大阪市を廃止して4つの特別区に分割する、いわゆる「大阪都構想」の是非を問う住民投票期日が近づいてきました。大阪市民のgentlyは自宅や職場の最寄り駅付近で賛成派・反対派から数々のチラシをもらって読んでを繰り返し、また5年前の投票でどんなことを考えていたかを思い出し、そして周辺の人々と意見交換した結果、やっぱりこの構想はダメなんじゃないかと思いました。
残念ながら今回も、多くの大阪市民にとって住民投票の目的が正しく伝わっているかは疑問と言わざるを得ません。「大阪都構想」が大阪を東京都のようにすることだという認識を持っている方は相変わらずたくさんいますし、今回の投票で決まるのは「大阪都」の設置ではなく大阪市の廃止・分割であることすら知らない人もいます。
代議制を敷いているこの国において、行政への関心の濃淡関係なく市民の投票で決するということがどれだけ無茶なことなのかを考えれば、それは仕方がないとしか言いようがありません。日々大阪の経済と向き合っている人、家庭と子供つながりの人間関係以外を知らない専業主婦、受験勉強の追い込みに入っている高校生、引退後のセカンドライフを悠々自適に過ごしている人、毎日パチンコに通えればいい年金生活者、この人たちが同等の判断基準を手に入れることなど不可能です。
この問題を代議制ではなく直接民主制の住民投票によって是非を問うことはつまり、その結果責任を大阪市民が背負わねばならないということです。カッコよく言うと、
大阪の未来を決めるのは、私たちだ!!
そのつけを払うのも、私たちだ!!
さて、私には子供がおらず、血のつながった親類縁者も大阪市にはいないので、正直大阪市で暮らす未来世代がどうなろうと知ったこっちゃないのですが、少なくとも私が生きている間、私の暮らしに不利益が起きない(はおかしいな、起きにくい)選択をしようとエゴイスティックに考えた結果としての私の答えは、やはりノーです。今からその理由を述べます。
大阪市を廃止し、特別区に再編することはつまり、市民の税収を府の財政に繰り入れ、特別区に再配分するということです。その額、税収だけでおよそ2,000億円ちょい。地方交付税交付金などを含む年度予算全体では8,000億円以上になります。第3セクター出資などに代表される有価証券や市内各地の固定資産はその所在や保有形態により4区に分割されるか、府に帰属します。
これは何を意味するのでしょうか。
端的に言うと、市民のために使われるはずの財源が広域行政の名のもとに希薄化するということです。
市民全戸に配布されたであろう特別区設置協定書の要約版によると、特別区設置直後までの住民サービスは維持されるとあり、以降の区政運営は公選に基づく区長と区議が決めることになります。これは大阪市のWEBサイトにも明記されています。
しかし、財源が府の財政に繰り入れられているため、特別区は府が決めた財源配分に従い、その範囲でやりくりをすることになります。各特別区への財源配分を適切に行うためには各区の実情に対する詳細な理解が必要なのに、あえて大阪全体の広域行政を担うはずの府に財源を一元化することに果たしてどのようなメリットがあるのか、私にはどうしても理解できません。なぜ大阪維新の会がそんなことを目指すのかは後述します。
他の方々の意見によると、市が廃止された後も住民サービスは残ると言っていますし、現に大阪維新の会が発行しているチラシなどを読んでいても、行政サービスはむしろ向上するとあります。しかしここで気を付けなければならないのは、あくまで現行の行政サービスが維持されるのは特別区設置の「際」までなのです。先に示したWEBサイトの「制度設計の5つのポイント」をよく見てください。以下にも引用します。
「2.現行の住民サービスを適切に提供できるよう、特別区と大阪府の役割分担に応じて財源を配分します。特別区設置の際は、大阪市が実施してきた特色ある住民サービスは内容や水準を維持します。」
特別区が設置された後、各区の実情に応じて住民サービスは適宜見直されます。この「見直し」がいい方向に働くというのが大阪維新の会と公明党であり、悪い方に働くというのが自民党大阪府連や共産党です。
落ち着いて考えましょう。財源を配分するのは府です。府は各区の実情に応じて適切に財源を配分するとしましょう。そして行政サービスが維持されたままであるとしましょう。
少し前まではインバウンド需要が日本経済を下支えし、景気も一定の高水準を維持してきましたが、ご承知の通り中国発の人類滅亡計画の一端かもしれない新型コロナウイルスの大流行によりインバウンド需要は消え去り、景気は冷え切っています。
状況証拠から考えて、世界的に経済が冷え込んでいる中で大阪だけ経済が息を吹き返すとは考えにくく、そうなれば既存の行政サービスがいつまでも生き残るなんて都合のいいことが起きるはずはなく、結果として不景気に伴う税収減は財源縮小に直結します。いい方向に見直しをするには追加財源が必要なはずですが、それはいったいどこから生まれてくるのでしょうか。
大阪維新の会は設置後の特別区について明確な説明を行っていませんが、この財源についてはシミュレーションの前提を疑いたくなるほど楽観的な数字が使われています。何度も言いますが財源を握っているのは府です。そのとき府は全体の均衡を図るために何をするでしょうか。財政の均衡化です。つまり、旧大阪市民のための財源という特別会計の障壁を取り払い、府全体の財源に転換することです。このリスクを旧大阪市民として受容してくださいというのが、今回の住民投票における最大の争点であろうと私は思っています。誰も言ってないけどな!
