌になりますよね。あれらはドラえもんでも鉄腕アトムでもありません、もっと手前のほうにいる、AIからイメージされる人工知能的な挙動=「強いAI」とは程遠いものであることは前回も、また冒頭にも書きましたので繰り返しません。

ただ、無理解から生じる信仰のようなものだけが人々を惑わせているのです。

そうしたテクノロジーへの無理解が極まった姿が、近年SNSで猛威を振るっている画像生成AIおよび音声合成AIです。この2つは人権侵害、先述した倫理的な問題と深く結びついており、それに対する生成AI推進エンジニアの明確な回答はありません。

 

私が一連のAI関連記事を書いている動機は、テクノロジーに詳しくない方にも現状のAIが抱えている問題および欺瞞を知っていただくことです。少しでもAIに対する誤った、あるいは先行し過ぎたイメージを補正できるなら目的は果たされます。

長くなりましたので今回はこの辺にします。