working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

グラウコマ

※2023年5月に大幅に改稿しました。

 

皆様こんにちは。外界を感じ取る人間の五感、触覚・味覚・嗅覚・聴覚・視覚のうちで最も大切にしなければいけないものはどれでしょう。選べるわけがありませんね。では聞き方を変えて、この中で失っても平気なものはどれでしょう。拷問でも始める気かな。

 

私たちは生まれながらに五感を知っている以上、どれ一つとして失っていいわけがありません。ありませんが、後天的にどれかを失う可能性は常にあり、失った後もちゃんと前向きに生きている人たちが世の中にはたくさんいます。

 

少し前に佐村河内守という人が話題になりました。改めてウィキペディアの記述を読んでみると非常に面白いので皆様にもおすすめしたいのですが、音楽に欠かせないはずの聴覚を失っても曲を作る「奇跡」を見たがる大衆と、見せたがるメディアがいることを、この人はよく理解していたのでしょう。「現代のベートーヴェン」とか最高にキャッチ—じゃないですか。みんなそういうの好きだから。

www.hiroshimapeacemedia.jp

この記事をいまだに読める状態にしてある中国新聞は偉い。虚構を鵜呑みにした恥ずかしい報道をなかったことにしないのは尊敬に値する。

fujinkoron.jp

聴覚喪失も作曲活動も虚構、新垣隆という人が別にいて作曲していたと分かった瞬間の世間の手のひら返しは強烈でした。大友さんも大変だったんですね。世の中、琴線に触れるということに対して必ずわかりやすい筋書きが必要だったというのは愚かしい限りです。

 

楽曲を聞いた政治屋筋は、逆境に立ち向かう佐村河内の筋書きとセットで、おもらしするほど感動したはずです。だったら新垣さんの作曲の才能を改めて評価すればいいのに、筋書きが嘘だと分かった瞬間、楽曲の使用停止とか演奏中止とか、佐村河内に与えた数々の栄誉だけでなく、楽曲そのものの価値をも否定しました。まるで官民こぞって「わたくしたちは被害者でございます」とでも言いたげです。

それで建前を守ったのかも知れませんが、じゃああんたらは、佐村河内の何を評価して栄誉なんぞ授けたんですか、楽曲を聞いてふさわしいと思ったんじゃないんですか?との疑問に答えられずに嗤われていることを分かってるんでしょうか。

交響曲「HIROSHIMA」を作ったという佐村河内の「苦悩の果てに見出した一条の光を曲にした」という虚構を疑うことなく、曲なんぞそれっぽけりゃどうでもええわと言っているに等しい自分たちの態度、すべて作り話だったことを見抜けない耳目の節穴っぷりを恥ずかしいとすら思わない。

佐村河内にまんまと足元を掬われたのに、己の不明を顧みることなくふんぞり返っていられるのは大した面の皮です。もっとも、それくらいでないと政治屋は務まらない。いつだったか、米国の高官が「政治家には高度な知性だけでなく教養が求められる」と発言していましたが、教養どころが羞恥心もないのが日本にはたくさんいるみたいです。

 

私はこの騒動の後、しばらくの間「ベートーヴェンなど本当にいたのだろうか」と疑ってました。ちょうどそのころ「楽聖少女」というラノベを読んでて、作者が同業者をネットで誹謗中傷したかなんだかで実質打ち切られましたが、あのピアノソナタの数々は誰が作ったとしても名曲に違いなかろうに、佐村河内に手のひら返しした人たちは、ベートーヴェンでなかったらその価値を否定するのでしょうか。

 

……要するに、一部の心得ある人を除いて、誰も曲の素晴らしさなんてわかってなかったのです。誰が、どんな境遇で作ったのか、嘘でも何でもいいからそういう話がないと感動スイッチが入らないのです。PS5向けにアップコンバートされた稲船啓二プロデューサーの鬼武者の楽曲も当初は佐村河内が担当していたことになっていましたが総差し替えです。前の楽曲の方が絶対よかったのにな。

