working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

「出会う」ことについて

※初回アップ記事を大幅に加筆、改題しました。ほんの2年前なのに、どうしてこうも自分の書いたものが居たたまれなくなるんだろう(2021年7月)。

 

皆様こんにちは。気が向いたときにだけ、物の役に立たない情報ばかり垂れ流すgentlyです。「newみんなのゴルフ」が全然うまくならなくてコントローラーを投げ捨てる暴挙に出ましたがソファのクッションに跳ね返って顔面に激突しました。とても痛い。皆さんも気をつけましょう。PS4のコントローラは質量が意外とあるので当たりどころが悪ければ失明したかも知れません。

 

土曜日は昼間からワインデートして、ブルゴーニュピノノワール(しかもビオだぜ)1本空けて立て続けにハシゴして気がついたら午前1時の自宅のソファの上でいびきかいて寝てました。頭痛も吐き気もなくスッキリ目覚めたので(連れはいつ帰ったんだろう、こんな私に呆れているだろうか)「きょうはイケる!」感覚がどこからともなくわいてきて、1年以上塩漬けしている「BIOHAZARD HDリマスター」をプレイしました。

 

いやーキモいねこわいねこのゲーム。絵がカクカクしてた初代PSのゾンビとは文字通りカクが違う。口から黄濁した汁ブェーしながら「アー」ゆうて近づいてくるのを思い出しただけで夜のおトイレに行けなくなります。

 

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S.T.A.R.S唯一の女性隊員ジル・バレンタインさんが超美形。「この人をゾンビから守りぬくのは私だ。」と決意して早1年。VERY EASYモードでついにクリアしましたよ。アクションが苦手な私でもなんとかなった。湯屋敦子さんのカコイイ演技が素晴らしかったです。湯屋さんでなかったら諦めてた。メディカルスタッフのレベッカちゃんも可愛いですね。あの子がいなかったら諦めてた。と言いながらラストステージでタイラントに串刺しにされてたような気がするけど。あいつの敵意を一身に引き受けて逃げ回るのは大変です。ごめんよレベッカちゃん、次は一緒に生還しましょう。クリス編にも出てくるんかな。あ、クリス檻から出すの忘れてた。

 

ただねぇ。ゲーム中のゾンビはすでに死んでいて放置すると害意を向けてくるとはいえ、人型の何かに銃を向けるのは引っかかるんですよね。「SILENT HILL 2」もそうでした。いや、あれはそうでもなかったな。看護婦風の怪物がぷしゃーて吹きかけてくるあれはめちゃくさそうで、序盤散々手こずったこともあって殺すのに躊躇しなかった。倒れてからも、ほんまに死んだか確認するのに鉄パイプで殴りまくったな。ゲーム脳こっわ。

  

ところで「魔法少女まどか☆マギカ」が再び公共電波に乗るっていうじゃないですか。1話目の放送が関西では昨日でした。今初めて知った人はざまぁごめんなさい、もっと早くお知らせすべきでした。

 

初回本放送は2011年1月から1クールの予定でした。しかし3月、東日本大震災の影響により首都圏は9話、関西地区は10話(それも震災当日の深夜でした)で放送が中断。世界の崩壊を想起させる内容で、そこへ震災が覆いかぶさってこれは永久にお蔵入りするのではないかと危ぶまれましたが、約40日後に完結編として残り話数を一気に放送しました。

 

やがてそれは爆発的なヒットとなり、その後のメディアミックス展開はみなさまご存知の通りです。

 

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放送当日、読売新聞にごらんのような全面広告を打ちましてね。会社でもらってきました。他にこんなん出たの「Angel Beats!」ぐらいちゃうかな。あの主人公はモノクロだとハルヒさんに見えた。言ってませんでしたがgentlyはアニメを見るのも大好きです。それと、こういうのいちいち取ってるあたりがキモいってよく言われます。うるさいわ。

 

