皆様こんにちは。今回は当たり前のようで当たり前ではない話をします。
インターネットで拾える情報は基本的に無料、タダですよね。ニュースサイトや動画サイト、イラスト投稿サイト、検索ポータル等々に居並ぶ数多くの情報は、対価を支払うことなく読んだり見たりできます。
当然、それら情報の中には対価が必要な場合もあります。中身がどんなものかは問いません。支払う価値を認めた人だけがアクセスできる情報、というだけのことで、普遍的な価値があるのかどうかは分かりません。私がある日突然すべてのブログ記事を有料にしたとて、支払う価値があるかどうか分からないのと同じです。
何らかの差異がある、もしくは差異があると考えるから有料と無料の線引きがあるのですが、それを知りえるのは対価を差し出した人と書いた(あるいは作った)人だけです。
ここまでは当たり前です。私がそれをやったら確実に誰も読まなくなる事実とは別次元の話です。
ところで最近、生成AIによる「民主化」という言葉を初めて知りました。
IT系調査企業・ガートナーの定義によると、これまで一定の技術習得、あるいは専門家への業務委託等によって金銭的、時間的コストが発生していた様々な専門的手法、知識、ノウハウをひっくるめた情報を生成AIが学習、公開することによって、専門性を持たない多くのビジネスパーソンがこれを利用し、生産性やパフォーマンスを高められることを指すようです。
先日来、生成AIの仕組みや問題点についてはつらつらと書いてきたところですが、はてなブログにも生成AIを用いた数多くのテキストや写真風イラストが溢れかえっています。
working-report2.hatenablog.com
これまで見たことのない、あるいは人の手で再現しえない何かを生み出す、もしくは今までその人にできなかった様々な技術を手軽に利用できる可能性に言及している点で、ビジネスシーンに限らず、趣味や創作の領域にまで「民主化」の波が及んでいるようです。
しかし。
学習データがもともと何だったのか?という著作権法第30条の4をめぐる法解釈の問題をいったん差し置いたとしても、生成AIがクローリングやマニュアル追加によって得た学習データはあくまで過去のものであって、大量に蓄積したそれらを組み合わせることで「それっぽく見せる」ことしかできません。
これは生成AI自身が何も考えない構造である限り、絶対に免れない性能限界です。この挙動は本質的に創作とは言えない、という話もしたいのですが、論点がぼやけるので今回は差し控えます。
そして、あまねくユーザーに高い成果をもたらすことをもって「民主化」というならば、その成果には差異が発生しません。指示文(プロンプト)の巧拙による多少の違いはあっても、最高の成果やパフォーマンスがあると措定したとき、理論上は誰がやっても結果は同じになるはずです。
これは情報の「均質化」あるいは「無個性化」というべき事態です。
また、近年は事実に基づかないフェイク写真、動画、文章がインターネット空間に大量にばらまかれ、大きな問題になっています。明らかにフェイクとわかるものは別としても、生成AIが便利であることの裏返しとして、真贋の見極めが困難かつ大量の偽物を生み出すことも可能にしています。
ここまで来ると、もはや情報の「劣化」です。
これまでも、インターネットで無料で手に入る情報の信頼性はきちんと見極める力をつけましょう、ネットリテラシーを学びましょう、とコンピュータ界隈でさんざん言われてきたことですが、生成AIがばらまく大量の偽情報は、一般的な教育を受けただけでは判別できないほど巧妙化しています。無料の情報の信頼性をさらに棄損したと言っていい状況です。
果たしてこれは「民主化」なのでしょうか。
正確な情報の価値が上がる一方で、無料のフィールドには無数の偽物が紛れ込んでしまい、それらが真実であるかのように流布する事態はむしろ、正確な情報の「寡占化」を招いている、と言えるのではないでしょうか。
「寡占化」とは、対価の支払いをもって初めて情報の正確性が担保される、有料であることに価値が生まれるという意味であり、このことは同時に「有料であることが真実である」という誤った思い込みを招きかねない、非常に厄介な状態です。
このことによって懐に余裕のあるユーザーだけが正確な情報にアクセスでき、持ち合わせのないユーザーは正確な情報にたどりつきにくくなります。情報にまで貧富の差が生まれるのです。
繰り返し書いている気もしますが、生成AIから吐き出される情報は必ずしも事実ではありません。遊び半分、面白半分で誰にも迷惑をかけていない認識でそれらをインターネットに放流する行為は、程度の差こそあれ、現在進行形で無料偽情報の流布に加担しているのと同じことです。ネットユーザーを正確な情報から遠ざけている、その自覚はおありなんですか?と。
「均質化」「無個性化」「劣化」によって着実に進んでいく情報の「寡占化」は、民主主義を基調とする様々な理念と逆行します。正しい情報が多くの人に伝わりにくくなれば、政治、メディアにおいて権力者の政敵およびその支援勢力、あるいは権力者自身が、真偽の定かでない情報を流布し、人々を操りやすくなる環境を生み出します。
お分かりですね。これは今のアメリカであり、さきの兵庫県知事選挙です。
あの状態を「民主化」と評価することに、私は抵抗があります。選挙結果に対する不服を言いたいのではなく、選挙戦全体を通じて無料の情報メディアが力を持ちすぎると、公正な選挙が行われない可能性を示した点で、民主主義のふりをした別の何かが既に浸透していると言いたいのです。
前回の記事と合わせて、私が最近危惧している世界の変化について書き出してみました。今回の記事有料化しても売れるんじゃねぇかこれ?なんてこれっぽっちも思ってませんが、こんなの生成AIごときに書けねぇだろうがよ?あ?とは思ってます、かなり。
次回はスイートプリキュア♪の感想を書こう。