人は何らかの障害を抱えていてもいなくても同じ人間です。障害が加わった途端に勝手な物語性、感動要素を押しつけてくるのは五体満足の傲慢な人間です。それが分かっていればこんなくだらない騒ぎは起きなかったのです。

 

今回の話題は私が患った緑内障です。いずれ視覚を失う「かもしれない」話です。でもそこには何らの感動要素もないことをつらつらと書きます。

www.gankaikai.or.jp

緑内障のメカニズムはとても単純で、眼球の中身は房水で満たされており、水風船のようになっています。その内側に視神経および神経細胞が貼りついて、これが脳に信号を送ることによって物が見えている状態になります。

房水は常に一定量になるようコントロールされ、新しい房水が入ることで、古い房水は適宜排出されます。ところがこの排出構造がおかしくなると房水が溜まりやすくなり、眼球内を圧迫します。視神経および細胞はこの圧迫に非常に弱く、ぺちゃっと押しつぶされてしまうと元には戻りません。こうして物を見るための細胞が徐々に圧迫死滅していくことによって視野が狭くなり続け、最終的に失明に至る、それが緑内障です。

 

発症初期には自覚症状が全くありません。目の中の細胞が圧迫されると言っても痛みを感じません。なので大半の人が気付かないうちに病気が進行し、気づいたころにはもう手遅れなほどに視野が狭まっていることがほとんどです。そしてこの病は極めてゆっくりと進行します。人によっては一生気付かないまま生涯を終えることもあるかもしれません。

 

緑内障の原因は現代医学の力をもってしても解明されていません。日本人の失明原因の第1位は緑内障だそうで、目を酷使する仕事で発症しやすいというわけでもなく(そういう人は別の理由で失明します)、眼球内の圧迫がそれほど強くない人でも発症します。

そしてどんな病気についてもいえることですが、早期発見と治療が重要です。視覚を司る神経細胞は潰されると元には戻りませんので、治療といってもできることはこれ以上視野が狭まるのを防ぐことしかありません。命に別状ないとはいえ、ゆっくりと確実に視野を奪ってゆく、聞くだに恐ろしい病ですね。

 

……緑内障が判明した当時の私は東京で勤務しており、非常にストレスフルな上司が放つ思い付きの指示命令を黙々とこなしていました。あるときその上司が抱えている仕事の一部を派遣員(私のように他社から一時的に寄越された人が一定数おり、このように呼ばれていました)にもやらせようという趣旨のことを言い始め、当初我々はこいつの無能ゆえに業務分担を変更されることに反対していたのですが、

 

「これは君たちの経験になるから」

 

と言いくるめられ、このクソ野郎は肩書どおりご立派に大所高所からものをいうだけの人になりました。

 

その後の私は相変わらずわけのわからない指示を飛ばしてくるクソ野郎のためにストレスがたびたび爆発して激しい口論を引き起こしたり、人事不省に陥って長期休暇を取るなど、精神的に問題を抱えるようになりました。

昔から「楽なことこの上ない」と言われていた職場で心身ともに疲弊しきったところへ健康診断結果が告げるところによると

 

視神経線維束欠損・乳頭陥凹

 

見たことのない注記がつき、直ちに専門医の診察を受けろというのです。「視神経」と書いてあるのでなんとなく目があかんのだろうとは思ったのですが、中点を挟んで後ろのほうがよくわからず、私の乳首は陥没などしていないことをいやらしい手つきで確認しました。

 

仕方なく、軽い気持ちで八重洲地下街の眼科医に行きました。

 

視野検査はなかなか大変で、片目の検査に約10分かかります。正面のオレンジ色の目印を見ながら、その周辺でくず星のように明滅する白い光が見えたらボタンを押します。この間、まばたきは許されても眼球を動かすことは絶対厳禁で、万が一動くと最初からやり直しです。可視領域の計測ができなくなるから当たり前なんですが、人間、10分間も一点を見つめ続ける経験なんてそうそうありません。どんなに好きな相手だって10秒も見つめあえたらいい方じゃないですか。私はフィギュアの響ちゃんですら5秒以上見つめられません。だって、恥ずかしいから!キャッ!

