working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

ショッキングな彼ら

先週のある日の午前中、比較的涼しかったのでドアと窓を開け放して風通しのいい環境で在宅勤務していたら、その筋の勧誘のご婦人が戸口に立って聖句がどうのこうのと説明を始めようとするので、お引き取りいただくまで非常に難儀しました。階下のオートロックセキュリティが機能してません。このご時世に不特定多数との接触を試みるこの人たちは大丈夫なのでしょうか。てか最初に引き入れたん誰や。こんにちは、エホバのgentlyです。実家時代、ヤマギシズムの酪農産品はとても上質だったので信じる信じないに関わらず販売車が来たら買ってたな。

 

ところで、ブログを交流ツールとお考えの方々にお伝えしなければなりません。私は、アクセス数を稼いだり、アフィリエイト収入を目論んだりといった目的で、相互読者登録を暗に要求する持合株みたいな行為には加担しません。そういった活動が互恵的に読者を増やすきっかけを作るであろうことは分かります。ところがそういう方が書くものに限って私の心に全くフックしないのです。第一、読まないのに読者登録とか互いに失礼すぎるでしょう。

 

インターネット上におけるいかなる活動についても、誰かの批判を受け入れたり、批判したりするのは自由ですし勝手です(受け入れないことも然りです)。ただ、そのような内容を読者として受け入れること、もしくは私の書いたものの読者たりえないのになろうとすることは、だいぶ意味が違ってきます。

 

ある意味、その筋の人々より信者集めのテクニックが巧妙化しているようで非常にたちが悪い。それは交流という名のもとに集められた信者のコメントを見れば一目瞭然で、意見交換のように見えて通っている筋は著者の主張一本しかない。互いにイエスを言い合うことがサイッコーに気持ちいいんですみたいな変わった趣味をお持ちであればそれはそれで結構だけど、言いたいことも言えずに虚偽の賛同圧力を受けたくない他人を巻き込もうとしないでいただきたいし、そうしないことを批判するのは筋違いも甚だしい。仮に私のブログがそうなったとして、その痕跡を、自分と同等以上の読解力を有する人間が読んだときに何を思うか想像できるし、こんな書き物、学生が夜更けにナニした後に詩を書いちゃう境地から永遠に脱出できない自覚ぐらいはある。それがないのは大変痛々しい。

 

半月ほど前に20代なかごろの男子2人とお酒を飲む機会がありました。アイマスが好きだというのでよくよくお話を聞いてみると、ひとりは声優の夏川椎菜さん推しで、アイマスにおける彼女の立ち位置は「ミリオンライブ!」いわゆるミリシタの望月杏奈ちゃん。知らない。いや正しくは彼女を「えんどろ~!」の家事できないエルフのセイラちゃんの中の人として認知してるけど、ミリシタにいたことは知らない。

 

この話を聞いたあと、帰宅してアイマスシリーズのアイドルが何人いるのか調べたら300人超えとる※じゃないですか。プリキュアより多い。レジェンド原理主義の私には想像も及ばない世界がそこにありました。

 

※参考記事。よく調べたな。

statistics-media.com

 

もっとも全員に声がついているわけではなく、名前と絵だけの子もいるとはいえ凄まじい人数です。ハロー!プロジェクトより間違いなく多いですね。秋元先生の育成・支配下登録選手といい勝負でしょうか。まぁ彼女たちもテレビやネットの露出がなければ声のないアイマスアイドルたちと大差ないわけですが。

 

話を戻して、夏川椎菜さん推しが高じて写真集を購入したというくだんの男子は、そのロケ地が彼の居住地である高円寺だったことに興奮して彼女のポーズをそのまま自己再現して写真を撮るという、聖地巡礼ガラパゴス的進化を遂げて別の何かになっていることに対する言葉を失ったのは置いといて、私も6年ぐらい一途に我那覇響ちゃんを推し続けているので話を振り向けてみました。

 

じぇ「沼倉愛美ちゃんのパフォーマンスが大好きなのよ」
男子「あー沼倉さんですか!沼倉さんはベテランだからなぁ、いや、大ベテラン」

 

