皆様こんにちは。熱病にうなされたお盆期間中、「お前、元気になったら何書きたい?」てな具合で枕元のスマホのメモ帳機能をネタ帳みたいに使ってました。X日後、ミイラ化した私の横に転がってるスマホが発見され、刑事さんに「ホトケさんは死ぬまであんなブログのことを気にしていたのか……クスクスプスー」と嗤われるやつです。
ところで病後、師匠とこんな話をしました。
師「あんた……あんなにスマイルが好きって言ってたじゃないか!!スマイルと魔法使い以外浮気しないって言ってたじゃないか!!」
じ「だぁれがそんなこと言った!!ワイはスカイ大好きや!!せやけどな!!お嫁さんにするのはビューティだけや!!」
師「ほーん言ったな?今すぐビューティの目の前でスカイのグッズをすべて焼き捨てるんだ!!」
じ「そんなことしたってビューティは喜ばんやろ!!」
師「誓いを立てろ!!そうしないとビューティは永遠に手に入らないぞ!!」
じ「ワイはな!!ビューティが!!一番で!!青キュアが!!大好きなんや!!」
感嘆符の多用は高齢者のSNS投稿によく見られる現象ですが、これはiPhoneのメッセージ機能のやりとりです。わしらもう高齢者です。
中年オタクがいったい何を揉めているのか皆様にもわかりやすく説明すると、結局私の推しプリキュアは誰なんだ?そもそも推しとはどういう位置づけなんだ?という話です。
青キュアが好き、病的に好き、やがて死に至る不治の病であることは散々書いてきました。
working-report2.hatenablog.com
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でも、その好きって、どういう好きなの?を直視してこなかった結果が先の師匠の怒りであり(なんで怒ってるんやあいつ)、私の甲斐性なしゆえの罪深さなのです。
推しって便利な言葉ですよね。応援したい気持ちだけを表す場合にも、それ以上の感情を隠ぺいする場合にも使えます。そして世の中では言葉が独り歩きを始め、最近では「推し活は人生を豊かにする」みたいな言論まで登場しました。
私はこの「推し活」という言葉が大嫌いです。なぜって、推しへの愛がそこにあろうがなかろうが、単なる自堕落を正当化する言葉でしかないからです。
推しにウン十万円注ぎ込みましたぁ~とか、自室にこもって何十時間もライブ見てますぅ~とか、24アワーズ7デイズ、昼間っから布団で寝そべってスマホゲーに重課金しながら「推し活中でぇす」とか、おそらく日常生活に何らかの支障が生じるレベルでのめり込んでいる状態が、さも正常であるかのように聞こえてしまうからです。
心ある推し活実践者は「そんなものは推し活ではない」と思われるでしょう。でも、それは外から判別しがたいんです。現実を顧みないほどの推しへの偏愛は不幸しか生みません。
そのような推し活をめぐる状況と私の推し状況を比較検討してみると、私の好きなんてカスみたいなもんです。ほぼ口で言ってるだけ。
行動で推しを実践しているといえば、キュアビューティのアクリルキーホルダー持ってることと、それをバックパックに見えるようぶら下げてることくらいです。あ、あと「あなたの鏡」ってキャラソンをAppleMusicで買いました。西村ちなみさんは歌声も可愛いなぁ。
キュアビューティのアクリルキーホルダーはいまだに再生産されない超レアものです(さきの「青の系譜」記事内写真を参照)。こないだキューズモールのプリティストア行った時もビューティだけ品切れという異常事態。
そんなビューティへの煮え切らない態度(私としては十分応援してるつもりなんですけど)と並行して、キュアスカイがジャケットのオープニングテーマCD買ったり、やっぱりアクリルキーホルダーを買ったりしているものですから、師匠の怒り(怒られるようなことでもないと思うけど)を買ったわけです。書いても全然意味分からんな。
男性のオタクが女性のキャラクターなり実在の女優なりアイドルなりを「推す」とき、そこには大なり小なりの疑似恋愛感情が挟まります。その延長線上に性的欲求が存在する場合もあるでしょう。
私はそういうのを不潔とか汚らわしいとか思いません。私もキュアビューティを抱きしめたいとかお嫁さんにしたいとか、いっぱしの妄想はしました。推しの原動力は男女問わず、外見的要因に惹かれて恋愛に似た感情が兆して当然ですもの。むしろ「そんな劣情を催したことは一度もない」とか清潔ぶって断言する奴のほうが、はるかに、人間の生理的機序として気持ち悪い。
同時に男性のオタクの大半、そう、「大半」は、疑似恋愛感情が実らないことを知っています。キャラクターはストーリー展開上結婚しない限り永遠の独身で永遠の17歳ですが、次元を超えて恋愛が成就することなどないと知っています。そして次元を同じくするアイドルや女優たちとも、おそらく一度も知り合う機会のないまま時の経過とともに老い、死んでゆくことを知っています。
それが分かってないのが最近けっこういるから油断ならんのですけどね。それはまた別の話なので詳しくは書きません。でもひとつだけ書かせてね。
相手の意思と唯一性があって成立する結婚概念を、次元を飛び越えて持ち込んだこういう人は単純に行儀が悪いとしか思いません。広く愛される存在のキャラクターに対する独占欲とでもいうんですか。もちろん何をどう愛そうが自由ですけど、その一方的な恋愛感情の行き着く先に何が待ち構えているのか、それなりの覚悟があるんだろうな?と聞きたい。
逆の言い方をすれば、推しというのは誰か1人に入れあげる義務なんてないので、次元に関係なく、大勢のアイコンを等質に、あるいは多少の傾斜をつけて、どのように好きになったって構わないのです。狂信的に誰か1人を祭り上げたところでやってくるのは人生の浪費に伴う途方もない虚しさであることは、国府田マリ子に入れあげたらしい人のコピペ記事を読めばだいたいわかります。
要するに師匠はそれが分かってて、あえてネットの推しにまつわる低レベルな議論の定型文にはめ込んで私を挑発してたんですね。和倉温泉で合流したら泣くまで●してやる。
……果たしてこの記事で、なにほどの事が皆様に伝わったのか、私には実感がありません。私の思う推しの姿が正しいのかどうかも分かりません。現状の自分は間違っていないことが言いたいためだけに書いてるんだろうと言われたらぐうの音も出ません。あとは読者様のご判断にお任せします。