 

ひと通りの診断を終えた医師はこう言いました。

・お酒は飲んでも構わない。たぶん。
・タバコはダメと言われている。らしい。
・原因は仕事上のストレス。と穂村弘さんが言っていた。

 

gentlyはこう答えました。

・お酒がなくなったら死にます。
・タバコ吸わないとやってられません。
穂村弘さんて誰ですか。

 

医師「まだお若いのにお気の毒な……この後の事もおありでしょうに……」

 

声を詰まらせながら言うので、これは大掛かりな手術でもしないとただ失明を待つだけになってしまうのか、それすら手遅れなのかもしれん……と、どんよりしかけたところに

 

医師「じゃあ目薬出しときますね」

 

ズコー。目薬で治るんか。つぶれてしまった神経細胞は戻らなくても、死ぬまでこれを差し続けていれば緑内障の進行は止まるのだそうです。1か月の負担は200円程度。

 

医師「ところが、この目薬には副作用がありましてね……」

 

ゴクリ。本命はこっちだったか。なんだろう。ハゲるんかな。

 

医師「まつげが長くなります」

 

お前さては私を笑わそうとしてるんか?

 

おちゃめな医師のおかげでずいぶん気が楽になり、点眼治療を続けるうちに関西に帰任する段になり、帰任先のビル内にあるクリニックでも点眼薬の継続処方を求めに行ったら、だいたいこんなことを言われました。

 

女医「gentlyさん想像以上に進行してるわ、前からこれくらいだったん?」

 

前がどのくらいだったか診断書とかもらってないんであれですけど、え、なに、そんなに悪いんすか?全く自覚ないですけど。

 

女医「継続的に治療する気持ちはありますか?一生付き合う病ですよ?わかってます?手術も視野に入れて取り組まないと失明しますよ?」

 

同じ病気なのになぜ医師によってこんなにも言うことが違うのか。病状を誤らず患者に伝えることも医師の責務でしょうけど、いたずらに不安を煽るのはなんか違う気がするんだが。その後のやり取りを正確に覚えていないので合っているかどうかわかりませんが、こんな重篤な状態なのに前任の医師は何をしていたのか、点眼で改善するか継続的に見ないといけないのにずっと目薬だったのは信じられない云々。

 

あまりに厳しいことを言われて気落ちしたせいか、このクリニックには行かなくなりました。もう3年近く放置してますが、特に困ったなということはありません。まぁ、本が読みにくくなった気がする程度です。右目の焦点を合わせる位置に黒い点がわさわさして見づらい。新聞は問題ないですね。それくらい進行がゆっくりなのであれば、東京から大阪へ戻った時も大して差はなかったんでしょう。黒い点は大昔から変わらず出てましたし。

 

その後、緑内障についていろいろな文献や記事を読みましたが、人によっては眼球に入った傷などが作用して一時に神経細胞が死滅した状態、つまり病気として死滅し続けるのではなく事故的に細胞が死滅した場合があり、一概に進行性の緑内障とは言えないことがあるそうです。

 

思い出したのは、視力が下がり始めた頃ぐらいから眼球をまぶたの上から指でぐいぐい揉む習慣と、幼少期の親父の折檻でした。前者は確実にアウトじゃなかろうか。だって涙が満たされすぎた程度で潰れる神経細胞が、揉まれて平気なわけないじゃない。後者は土蔵で緊縛されたときの親父の張り手が凄まじくて、眼底に変な傷がついたのです。大阪の女医さんもそれを見つけて色々聞かれましたが、死人の名誉を守るため「こけました」とだけ言っときました。偉いな私。

 

とりあえず点眼は続けたほうがいい気もしてきたので、新しい眼科医を見つけることにします。

 

追記 別に言わなくていいことなので、書いた上で取り消し線を引いておきますけど、東京で受診できる健康診断の方がグレードが高いのは間違いありません。大阪で団体受診する健康診断では過去も現在も一度たりとて眼科医に行けなんて注記がついたことはありません。安全・安心の頭に「平等な」と付け加えた方がいいんじゃないかな。