分かってる。彼は敬意を込めて「大ベテラン」と言い直したことぐらい分かってるんだ私は。だけどアイドルの事績を顕彰する表現としてベテランはどうなんだ。そりゃ沼倉さんは結婚しちゃったし歌手活動やめちゃったしご年齢もあれだし、ベテランといわれる域に達しているのは認めざるを得ないんだけれども、我那覇響ちゃんは私がいくら年を取ろうがいつまでも16歳なんだぞ!だぞだぞ!私より9つも若い女子をベテランなんて呼んじゃいけない。せいぜい譲歩して「お姉さま」だ。わかったか。

 

などと言えるはずもなく、20代男子たちのリアルはそういうことなんだろう、彼らにとってのアイマスはゲーセンや据置機で遊ぶものではなく、スティーブ・ジョブズさんの奇跡の小箱の中で躍動しているものなんだろう、そしてリアル年齢と限りなく近い子たちがキャッキャやってる世界なんだろうと思いながら聞いてました。

 

引き続き、普段何を聴いているのかという話になり、その筆頭に出てきたのが

 

男子A「んー、ヨルシカですね」
男子B「いや文句なく中村佳穂ですよ」

 

知らない。どっちも。まじで。これがいわゆる中年、オッサンになるということなのか?私たちが飲み食いしていた場所は店主の権限で映像をスイッチできるので、二人の言うシンガーたちを見ることができます。

 

まずヨルシカ。映像との組み合わせでsupercellを思い出しましたが、歌詞も曲もよりシャープかつ繊細(久しぶりにこの言い回し使ったけど何言ってるかさっぱり伝わらんな。要するにカッコいいって思いましたはい)で、なんとなく危うさもはらんでいるように感じました。歌っている最中に理想と現実の乖離に発狂してしまうんじゃないかという危うさ。私が見たのは「思想犯」のミュージックビデオです。

 

www.youtube.com

 

続いて中村佳穂さん。あぁ、こちらはなんとなく見覚えがあるような気がするだけかもしれない。ぱっと見、ほんとぱっと見ですよ、アンジェラ・アキを想像してしまった。私が見たのはライブ配信の録画(期間限定)だったので、これとはだいぶ趣が違いますが……参考までに。

 

www.youtube.com

 

ところで、みんなはこれをどこで見つけてくるのさ?

 

ネットを出発点とする音楽やパフォーマンスに私がフックするのはアニメ、つまりテレビです。オープニングとエンディングと、あと合間に入るコマーシャル。目的をもって見ている人間はCMもちゃんと見ます。2つのメディアが限りなく融合しつつあるとはいえ、動く絵や音を認知する機会について私は圧倒的にテレビです。

 

日常的にYouTubeなどの動画サイトやNETFLIXに代表されるサブスクチャンネルを視聴する習慣がないので、それらがテレビ、キー局を中心とする何らかの番組に取り上げられるまで、私には存在しないのと同じことです。それを彼らはあれだけ広大なワールドワイドウェブの中から掬い上げ、そのような動きが一つの流れとなり、大きなムーブメントに成長するまでにはどんなロードマップがあるのか、想像がつかなくなっているのです。

 

何をきっかけに流行を認知するかという問題と同じことを話しているようですが、私が言いたいのはちょっと違っていて、既存のテレビメディアには一定の意図、方向性があって、製作者がある程度情報を選別したうえで公共電波に乗せています。しかしインターネットは多種多様な発信者がいて、それらに一定の方向性を与えてトレンドを整列させることは不可能だと私は思っています。何者にもコントロールされない、発信者が平等の地平で人気を取り合っている状態、つまり、情報を選別するのはインターネットを扱う自分自身であり、何らかの流行に乗っかって彼らが自分の好きを見つけてきたのではないということです。

 

メディアとの接し方を世代で括るのは乱暴かもしれませんが、どこまで行ったって私たちより上の世代のほとんどは何者かが仕掛けた流行にある程度付き合わされてきたわけで、自分で見つけてきた感覚が薄いと思うんですね。10年単位で年が離れているだけで、こんなにも違いが出るものか、私もそれなりにネットを使ってるけど、たぶん根本的に語彙が違っているんだろうな。時が過ぎ世が移ろうことの意味を体感した一日でした。