皆様こんにちは。前回に引き続き、機動戦士ガンダム水星の魔女の感想に見せかけた能登麻美子さんへのラブレターを書きます。
能登さんと私の出会いは2005年放送のテレビアニメ、地獄少女です。
……こいつ頭大丈夫か?と思われる前に、ほとんどの方がそうであるように、私も能登さんを一方的に知っているだけで、能登さんが私と出会っているわけではないことを申し添えておきます。その状態に辛うじて見合うロマンチックな表現として「出会い」と言っているだけですので、ええ、私は正常で、無実です。
出会いの感想は、今際の際に聞きたい声ナンバーワン。この声に導かれて死んでしまうなら、いっぺんでも二遍でも百万遍でもお願いします。事実その頃の私は会社勤めに疲弊して死にかけておりましたので、いつそうなってもおかしくない状況ではありました。
その後の印象的な役はキミキスpure rougeの祇条深月お嬢様(能登さんキャラをモブ扱いしやがったアニメは許さん)、CLANNADの一ノ瀬ことみちゃん(「おうお疲れまぁ横座れや」言いたげなクッションぱんぱんが好きでした)、乃木坂春香の秘密(能登かわいいよ能登)、空の境界の浅上藤乃(能登コワいいよ能登)。
アイカツ!でついにお母さん役に転じ、最近のラブライブ!スーパースター‼︎でも同じくお母さん役になった時、能登さんはもう娘役をやらないのか、私と同学年だしなぁ、一抹の寂しさと共に、これは近いうちに㌧でもねぇお母さんが現れるに違いないとの予感はありました。それがこんなに早く実現するなんて。
プロスペラは愛が偏りすぎておかしくなってしまったお母さんです。あの母とスレッタの幼少期がどのようであったかは作中に描かれませんでした。有能なガンドアーム技術者であり、優れたお母さんでもあったのでしょう。さもないとあんな便利な娘には育ちません。
作品を見ていた私たちは時系列の齟齬やスレッタの名前、その言動から、テレビでは放送されなかったプロローグとの違和感をずっと抱えていました。テレビ本編が始まってから、エルノラ・サマヤの名を捨てて仮面つけてる時点で「あぁこの人クロだ」ってすぐに分かりましたもの。ガンダムのヒールといえばお面です。これは絶対外れない鉄則です。
夫が、会社の上席があんな殺され方をして、娘共々水星に逃げて相応の年月が経過しているのに、なぜスレッタはいまだに学生なのか。こりゃもう1人か2人かいたんじゃね?そして実の娘がエアリアルに取り込まれているというネット界隈の予測は見事に的中しました。
しましたが、一見狂った行動に見える母の偏執と、その娘が生きる世界を構築するために、近しい人々を殺した主犯格のデリングにすり寄ってまで事を成そうとする母の姿は、ナナリーが生きられる世界を構築しようとしたルルーシュであり、クワイエット・ゼロはアヴァロンであり、やはり大河内一楼でした。そしてプロット予想が的中してなお、プロスペラの底知れなさを表現したのが能登さんでした。
あのお芝居は私が見てきた能登さんの中で史上最恐です。必死さや熱量が全く感じられないのに、明確な意思が言葉に乗っていると言いますか、有無を言わせない迫力、圧がありました。「女性の強さ」みたいな言葉をあまり多用したくないんですけど、文字通り地獄を見てきた人間の年輪と強さ、技術だけでは表現できない唯一性を感じます。閻魔あいが母になったらああなるんじゃなかろうか。村の仕打ち酷かったもんな。恋仲の男まで殺して埋めるとか、もうしきたり関係ないやんけ。
ああいう圧を男性が獲得するにはもうちょっと時間がかかりますね。だって能登さんと同世代の男性声優って、ほぼ少年役じゃないですか。杉田智和さんを除いて。要するに私が少年役やってるわけですよ。斧アツシさんとか内田直哉さんくらいにならないと威圧感が出ない。
このように能登さんへのリスペクトが溢れ出てしまった次第ですが、
セセリア・ドートの人を食った態度と、悪そうだけど綺麗な顔と、宝多六花といい勝負ができそうな素晴らしく豊満な美脚と、これ見よがしに組んで座る姿と、マルタンが足爪の手入れを強いられているシーンが脳裏にこびりついて離れません。褐色女子は強い。両者向顔、フィックスリリースを一度だけやる機会があった時の仕切り感とグエルの秘書も良かったなぁ。この夏は薄い本のセセリア祭りが各所で起きるでしょう。
第6話ご視聴ありがとうございました!!
— モグモ (@m_o_g_m_o_g_555) 2022年11月6日
4号君。。#水星の魔女 #G_Witch pic.twitter.com/xcBOEEGTdT
キャラクターデザインを担当したもグモさんによる1枚です。素晴らしいの一言ですわ。