working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

孤独と最近のゲームと

最近孤独のすすめを通り越して孤独の力みたいなタイトルを冠した本がやたら目につきます。半生かけて培ってきた人間観や対人感覚が一朝一夕で改まる訳がないだろうに、そもそも選択的孤独と結果的孤独は全然違うことへの理解もないまま、毎日スマホを握りしめて情報を見ていたりゲームしていたりSNSでコミュニケーション?をとっていたり、十分孤独を味わっているのに一体この手の本を求める人々は何を吸収しようというのか、いよいよ社会は私の理解が及ばない領域にシフトしたようです。

 

たまにいるでしょう?付き合い薄っぺらいくせに「人脈が厚い」とか公言してやたら「つながり」を求めてくるだけの、友達と知り合いの区別もついてないかもしれない奴。そういう「つながり」は連中の数にされているだけなので早々に切り捨てましょう。連中が何かのイベントを企画しても、あなたのためにしてくれることなんて何一つありません。会費を受け取った分の何かを与えることを一顧だにせず、己の宣伝材料程度にしか思っていない「つながり」をかき集めることに腐心し、虚無感だけをつかんで帰る人間に向かって「あなた方は有益なコネクションを作るためにより一層の努力が必要です」とか平気な顔で抜かします。そして「孤独」が一時のトレンドと知るや、オン(人付き合い)とオフ(孤独)の両立とか、普通の人にちょっと考える時間と心の余裕があれば誰でも気がつくことを御大層に語るのです。スピのビジネスと変わるところがない。

 

似た本の中で私が読んだのは森博嗣さんの「孤独の価値」、似てませんが大体この話を読めば人付き合いをどういうものにしておくべきかわかるのがサマセット・モームの「人間の絆」です。

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まだ持ってたわ

社交的であること、友達がたくさんいることのみをもって善とする陳腐な概念を叩き壊し、孤独を選択的に利用できる状態にすることによって既存の人間関係を大切にしようとするポジティブな一面を考えるうえで、この2タイトルは皆様にも是非読んでいただきたいと思います。

 

きょうは久しぶりにゲーム、それもテレビゲームの話をしましょう。いつ以来だ。

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新しいゲームの興味がすっかり失せた中で新作

天穂のサクナヒメを勢いで買って以降、遅々たるペースで1年目の稲作を終え、つらさのあまり脱走を図るサクナヒメの面白可愛らしさにほっこりしながら2年目の土起こしを終え、田植えを終え、雑草を引っこ抜き、合間に狩りに出かけ、人間の体よりもデカい雀鬼を倒したりしてます。雀鬼は麻雀中毒者ではなくデカい雀です。狩猟から帰ってきたらまた田んぼの状態確認です。

 

稲作パートと狩猟パートで構成されるアクションゲームで、稲作モードでは米の収量と品質を向上させることで主人公・サクナヒメを強化し、また狩猟パートでは兎や雀や豚などが鬼化した敵と戦うことで得た草や肉などのアイテムを食事の献立に加えて各種パラメータを増大させ、狩猟中に出くわす強敵を倒し、最終的に島から鬼を駆逐することがゲームの目的のようです。なにぶん毎度序盤でレビューを書くので終盤の説明が要領を得なくてすみません。だって終盤に行きつく前に大半のゲームに飽きてしまうもので。

 

ネット上で稲作が「ガチ」であるとの評判が立ち、「攻略サイト農林水産省」など真偽判別しがたい情報が出回っております。なるほど農水省のWEBサイトにはお米の作り方が詳細に掲載されてます。各段階でどの作業がどんな意味をもって行われるのか大変明快で、ちょっと勉強になりました(といって実際の農業はコメ作り以外にもっと大変な問題が山ほどあるわけですが)。そんな農業の大変さを忠実に反映しているのか、3年目になっても米の収量は一向に増えないどころか2年目より減りました(12→11)。虫の害と雑草の害がいつ起きているのかもビジュアルでわかれば良いのですが。

 

これを私に勧めたモヒカン先生が「実によくできている」とおっしゃるように、稲作パートの農作業、狩猟パートのアクションとも、操作は簡単なのに思い通りにいきません。田植えの勘だったかな、2年目からは田んぼにデジタルなグリッド線が表示されておよその植栽間隔を教えてくれるのですが、苗を規則的に、直線を描くように植えるのが大変です。さらには定期的に厠から排泄物を人力運搬し、材料を混入して肥料を合成しつつ、季節のターンが巡るごとにこれを田んぼに撒く必要があり、稲の生育度合いに応じて水量、温度、天候にも気を配る必要があります。まぁ、ガチですね。これは勉強しないといい米作りができません。

 

そう、米の収量が伸びないからいつも春ごろには食米がなくなって、夕餉の膳は干し肉と野草の汁しかないんです。こんな食事でも登場人物がおいしい美味しいいながら食べている様子を見ると涙が出そうになります。

 

狩猟パートではサクナヒメが農具を武器代わりにして、先に書いたように鬼化した下等生物を撲殺することで糧を得ます。この操作、コマンド入力でいろいろな技を繰り出せるのですが、格ゲー全般が苦手な私は毎度適当に操作して乗り切ってます。そのうち限界が来るでしょう。そして肉や野草は夕餉として供されるのですが、何らかの加工もしくは調理を経なければ腐敗が進行し、しばらく放っておくと肥溜めに混ぜる以外用途がなくなってしまいます。

 

なお、サクナヒメの声を聞いているとSUGOI DEKAIあの子がちらつきます。大空直美さんのキャラ付け傾向にぴったりです。

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うんこ持って話しかけてトロフィー

米作りの攻略サイトで思い出したのですが、随分前に購入してから紋章集めの段階で塩漬けになっているドラクエ2を再開しました。ラダトームでぶっ倒れた王子のためにせかいじゅの葉を取りに行ったり、きんのカギとぎんのカギ以外に牢屋のカギが必要という結構重要な情報を書き漏らしている攻略サイトに舌打ちしながら問題を解決し、精霊のほこらでお守りをもらってからさて次どうしたものかというところで再び塩漬けになりました。

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ビジュアルもこれくらいでいいんだよ

たぶん次はこのお守りを使ってロンダルキアでしたっけ?への道を開いてどうのこうのするのでしょうけど、もうね、RPGを関心を持ってプレイすることが難しいお年頃になったことを実感しています。世界が悪の大神官の手に落ちようがどうなろうが、今はスクールアイドル同好会の面々から目が離せません。

 

一人の時間を有益に使う、とは昔から言われていることです。その「有益」は家庭環境によって違うでしょうし、そもそも家庭がない独居世帯となれば人の数だけあると思います。その孤独の考え方や受容の仕方まで他人の教授を請わねば処理できないのかと思うと、私なんか気分真っ暗になるんですけど。

 

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公式ラウンド通算5000回のイーグル記念

その孤独は図らず望まずなってしまったものですか、それとも自分で選び取ったものですか?そしてもし前者なら孤独を自分で選び取れるように持っていけますか?後者なら、本当に考え抜いた上での選択ですか?まず考えるべきはそこからでしょうね。いずれ詳しく掘り下げる機会があるかもしれませんが。