working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

慶應義塾について

皆様こんにちは。私大最難関と言われる慶應義塾大学法学部法律学科に現役合格・卒業した、超絶エリートで、インテリジェントで、プリキュア大好きで、いまだに独身で死ぬまで独身の中年男性アニメオタクの人間のクズ・gentlyとは私のことです。

今年は母校が地方大会で早々に敗退してほとんど興味関心のなかった夏の甲子園で、慶應義塾高校(以下、塾高)が優勝しました。慶應の選手の皆さんおめでとうございます。

祝意はここまでです。ここからは慶應社中(学校関係者を含む総体)、塾員(慶應OBの総称)一同に対する私の率直な意見を述べます。

 

やっぱりというか、案の定というか、高校野球の聖地に塾高の大応援団が押し寄せ、相手校を音圧で委縮させたの対戦相手への敬意を欠いているだの応援マナー違反だの何だのといったニュース記事が出回り始めました。

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匿名でしか批判できない僻み根性の塊みたいな一部のヤフコメ民は無視するとして、高校野球の応援で相手側がミスをしたときに歓声を上げるのはマナー違反なんて言説を、母校がセンバツ準V、夏に初優勝したとき応援団に所属していた私は聞いたことがありません。そんなことは普通に起こります。

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そして、ま~たリスペクトですよ。勝敗と敬意とどっちが先に立つのかって話は過去にも書きました。勝敗が優先するに決まってるだろうが。応援を含めた清々しさとか高校球児らしさとか、当事者以外が美化しすぎるから、奇妙で奇態な押し付け文化がまかり通るんですよ。どちらをどう扱うかなんて、やってる当事者に委ねる問題だってことが、どうしてそれなりのインテリジェントにも分からんのだろう。

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吹奏楽部の音がデカい、応援団の声がデカいのは当たり前です。あんだけの人数が押し寄せたんですから。音量が大きくて野手の連携に支障が生じたとしても、だからと言って応援が静かになることなどありえません。そういう事態が予想されながら、対処できなかった側の問題です。

スポーツにおけるフェアネス(公平性)とは応援の大小の是正を意味しません。相手を愚弄するような野次が飛んだり、メガホンを投げ入れたり、暴力沙汰が生じたり、常識はずれな行動が起きた場合にこそ、フェアネスが損なわれるのです。甲子園を本拠地とするチームの一部のファンには耳かっぽじって聞いていただきたい、お前らのことやぞと。

この旗を見るとなぜだかイライラするのだよ

これは私が慶應出身者だから慶應の応援を擁護するのではなく、高校野球とゼロ距離で接してきた人間の経験として言うのです。特に甲子園は学校の動員力に左右される部分が大きく、母校では応援を授業単位にしていたくらいですから、現役学生は否応なく炎天下で座らされ(その座る位置によっては赤いTシャツを着せられ)、また愛校心に満ちたOB達が続々と押し寄せるのです。宮城大会における仙台育英も同じことをしていたはずです。それ自体、批判されるような悪いことではありません。

 

むしろ慶應OBとして恥ずべきことは他にあります。それは一部メディアの慶應に偏重した報道姿勢であり、アルプスと内外野を埋め尽くしたのは塾高の生徒ではなくほとんどが慶應OBであり、しかもその慶應OBを構成する大半は塾高と何の関係もない大学編入者であり、そのOBを計画的、組織的に運用している三田会です。

 

私らのころの六大学野球は、応援指導部に学生証を見せれば無料で神宮球場に入れてくれました(今はどうなのか知りません)。

紙製のメガホンを手渡され、内野席に余裕があるのに詰め詰めのキツキツに座らされて、点が入ったら見知らぬ他人と肩組まされて若き血を大声で歌わされます。いつも途方もなく汗臭い応援指導部の兄ちゃんたちが音頭を取り、麗しいことこの上ないナイスバデーのチアリーディングが花を添え、応援指導部に組み入れられている吹奏楽団(ダンッ!)の一糸乱れぬ演奏により、完成された爆音が鳴り響くのです。

あとこれは余談ながら、六大学野球などの競技で慶應と早稲田が対戦することを一般的に「早慶戦」と呼びますが、慶應OBは「慶早戦」と呼びます。早慶の順が一般化した理由は諸説あるので専門家に任せますが、慶早戦って。

 

大学OBはその経験があるので、塾高の応援、特に若き血をみんなで歌うシチュエーションがあれば、つい体が反応してしまうのかもしれません。若き血はいまだに私ですら、歌詞見ずに歌えますもの。

