皆様こんにちは。月曜火曜と連続で飲み仲間と雀荘に通い、4打ちも3打ちも二家で終わったgentlyです。ニチャニチャ。火曜は赤ドラ全部入りの爆発麻雀でした。ノーレートですがアドレナリンが出過ぎて手が震えてました。本当にノーレートなんですよ。
麻雀ほど知的な刺激の多い遊びは、他に経験したことがありません。もう45年も生きましたから、この先これ以上のゲームに出会うこともないでしょう。
手牌14枚を順子か刻子4組、雀頭2枚を揃えて何かの役をつける以外に、他家が立直したら河を見て安牌から切っていく、安牌がなければ筋を読むか勝負に出るかの攻防が絶妙なバランスで成り立っており、それでも放銃する、ダマテンにはまる、この繰り返しの中に宇宙のように広大な思考を要します。
……ご覧の通り、麻雀をやったことがない読者様には「? なに言ってんだこいつ?」みたいな文章になるくらい専門用語が多く、一般にイメージされる雀荘の「ヤニくささ、オッサンくささ、薄暗さ」が、競技人口の増加を妨げているのだろうと推測します。とっつきにくい。
そういう現場の課題一切を解決し、かつ競技人口増加に貢献しているのがスマホゲームです。以前このことは書きましたのでリンクだけ貼っときます。そんな話まったくしてないけど。
working-report2.hatenablog.com
ただね。麻雀ゲームって、麻雀ゲームなんですよ。進次郎か。
そうじゃなくて、麻雀ゲームはゲームだけ見れば麻雀なんですけど、牌をさわって雀卓でプレイするときに、なんにもできないんです。ゴルフゲームがどんなに上手になってもエチケットが分からないように、仮東、親決め、さいころ、配牌、自摸牌、王牌、手役、点計算等々、自動化が徹底され過ぎて、何をどう動かしてゲームが成立しているのか、麻雀ゲームだけでは分からないことが多すぎるのです。
ちなみに私が最初に麻雀に触れる機会を得たのは小学5年、買い与えられたゲームボーイソフトの中に役満がありました。なんで入ってたんかな。欲しいって言ったんかな。
↑文字化けしてますが任天堂公式サイトなのでたぶん安全です。たぶん。
これの何が凄いって、2人打ちなんです。当時の開発リソースの限界でもあったのでしょう。私の記憶では萬子(マンズ。違う読み方をした人は大いに恥じなさい)が全揃いでしたから、4打ち並みに揃えにくかったかもしれません。
ちんちんに毛も生えてない頃でしたから、CPU相手でも全然勝てるわけがありません。だって基本的なルールすら知らないんですから。取扱説明書に簡単な手役とルールくらいは書いてあったかもしれませんが、バカなのでそれを理解する頭もない。
牌の柄だけ見て、棒みたいなやつ(索子。ソーズ)、丸のやつ(筒子。ピンズ)、「万」のやつ(萬子。違う読み方をした人以下略)、方角のやつ(東南西北)、方角以外のやつ(發中。ハツとチュン)、これスペアちゃうの(白牌。普通はハクと読む。ほかの読み方は恥ずかしいので書かない)、クジャク(一索。イーソー)。これくらいを覚えるのが精一杯でした。誰でも最初はそんなもんですって。
小学生で麻雀が打てる人間など私の周囲に居ようはずもなく、やむなく親父に教えを乞うたところ、頑なに拒否されました。なんでかな。この辺は文字化が難しいニュアンスを含むので適当に流します。
次に機会を得るのは大学です。あの頃の大学生は、やることない日はずっと麻雀してました。やることあっても麻雀してました。
当時のヒヨウラにまだたくさんあった雀荘で、先輩の容赦ない洗礼を浴び、高い講義料を支払ったものです。ああいう痛みとともにルールを覚え、手役を覚えることに必死になるんですね。
人は皆平等ではない。生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な身体を持つ者、生まれも育ちも才能も、人間は皆、違っておるのだ。そう、人は差別されるためにある。だからこそ人は争い、競い合い、そこに進歩が生まれる。不平等は悪ではない、平等こそが悪なのだ!!
……声真似が得意な別人格が乗り移りましたが、麻雀は不平等を克服する頭脳競技です。どんなに配牌が役に遠くても、自摸牌と切り方次第で道が開ける不思議なゲームです。シャルルは息子の葬儀の間も残酷な真実しか言わない。
手軽なゲームアプリから始めるのでもいいですし、最近はノーレート・禁煙のフリー雀荘も増えました。いわゆる健康麻雀ですね。なにせ頭を使いますから認知症予防にも有効だそうです。新しい趣味をお探しの方におすすめします。
2024年10月3日追記
せっかくなんで最近出た四暗刻貼っときます。