「大阪市の税収を府に吸い上げられる」というのは一面的に見るとデマ、ということになるのかもしれませんが、今後10年以内に府の権限がどう振るわれるかについては誰にもわかりません。大阪市は大阪府に比べてうまみ(財源)の多い都市です。いざとなれば条例の改廃によって特別会計を廃止することも可能です。そのとき、旧大阪市域の住民は「損」をすることになります。大阪市としての自治権を喪失するというのは、つまりそういうことです。
ここまで収入の話ばかりしてますが、府や市がこさえてきた借金はどうなるのかというと、基本的に府がほぼ全部を背負い込みます。額は恐ろしくて言えませんので、各自の興味に応じて協定書を確認してください。腰を抜かすと思います。ここ30年の政治家はどれだけ地方債を乱発してくだらない箱モノ(全部とは言わない、ほとんどだ!)を残していったのか、そしてその責任はいったい誰がとると考えていたのか。無責任この上ない話です。そして我々世代でそんなつけを清算するのは絶対ヤダ。
この点、大阪維新の会は財政に与える影響は微々たるものかもしれませんが、自主的に一定割合の給与をカットし、10年間かけて彼らが訴えてきた「二重行政」の無駄を限りなく整理してくれました。この政治的手腕は高く評価します。その実績があるからこそ都心部、特に現役世代の人気はカリスマだった橋下徹氏がいなくなっても衰えることなく今日まで続いているのだろうと思います。
大阪維新の会が大阪市の無力化を図るのは「府市対立の解消」のためです。前述のように、大阪市という対立勢力自体を消滅させ、財源を府に一元化して特別区に配分する構造になれば、特別区は言うことを聞くしかなくなるのは道理です。現任の大阪府市の二人の首長は「今は人間関係で府市の連携が取れているが、いつか違う政党の首長に変わったらまた府市合わせに戻ってしまう、それを未来永劫なくすために大阪都構想をやる」と言っています。
しかし、私はこの説明はおかしいと思います。なぜなら、首長の交代は政策なり実績なりを市民が評価しなかった結果として起こるのであって、仮に「府市合わせ」であったとしても、それが民意であれば対立の構図を尊重して進めるのが自治だからです。
なにゆえ大阪市が政令指定都市になったのかといえば、大阪の他地域に比べて人口が圧倒的に多い都市部の自治を行うにあたり、広域を見なければならない府の手に余るがゆえに都道府県並みの財源と意思決定が行える体制を構築するためであって、もとはと言えば高度な自治を実現するための大阪市だったはずなのです。
ところが大阪の場合はことさらに府と市の関係が悪く、その対立が行政を停滞させてきた過去は事実ですが、それは互いに不利益となる部分について折り合うことができなかったからで、対立が起きるということはむしろ健全な民主主義が働いた結果なのだろうと私は思います。それが住民的に良い結果をもたらしたとは全く思いませんが。
さて、だからといって大阪市を廃止したところで本当に対立がなくなるでしょうか。財源のない特別区が府の言いなりになることを対立解消と言えるのでしょうか。行政機構を改造してまでスムーズな意思決定を図ることは一見美しく見えますが、広域行政を担う府に財源配分の意思決定を委ねることは、高度な自治を目指した政令指定都市の理念と、憲法で保障された地方自治の原則、住民自治から一歩後退することに他ならないのです。
その権限の基本たる財源を一元化するということはつまり、権限の集中です。府市対立はなぜ起こるのかといえば、繰り返しになりますがいずれかにとって不利益が生じる場合のストッパーとして機能するからです。それをなくすことが善であると言い切れるのは今まさに府市の両首長が同じ政党・思想だからに過ぎず、特別区になったところで大阪府知事と特別区長の政党・思想が異なれば対立は変わらず起こり、しかし片方に権限上対立する力がないだけの状態に陥るのであって、その対策が全く存在しないことを私は大いに懸念しています。
