working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

コミュニティの闇

きょう、大阪を含む3府県の緊急事態宣言が解除される見込みだそうです。うちのふもとの飲食店街も再開に向けて準備を始めており、下半身に脳がついている、いや、上にも下にもないかもしれないパリピの出足も徐々に戻ってくるのでしょう。その中には打倒コロナ記念的な、医療従事者でもないのにやったった感を押し出してくる胡散臭いパーリーも含まれているのでしょう。そこで形成されるありがちなコミュニティの闇について、他戒と自戒の念を込めつつ書きます。

 

企画会社のお見合いパーリーでもない限り、個々のパリピのメンツは大体固定されていて、固定パリピが連れてきた友達のようなゲストが遊撃的に出入りするのが一般的です。つまりそこには既成のコミュニティがあり、これから飛び込もうとする新参者の構図があります。

 

私は以前から、既成コミュニティにおける新参者の居心地の悪さについて表明したこと一度や二度ではありませんが、その都度「勝手なことを言うな」とか「お前がそう思ってるだけだろ」とか「来んな死ねクソキモオタク野郎」とか、諸先輩方から心ない言葉を投げつけられたことも一度や二度ではありません。

 

もう少し具体的に言うと、既成の組織には既成の人間関係があって、新参者にはありませんから、組織内でどういう力学が働いているかほとんど見えません。そこでの新参者はお試し会員から正会員へのランクアップを果たすためにできるだけ多くの人と接触を持とうとしますが、手当たり次第にコミュニケーションを図ろうとしても既成会員からすれば「知らない奴から急に気安く話しかけられたキモい」となる恐れがあり、慎重にならざるをえません。

 

新参者は綱渡り的なやりとりから、誰がどういう人で、どれだけ発言力があって、コミュニティ全体のパワーバランスがどうなっているのか、推理ドラマさながらに失敗が許されない探偵の真似事をしばらく続けます。そしてこの間、「新参者の群れ」という別種のコミュニティが形成されつつあるもののまだ不完全なそれが、既成コミュニティの蚊帳の外に追い出され、たまに突出して「社交性」の高い(私はこの時に発揮される能力を社交性などとは寸毫も思っていませんが、今は話を分かりやすくするため、敢えて「社交性」と呼びます)新参者が一気に仲間入りを許され、それを横目に苦笑しつつ向き合っている間に、既成会員と「社交性」の高い新参者だけが楽しげに会話を弾ませ、その他新参者の群れは一様に押し黙って、ちびちびとうまくもない酒をすするのです。これはどんなに敷居が低く見えるコミュニティでも、世代構成が年配寄りでも若年寄りでも混合でも、構造は残念ながらほぼ同じです。

 

このような現象を私は「居心地の悪さ」と呼び、よく知りもしない相手と不相応な距離の詰め方を強要される、特に人間関係が爛熟しているコミュニティの形をした別の何かに入るのだけは御免こうむりたいと常日頃から思っています。

 

とはいえ、私がコミュニティへの対応をどないしようが思おうが、皆様にはどうでもいい話です。ただどうしても納得行かないのは、私の感じる「居心地の悪さ」を個人の資質、特に社交性の欠如に帰結させたがる猛獣下半身、あ、下半身タイガースやな人たちがいることです。多くの人を呼び寄せたパーリーの主催者はじめその取り巻きたちをもってしてこの言い草。私が彼らを憎悪する根本原因です。

 

「男は狼 生きてる限り雄神」と河島英五も歌ってたけどもやな、男とオスには理性という越え難い壁があるんだよ。たとえが適切でないことは重々承知で、イチャラブこいてチューチュー交尾までおっ始めそうなオスメスが目の前にいてだ、そいつらと同じ緊密度をいきなり再現できる奴は変態か人でなしだろうよ。

 

私はすべてのパーリーがセックス目的だと言いたいのではなく、純然たる飲み会としてその場を楽しむパーリーに行きたいのに(その後の展開次第でそんなことがあるならそれはそれでいただきますけれども)、それを隠して人を集めて金取って目的違いの空虚感を握りしめて帰る私たちに「お前社交性ないわ人間のクズwww」みたいなレッテル貼りされるのは違うだろう、主催者のお前らと取り巻きが手の内知ってるだけで、知らされてない新参者がカモられただけのことでしかないと思うのです。給餌を待つひな鳥の姿勢ではいけないことは重々わかっているけれど、パーリーのはなっから目的が違っていたら、さぞかし私らは滑稽なカモに見えたことでしょうよ。