「まどか」をここまで印象に残る作品にしたのは震災でしょうね。ワルプルギスの夜がとても象徴的で、「あの時私はこうしていた」と「あの時はまどかさんも大変だった」が混ざり合って感情とシチュエーションが限りなくシンクロしていたと思います。

 

震災以外にも私は当時会社のとある特別事業に携わっていて、「まどか」放送時の1月から3月は事業の追い込みで36協定越え連発でした。月給でボーナスくらいもらってましたわ。今は跡形もないけど。さらに、事業関連の工場が福島県浪江町にありましてね。仕事も震災もまどかさんもみんなその日を生きることに精一杯でした。浪江小学校は今も二本松市に移ったままなんでしょうか。

 

様々な思い出をはらみつつ、そうした事象がなかったとしても高い評価を得たであろう「まどか」再放送1話目を非常に危ういテンションで眺めているうちに、以前友人と話していたことをホワホワーンと思い出したのです。

 

「全然アニメを見なくなってましてね。10年とか20年とかの単位でアニメの取り扱う内容が本当に変わってしまって、長らく出会わなくなってるんですよ」

 

人の心や感じ方は移ろいゆくもので、今の私と10代の私では、何を楽しい、あるいは美しいと捉えるか、全然違っていると思います。

 

友人の言う「出会う」とは、私たち世代のアニメが持っていた大人への背伸び感とか悩みとか人間関係の難しさとかいったもの、要するに複雑なもの、考えてもすぐに答えが出ないものを追体験することです。

 

それで、今のアニメが取り上げている何か、多少の生きづらさ、社会との関係性みたいなテーマを含んでいる場合もあれば、異世界とチートと美少女とバトルで出来てるもの、あまり考えなくて済む場合もあって、若い人たちにはどちらかというと後者の人気が高く、見ていて心がざわつくもの、不安定になるものは年を経たアニメファンのために作られているように見えます。私たちが多感な10代を過ごした頃より、アニメの役割は単純なもの、比較的答えが分かりやすいことへシフトしているような気がするのです。

 

つまり、今の10代は私たちの世代がアニメを媒介して「出会った」体験をしているのかどうか、仮にしているとしてそれはどういう「出会い」なのかが分からない、ということなのです。

 

分かりやすいこと、単純なことがダメで、落ち着かないこと、複雑なことを崇めよ、というのではありません。私たちの世代も頭を空っぽにして見ていられる作品はとても好きです(あいまいみーとか)。

 

ただ、私たちが見て単純と思われるものに対して、若い世代が何らかの複雑さのような文脈を読み取って感動しているようなことがあったら違うのではないか、その情動にはもっと折り重なった色々なことが本来備わっているはずで、それを知らないまま過ごしているなら勿体ないなと、ありがた迷惑なことを考えてしまうという話です。

 

2010年代を代表すると言ってもいい「まどか」以降の複雑さを扱う作品は残念な方向にパロディ化していきました。複雑さを嗤う、小馬鹿にする空気があって(意味もなく複雑な作品への態度はそれでいいのかもしれませんけど)、アニメに求められている役割の変化を隠れ蓑にして、実は作り手側が真に複雑なものを扱い切れていないような気がするのです。

 

そんな空気が漂う現在のアニメシーンにおいて、悲劇も喜劇もぬるいと感じています。日常劇はぬるくていい。その両方の要素を取り入れつつ、さらに複雑なものと真剣に向き合って作られているのは「プリキュア」シリーズぐらいじゃないかと思います(マジで)。この再放送を機に、そういったことの気づきのきっかけになればいいなと思ってます。

 

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どうでしょうね、アニメをこれくらいの熱量で見ること自体バカバカしいという空気の方が強いのはよく分かってるんですが、はなっからアニメをバカにする手合いには「知らんのに偉そうなこと抜かすな」と思いますよ。誰かが好きなものへの他者の態度として最低です。