そしてそれ以上に、学外の人間には想像し難いほど、慶應卒であることに強烈な誇りを持っています。

私はこのノリがマジで好かんので、OB組織=三田会とは距離を取ってます。関西の企業に就職したのに、ここにも企業内三田会があるのかってうんざりしたもんですよ。学事課でOB名簿を見た限りでは、就職にまつわる支援など一切ないって書いてあったのに、宴会だけはあるんです。一番肝心な役割を放棄している学閥が、一番どうでもいいイベントだけをやっている。

この年1回の宴会では、役員経験者をはじめ、役職と卒業年次がだいたいシンクロするのですが、私を境にその秩序が乱れることになりました。それはまぁいい。私が無能なのだから仕方がない。問題は上の方々のお話が死ぬほどつまらないことです。仕事の自慢話8割、説教2割。安くない会費を払って何を聞かされに来たんだろうと当時は思いました。

そしてお開きのタイミングで、普通のお店のスペースで、肩組んで、甲子園でも散々聞かされた若き血を歌うのです。迷惑この上ないし、周りのお客さんの目が恥ずかしいですよ。

このような次第でもう15年以上顔を出してません。構成員が十数人と少ないため、最初は私の連続欠席が恐ろしく悪目立ちしていたようですが、鉄の結束がほどけたのか、皆さん内心どう思っていたのか、私より上の年次の方々も自由に欠席するようになって、毎回幹事を命じられる最年少の後輩には、集まりの悪さを誘発してしまった張本人として、本当に悪いことをしていると思います。

さらに社外の大学OBは私が慶應卒だと知った途端、距離感が狂うのです。取引先企業に対してあるべき礼儀も敬意も忘れて、自分の年次が上か下かで急に態度が尊大になったり卑賎になったりします。

特に評議員選挙が近づくと不快指数MAXです。票集めのために奔走させられる塾員以外の気の毒な人間が、わざわざ私にへいこらして投票はがきを下さいと言いに来るのです。それを指示した人間の鼻っ柱をへし折ってやりたい。社会関係と個人的な人間関係に三田会を持ち込むな、恥ずかしい。

お金持ち学校に、お金持ち子弟が多数在籍するがゆえの優越感、とでもいうんですか。そこから生じる傍若無人ぶりと、部分的に脳筋体質な序列志向が混ざり合って、学外の人、特に甲子園でその体質を垣間見た人にはさぞかし不快なものに映ったことでしょう。私ですら不快だもの。

 

……慶應義塾とは私が説明するまでもなく、まもなく一万円札の肖像画から引退する福澤諭吉先生が建てた学舎の総称です。現在の日本の教育制度に合わせて、幼稚舎(小学校)、普通部(男子中学校)、中等部(共学)、塾高(男子校)、慶應女子(当たり前ですが女子校)、志木高(埼玉にある慶應義塾の男子校)、大学、大学院、付録のスーパーファミコンSFC)まで続く、日本で知らない者はいないと言ってもいい超有名一貫校です。

慶應ブランドの吸引力は凄まじいものがあり、芸能人の子女なら幼稚舎に行かせるのがエリートコース、みたいな意識は今なお健在です。幼稚舎からの内部進学者は生え抜き、生粋のエリートです。イーデン校みたいなもんですわ。エレガント!

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なので、田舎の進学校にいた私も、学校の勧めもあって受験してみたら、うっかり現役合格してしまうじゃないですか。私優秀だから。そりゃ行くよね。おかんも行っていいって言ってくれたし。これで桜通信みたいに慶應ボーイとしてモテモテのウハウハのデレデレキャンパスライフが始まるんだって思ってましたよ。

大学には語学をベースにしたクラスが存在し、さらに選り抜きの法学部法律学科に内部進学した塾高のクラスメイトに言われたことはいまだに忘れられません。

 

「gentlyって関西じゃん?なんで慶應なんか来たの?同志社とか関大とか、法律やりたかったらいい学校あるじゃん?」

 

彼らは慶應ブランドなんてものを意識していないのです。自分がこれからやるべきことを見据えている真のエリートの発言だと思いましたね。彼らこそが真の慶應ボーイ慶應ガールなのです。ブランドを過剰に意識してしがみついているのはほっとんど、大学OBなのです。

 

……わかります?私がどんな気持ちで、高校野球にまつわる大学OBの狂騒を眺めているか。現に社内でも大学OBの後輩が仕事中に社内の大学OB各氏へなんやかんや連絡する謎行動を取っていたと聞いて暗澹たる気分になりました。祝い金を支給しようとか言い出すんじゃないだろうな。おまいらもワイも外部進学やろ?塾高関係ないやんけ?

107年ぶりの優勝だかなんだかで、大学OBは慶應のことがよっぽど好きみたいです。私はそういうのまったくないんで、可及的速やかに除名して欲しいですわ。