 

お分かりのとおり、新参者の群れから抜け出す「社交性」とは「そっち側へイキたい!」という下半身の欲求に正直な心と、場の空気から真の目的を察知する能力のことであって、その土台には社交性があるのでしょうけれど発揮されているのは全く別のタレントかスキルの類なのです。

 

もっとも、理性を言い訳にして意気地なしを自己弁護し、延々と世間や誰かを恨み続ける向きも少なからずあります。こういう人たちは他に安心して参加できるパーリー(例えば共通の趣味仲間とかを集めるとか、同性のみ参加するとか)をやりたいわけではなく、自分たちもそっち側にイキたいのにイケないことについて、自分自身にある原因を考えようとせず誰かのせいにしたがっているだけなので、あまりかかずらうと面倒なことになります。

 

じゃあどんなコミュニティが、どんなパーリーがいいのか。主催してくれる人がちゃんとしてくれるところです。「ちゃんとしてくれる」ことをどうやって見抜くのか。いろんな場所に自分から積極的に顔を出すことです。そこには失敗もあるかもしれませんが、回を重ねることによって対人感覚が磨かれます。「社交性」とはこうしたシーンで折れずに人に会い続けることであって、場の空気を読んで適切な言動をとることではありません。

 

22年前、私が夢のキャンパス・ライフを始めた頃は「合コン」という名前のそういうパーリーが溢れかえってました。本当は18だけど居酒屋が黙認して酒を飲ませ、飲み方を知らないために2時間後の便所で吐きまくり、そういう経験を通じてパーリーでの振舞を少しずつ覚えていったのです。誰かに教えてもらえることなんてありません。教え諭すように話しかけてくる先輩方はしょうもないマウンティング以外の何者でもありませんでした。このとき脱落していった者たちが確実にいて、彼らの礎の上にあぐらをかいているなどとは考えもしませんでした。

 

私は軟式野球サークルに所属して(いかにもですね)、週2回、先輩主催の「合コン」に参加していました。跡見、フェリス、本女、お茶の水、津田塾、いろんな女子大の子達を相手に、ついこないだまで受験勉強に勤しんでた私たちができることなんてほとんどありませんでしたから、単なる枯れ木要員でした。もっとも遭遇率が高いはずの同じキャンパスに通う女たちは、見た目はともかく頭の良さがずば抜けてたので、できれば相手にしたくないという空気がありました。それ自分たちに自信がないってことじゃないか何が慶應ボーイだ糞食らえ。そして先輩たちが可愛いだけの子たちをどうにかこうにかして帰るのです。典型的な年功序列であり、1年辛抱すればヤリサー的ウハウハ展開もあったかもしれませんが、入部から半年後の秋にコミュニティから脱落しました。このパーリーは空疎だ、野郎ども全員の目的がセックスなのにそれを隠していることがバレてる時点でこのサークルは相当ダサい、みたいな違和感があったのです。まさに「居心地の悪さ」そのものでした。

 

ちなみに4年間で持ち帰り経験をしたのは1回だけです。お茶の水に通う、新山千春を少しふっくらさせたような娘でした。多少振舞を覚えたとはいえ、積極的にそっち側へイクための行動を取れないヘタレだった私なのに、向こうからついてきました。渋谷から五反田、東急池上線に乗り換えてからのしばらくは記憶がないくらい緊張してたな。1つ年下の、美人で酒豪で達筆で、淫乱でした。あまりに淫乱すぎて自分の時間と生命に危険を感じたので別れましたが。

 

今年新社会人、あるいは大学1年生になった皆さんにとってパーリーの記憶がどういうものか、どうなっていくのかはわかりません。緊急事態宣言が解除されたとて、元の日常に戻るにはまだまだ時間がかかるという人もいれば、もう戻らないと予測する人もいます。その一方でオンライン飲み会というかつてないコミュニティ、パーリーも見られるようになりました。

 

パリピの端くれたる私に言わせてもらえるならば、目的が何であれ、参加した人が有形無形の何かを持ち帰る、お金を払ったことを後悔させないパーリーやコミュニティにして欲しいなと思います。

 

……危うく筆が滑りそうになった社会人以降の女性遍歴は思い出したら稿を改めます。次はカードゲームの話をしたい。