正直、大阪市には今の私にとって不要な行政サービスや箱モノがわんさかあります。それはそれでなんとかしてもらいたいのですが、行政機構をどうにかして解決する問題ではありません。不要な行政サービスはカットすればいいのですし、いらない箱モノは延々と垂れ流す維持費に耐え続けるか、奇特な民間事業者に早期売却するしかありません。しかしこの先、gentlyが高齢者となって延々生き続ける可能性がゼロではない中で、必要になるサービスもたくさんあります(特に社会福祉協議会とか)。
特別区は府の財源配分で一度もめ始めたら行政が立ち行かなくなる事態もありうるのではないか、東京都との相対的な比較において財源が豊かとはいえない大阪市を解体したところで、表面上の対立は消えてもカネの問題は何ら解決しないと思われます(大阪維新の会が連日連呼している「財政効率化効果」というものが何を指しているのか、どの配布物を読んでも意味が分かりません。彼らの実績である二重行政の整理とはだいぶ話の趣旨が異なるように思います)。
この「大阪都構想」の構造について、大阪維新の会所属の横山ひでゆき大阪府議(大阪市淀川区選出)は話を分かりやすくするため、おとんとおかんが手分けして鍋の材料を買い集めておいしい鍋を食べると言っていますが、私に言わせればその家はおかんが一方的に「これ食べたい」と言っているに過ぎず、おとんは指示通りに材料を集めてきたうえに食べたくないものを食べさせられる恐妻家でしかないのです。おとんとおかんの権限が平等ではない、おかんが上でおとんが下なのです。まぁ大半の家庭はそうでしょうけど。
横山議員の説明は非常にわかりやすいので一読をお勧めします。ここから分かってくるのは大阪をどのような単位で見ているのかの違いです。彼らにとって大阪とは大阪府全体であり、私にとっては大阪市のことです。税負担上、大阪市民は同時に大阪府民ですが、少なくとも大阪市がなくなることによって旧大阪市民が何らかの受益者たりうる可能性はカネの面では全くないと言っていいと思います。「みんなでよくなろう」という思想は美しいのかもしれませんが、足下の経済状況を見れば今後税収が飛躍的に伸びる可能性などほぼない(あったとしてもだいぶ先になる)のに、先述した大阪市の年間税収のおよそ10分の1に相当する241億円の特別区設置コストをかけてまで、今、そんなことをしている場合か?と思うのです。
そして、今後予想される未来として私たちが覚悟しておかねばならないのは、大阪都構想の成否に関わらず、新型コロナウイルスが経済に及ぼした影響が行政のサービスカットを招くことは間違いないことです。先述したように、大阪市の税収が今後飛躍的に伸びる可能性があるとすれば、2025年開催予定の万博を契機とする経済活性化と、やるのかどうか不透明ですがカジノ施設の誘致を含むIR構想実現によるインバウンド需要の活性化です。
しかし、来年の東京五輪・パラリンピック開催が危ぶまれる現在の状況下、確かに永遠に続くものではないとはいえ、これらの事業が劇的に経済を復活させる事はないと思われます。なので、必然的にやってくる暗い未来が、大阪都構想が実現/大阪市が残留したことに起因するものではないことを付け加えておきます。
私が必要とする行政サービスの質的低下(というよりも淘汰消滅)を招くであろう「大阪都構想」には、以上の理由から反対します。大阪市には高度な自治権を死守してもらい、老後もどうにか暮らしていける体制を保持してほしいと思います。