working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

YMOと私

皆様こんにちは。先月、世界的に著名な作曲家の坂本龍一さんが亡くなりました。生前のご活躍に心からの敬意を表すとともに、私の所感を述べます。

 

お名前とお顔、デカルトを愛読していたこと、その風貌から「教授」と呼ばれていたことは存じております。ただ、知ってる曲あげてみ?と言われると、戦場のメリークリスマス(当事者以外が題名略すの見るとイラっとします)、ラストエンペラーの劇伴曲、リゲインエナジーフロー、あとは君に、胸キュン。くらいです。前3曲と4曲目の落差よ。

しかも、戦場のメリークリスマスは一度も見たことがなく、地獄の黙示録と区別がついてない時期があり、あの曲のイントロを最初に聞いたときは「トトロだ」と思ったくらいです。これはフランシス・フォード・コッポラさんにも久石譲さんにも申し訳ない。

ラストエンペラーは小学生になったかどうかの頃におかんが借りてきたVHSを見て、満州国の消滅とともに戦犯として拘束された溥儀の供述とクロスするように当時のことが語られ、西太后が死んだときに口にバカでかい黒真珠を押し込んでたことしか覚えてません。あと何の役だったか忘れたけど石坂浩二さん出てたな。曲覚えてないんですよ。

エナジーフローが世に出たときは覚えてます。もう大学生でしたから。確かに美しい旋律だなぁとは思いました。でもそれだけ。リゲイン買おうなんてちっとも思わなかったし、会社員って大変なんだなと思ったかどうか。今なら分かる、会社員は大変。

胸キュンは声優さんのカバーと酔っぱらいのカラオケでしか聞いたことがないです。

まりあほりっく懐かしいな

つまり、私個人として一度も教授の音楽にお金を払ったことがありません。

 

事程左様に業績を存じ上げない人間が彼の死を悼むことそれ自体に羞恥心や違和感はないのですが、彼の音楽家としての業績をどれほど知っているのかと聞かれて間抜けな回答しかできない自分を大いに恥じております。今後教養として少しは教授を知っておこうと思いますので、心ある読者様にはこの馬鹿者が最初に触れるべき音楽をご指南賜れば幸いです。

いつぞや埼玉県に何の縁もゆかりもないジョン・レノンの記念館が完成したとき(現在は閉館)、ときの県知事は「ビートルズは私達世代の青春だったんだよ」と誇らしげに語った後、「お好きな曲は」と記者に聞かれて「知らん」と抜かしよったのを思い出しました。あんな品性の人間を政治家にしておくから日本はおかしくなるんだよ。

 

……YMOのメンバーで唯一私の人生と深くクロスしたのは細野晴臣さんです。CDも買いました。なぜか。

数少ないアニメ映画の傑作

1985年制作の銀河鉄道の夜は、私が6歳の時に初めて見た映画でした。今からお話しすることが「見た」といえるのならば。

当時、大阪のあびこにあった公営住宅に住んでいた母方の伯母に連れられてなんばの映画館に行きましてね。初めてでしたから、でかい画面でテレビを見るようなもんだろうと思ってたら完全に室内が真っ暗になりまして。そら、そうよ。

真っ暗になったら寝る合図です。始まって早々寝こけました。目が覚めてスクリーンに目をやると、木に止まった鳥がクルンと丸まってりんごになるじゃありませんか。これは夢だなと思ってまた寝こけて、次に目が開いたらハレルヤハレルヤのデカい十字架です。そして最後に友達が、駅も何もない真っ暗なところで消えていくのです。

私が寝てたことを知ってか知らずか、終わってから伯母は「どうやった?」て聞いてきました。さすがになんと答えたか忘れましたが、とにかく訳のわからない怖い映画という印象だけが残りました。

よく買えたもんだ

細野さんの音楽は恐怖感を引き立てて余りあるクオリティです。その後に私が見たどのアニメ映画の音楽と比べても、最もアニメらしくないです。オープニングから半音多用のピアノ伴奏でビビらせてくるし、真っ暗な背景にスタッフの名前が出て、白い点が出て、また名前が出ての繰り返し。いまだに怖いですもの。

 

ご承知の通り、銀河鉄道の夜宮沢賢治独特の死生観を色濃く反映しています。ほぼ全てのキャラクターをネコの姿にしたのはせめてもの心のオアシスだったのだろうと思えるほど、恐ろしく悲しい死と、その対極にある生き残った者の未来を照らす物語です。その表現の幅を十分すぎるほどに広げているのが細野さんの音楽です。そんなもん田舎のアホな6歳児にわかるか。

なのでこうして、大学生の頃にVHSを、社会人になってからDVDを、そして30代後半でBlu-rayと、媒体を乗り換えて見続けています。あの経験があったからこそ、今もアニメを見続けているのかも知れません。

 

……ちなみに伯母は私が社会人になって数年過ぎた頃に亡くなり、その家財を購入した新築マンションに引き継ぎました。伯母は生涯未婚を貫き、芸術に親しむ暮らしをしていましたが、私もどこかが大きく歪んだ状態で伯母の血を受け継いだのでしょう。