working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

砂の器を措いて他にない。

お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」

 

皆様こんにちは。アニメオタクでゲームが趣味の、仕事が出来ない無能でスケベなおじさん程度に思われているgentlyです。それでだいたい合ってます。普段は3千字くらい書くんですけど、今回初めて広く読まれるかもしれない映画紹介のタグをつけましたので、手短に、要領よく書きます。

 

今よりもう少し若い頃はアニメ以外に時代劇をよく見てました。軽い時代劇が見られた金曜夜8時のNHKの楽しさといったらなかったですよ。もっと本格的な時代劇を志向していたはずの大河ドラマはいつしかコメディのようになってしまい、緊張感高まるシーンすらその延長線上にあるような、存在の耐えられない軽さ。若年世代の共感を重視しすぎるあまり、その時代への没入感が限りなく薄れてるなぁと思ってたら、つい最近のインタビュー記事で寺田農さんがずびしっと指摘してました。

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共感しかない。時代劇は金がかかると言います。金がかかるうえに人気も乏しいとなれば衰退せざるをえないわけで。私は銀幕のスターたち、萬屋錦之助勝新太郎の晩年しか知りませんけれど、邦画全盛期の空気感は分かります。黒澤明の世界に出てくる仲代達矢みたいな、得体の知れない演技をする俳優さんの、刺さる、魂のパフォーマンスが見たいのですよ。

……ちなみに私が見てきた寺田さんの演技で最も印象的だったのは、NHKドラマ「夜会の果て」の井上馨です。長州の田舎青年の思い上がり感がすごかった。NHK最高。お願いだから大河をあーいう路線に戻してほしい。

 

……となんとか言いながら、もうそんな時代は戻ってこないと半ば諦めつつ、懐古趣味的な重々しい時代劇の復権を望む傍らで、物語の重厚さで優るとも劣らない近現代日本を描いた映画「砂の器」の話をします。

余計なものが写りすぎている

ミステリーの大家・松本清張の小説を1974年に映画化した本作は、蒲田操車場で男性が殺される事件の捜査から始まります。主人公はその容疑者と目される人気作曲家・和賀英良。和賀を追い詰めるベテラン刑事と熱血刑事の執念が捜査を進展させ、やがて事件の背後にある悲しみに満ちた過去が明らかになるとき、その時代、社会の偏見を映して余りある壮絶な展開に引き込まれます。

役者さんも凄かったんです。大岡越前以外での演技を見たことがなかった加藤剛の実直かつストイックな印象と、霊界案内おじさん程度に思っていた丹波哲郎の温かみと鋭さが同居した刑事ぶり、文字通りの熱血一辺倒で押してくる元千葉県知事・森田健作、そして何といっても、和賀英良の父、本浦千代吉を演じた加藤嘉の絶技です。あの1シーンに全神経を集中したのだろう、様々な感情が混ざり合って最後に絞り出されるあの一言に、私は撃ち抜かれました。かつてあれほどまでに魂を揺さぶられた演技は見たことがありません。

子を思う父、父を思う子、そういう筋書きは現代の手垢がついて共感を呼ばないかもしれません。その両者が味わった塗炭の苦しみも、時代背景が異なる現代人には実感を持って理解されないかもしれません。ある意味異世界とも言えるほど遠くなってしまったあの頃の日本を、この映画はしっかりと切り取って現代に伝えています。隔絶した時代の記録、その意味で「砂の器」はすでに時代劇のジャンルに仲間入りしているのかも、と思うのです。

 

……後年、東芝日曜劇場中居正広主演のドラマが放送されましたが、あれで「砂の器」を見たとかドヤ顔で言ってほしくない。マジで。和賀英良の父を凶悪殺人犯にしてしまったらドラマが成立しません。それでも途中までは何とか見られましたが、脚本も監督も演出もあの物語の根幹を理解していないのが露呈しました。ハンセン病に対する差別と政策的隔離という忘れてはいけない歴史的事実に対して、共感度合いの低さを理由に全く別の事案に差し替えたのは、視聴者と正対していない、製作者の自信のなさを感じました。どうにも中居君がからむリメイク作品はいけません。「私は貝になりたい」も、フランキー堺にも所ジョージにも遥かに及ばないんだなぁ。これ以上言うとおや誰か来たようだになりそうなのでこの辺にしとこう。

 

砂の器」は野村芳太郎監督の映画のことです。お間違いのございませんように。