working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

いつか窮するかもしれない

皆様こんにちは。きのうの夏アニメ展望を書きながら「1記事1テーマで構成することが不可能な場合、別に書かなくていいんじゃないか」みたいなことを考えてました。そういうのって、よくいえば多趣味、悪く言えばとりとめのない、何を書きたいのか分からない記事になりがちです。不定期アップにもかかわらずこの体たらく。恥の多い生涯を送ってきました。

日記帳のように毎日続けることにこそ意味があると考えるブロガーさんは数多くいらっしゃって、私も一時期(10年以上前ですけど)2か月くらいは毎日書いてた時期がありました。

ところがね、やはり無理があるんです。サラリーマンの日常は圧倒的にインプットが少ないので、記事を構成するトピックにならんのです。刺激に満ちた毎日でなくても、ちょっとでも気になったことを膨らませて構成することが出来ない。

日常の出来事にアンテナを高く張っていれば、もっと書けることはあるかもしれません。でも、一銭にもならないブログのためにそんなに気張って暮らすって、めちゃくちゃしんどいし馬鹿馬鹿しいじゃないですか。

 

昨日なんか、よくよく思い出してみたら滅多にない体験をしましてね。

 

出勤途上のコンビニから、黒ずんだボロボロのズボン、ボロボロのシャツ、一見してルンペンと分かる男性が叫びながら飛び出してきたんです。強い雨の中、傘もささずに。

その様子がガラス越しに見えて、「うわぁ!たいへん!たいへんくさそう!」て思いながら自動ドアの前を全速で横切った私の背中をかすめるように飛び出してきたルンペンは、「やめてよぉ!やめてよぉ!こんなんあかんやん!」とか叫んでました。ラッシュ時間の赤信号の車道をそのまま横切り、荷下ろし中のトラックの陰に隠れてなお、出てきたばかりの方向を見つめています。

店のほうからは「出ていけぇ!」と店長らしい人の怒鳴り声が聞こえてきて、誰か出てくるかと思って見ていましたが、追い出したきりでその後の動きはありませんでした。万引きに失敗したか、あるいは店内で大暴れされても困るので諦めたか、いずれにしてもろくでもない体験でした。

 

……大阪にも東京にも、生活困窮の果てに路上生活に身をやつす人がいます。一昔前の大阪市内の公園なんて、大小問わずブルーテント村でした。仕事上、仮処分と行政代執行を駆使して事業計画地から追い出したこともあります。

こんなのが川沿いにたくさんあった

数年前には、道頓堀で寝ていた人を川に放り込んで殺してしまう事件もありました。メンタリストを自称するYouTuberが「生活保護の人たちに食わせる金があるんだったら、あの、猫を救ってほしいと僕は思うんで。」と発言したこともありました。

社会を構成する誰もがそう思っているかどうかは分かりません。しかしながら、最高学府を卒業して、それなりの稼ぎのある人間の頭脳から、命を値付けし、選別する発言が出たことは衝撃的でした。経済的富裕と高等教育は必ずしも良識を育まない。

あ?なんだあいつ?慶應義塾大学かよ?ワイとおんなじやんけ?それじゃ仕方ないな。弟が東大のコンプレックスとか激烈に持ってそう。

working-report2.hatenablog.com

本人の努力とか、家庭や教育の問題とか、いろいろ言う人はいますけど、それら全部ひっくるめて経済状態というたった一つの理由に収束されること、誰もああなりたくてなった訳じゃないこと、この2つは間違いなかろうと思うんです。

それに今は、部下の超絶雑な仕事ぶりにイライラしながら仕事をして賃金をいただいてますけど、病気や事故で働けなくなれば、いつ私がああなってもおかしくないという危機感は常に持っています。そのとき、社会の一部からであっても「お前は死ぬべき人間だ」なんて言われたら、救いがありません。

 

……ここまで書いて、いざ自分が経済的に破綻したときのセーフティネットって、どうやって使ったらいいか、なんにも知らんのですよ。

社会保障にいったいいくら払っていると思ってるんだい私達。困ったときに使えなくてどうしますか。危機感と言いながら知識がない。その結果、路上生活まっしぐら。たぶんそういう経路をたどった人がほとんどじゃないかしら。

kokoro.mhlw.go.jp

クライアス社ではありませんが、困窮なんて、ないに越したことはない。でも知っておくことは重要です。メンタリストに「死ね」と言われる前に、救済手段を心得ておきましょう。どうしようもなく困ったときに助けてくれる程度には、日本の社会保障は手厚く出来ています。備えあれば憂いなし。