working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

とりあえず、数字は使うな。

皆様こんにちは。私は一時期、テレビアニメを鑑賞した後、1話ごとに5段階評価をつけて、その平均を最終評価としてブログに書いてました。その後、これはよくないなぁと思ったのでやめました。決してめんどくさくてやめたのではありません。本当です。

何がよくないかって、主観に基づく評価を誰かに伝える時の数字は、伝わり方が不正確だからです。

「数字は嘘をつかない、しかし嘘つきは数字を使う」という言葉があります。これで正確だったかな。ちょっと前後の表現は違うかも知れませんが。

自分の主張をもっともらしく見せるために、いかにも客観性、真実味を持たせるように数字を使うって意味です。自分がそのように意図しなくても、受け取る側はそう思うのです。

これは誰かにものを伝える作法として行儀がよくない、主観に基づく評価を数字に置き換えるのは客観性の偽装だと気づいて以来、多少日本語が下手くそでも自分の感想を、自分の言葉で書くようにしています。

 

客観的な感想を書けと言っているのではありません。アニメ作品を見たのは他ならぬ自分なのですから、主観交じりの感想になるのは当たり前です。客観性に捉われて自分が思いもしないことを書いたって何の意味もありませんし、あまつさえ他人の文章を引用して、かつ大量に画像を貼りこんだ羅列をそのまま見せる行為には、何の目的があるのかとすら疑ってしまいます。そういうのは大方、自分で見てないんだけどな。

 

私はいつも、ここにもう一人の自分を作り出すくらいの気持ちで文章を書いてます。究極、私が死んでも私がそこに生き残り続けるような感覚です。こんな一銭の収益ももたらさないものに精魂込めてます。そうしないと読んでもらえないからです。

かといって、多くの人の目に触れたい、多くの共感を得たいわけではありません。私が目指すのは、ごく少数の人に、死ぬほど深く刺さる文章です。利益ベースの動機ではまず続けられないことを、粛々とやりたいのです。

 

改めて、自分がブログを始めた理由を思い出しました。15年以上前のことになりますが、うまくいけばBuzzっちゃうかも、そうしたらお金も入ってきて会社も辞めて作家デビューなんかしちゃったりして!みたいなことは考えました。

……まぁ、続けていくうちに現実にブチのめされたってところです。世間は無名の人間が書いたものをおいそれと評価したりしません。当時評価に値するものが書けていたとも、今もって書けているとも思いません。なにより、現状に安住したら人間の可能性は死にます。

それでも、最新の記事がその時の自分の最大出力であるようには努力しています。ストライクを置きにいくような感覚で書いたものはバレます。私はそんな美文名文をすらすら書けませんのでね、どこかが虚構臭くなるんですよ。自分で読み返してそう思うんだから、私を知らない人はすぐわかるに違いない。

working-report2.hatenablog.com

半年前にも似たようなこと書いてましたわ。仕事関係で嫌なことがあると定期的にこういう話をしたがる傾向があるみたいです。このコンディションで他のブロガーさんの記事を目にすると、余計に気分がささくれ立ったりします。特にアニメ系はダメだな。なんだお前?って言いそうになるわ。点つけたり理論の枠にはめたり、明らかに違法アップロード画像だったり、それを客観的な分析かストーリー紹介みたいに見せるなよってな。

 

労務問題、外部機関の報酬問題、金融機関の融資交渉、ルーティン以外に降り掛かってくる数々の問題。ストレスが多発する時期に差しかかっているのにこの猛暑でしょう?そら疲れますよ。