working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

納豆×○○の話

今週のお題「納豆」

 

皆様こんにちは。時日が巡り、いくつかのブログネタが腐ってしまいましたので、たまにはお題に沿って書いてみます。

 

腐るといえば、納豆なんて誰が最初に「食べてみよう」て言い出したんでしょうね。普段の見た目からっとしてる大豆が、ねばねばに糸引いてる状態を見て「うまそう」とか、相当いっちゃってますよ。

藁入りは食べにくい

科学的に「腐る」プロセスは同じ(食品に何らかの菌がついて、分解と生成を繰り返す)なのに、人体に悪いものは腐敗、よいものは発酵と呼ぶのです。納豆が知られる以前なんてまずは食ってみないとどっちか分からんかったでしょうから、相当肝の据わった人が食べたんでしょう。おかげで納豆=おいしくて体に良い食べ物として今日これだけ広まった訳ですから不思議なものです。

 

私は関西、和歌山の生まれで、両親は納豆なんて食べ物として認めておりませんでしたから、腐ってるの気持ち悪いのと理由をつけて当時食卓に出ることはありませんでした。

初めて食べたのは高校生になってからです。全国的に食されている納豆が不味いはずないだろう、試してみようということで、ちょっとお高めのいいやつを買ってもらいました。ぐるぐる混ぜて、ホカホカのめしに乗せて、何の抵抗もなく受け入れました。なんやうまいやんけ。食べてみいな。おかんは断固拒否しましたが。

 

お題のテーマは「納豆には何を入れますか?」でしたね。私は納豆「に」ではなく納豆「を」入れてました。何に入れてたか。カップ麺です。

ちょっと前に大柄のオネエタレントの番組で、蒙古タンメン中本のカップ麺に納豆を入れるとうまい、と言ってました。

もちろんやってみたんよ

お湯入れて5分待って、辛いエキスかけて食べる直前に混ぜた納豆(たれありでもなしでも可)をぶち込むだけ。ねばねば感が消えてしまうのは心残りですが、納豆が苦手な人もおいしく食べられます。

 

私の中で、カップ麺に納豆を入れることには2つの言い訳が存在します。

ひとつは経済状態。40過ぎてそこそこ経つのに、1食にカップ麺しか食べないなんて、どんな貧乏アピールだよって思いませんか。納豆放り込む余裕くらいはあるんだぜ?アピールです。なってるかなアピール。

もうひとつは健康です。カップ麺だけ食べて凌げるほど40代の健康維持は簡単ではありません。正直、常に体のどこかがちょっと痛い。私の場合は首と肩です。そこで納豆の登場です。栄養バランスが……多少マシになります。首と肩の痛みが取れることはありませんが。

 

以来、いろいろなカップ麺で試してみました。シーフードヌードル。カップヌードルカレー。どん兵衛。スーパーカップとんこつ。チキンラーメン。感想は、どれもまぁまぁ。ふつう。あえてやらなくていい。

当たり前ですが、納豆を入れたら納豆の食感と味が加わります。カップ麺の味と合うとかおいしいとかそういう次元ではなく、2つの味がするだけです。納豆が嫌いな人が見たら嫌悪感を催すだけ。逆に納豆好きの人が見たら「納豆の尊厳を汚すなこのバカ舌が」とブチ切れられても文句言えない。

たぶん中本もね、あれは納豆をおいしく食べてるんじゃなくて、中本の強烈な辛さで納豆の臭みと粘りを殺してるだけだと思うんです。納豆の持ち味を殺して納豆がおいしいなんて、納豆に失礼。

 

結論は、ネギ入れて、好きな味のたれ入れて、好きなだけ混ぜて、ご飯に乗せて食べる。これが一番です。カップ麺も悪くはありませんけど、きっと私と同じ感想に至ります。変わったことはしない方がいい。すぐ飽きます。