working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

性差とプリキュア

皆様こんにちは。前回は青キュアの話だけで字数を使ってしまったので、この機会にもう1つ書こうと思ってたテーマを掘り下げておきます。

 

先だって、首相秘書官が性の多様性に関して差別的な発言を行ったとして即刻更迭されました。もろもろのニュースメディアで発言内容を確認したところ

 

「(同性婚カップルが)隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。秘書官もみんな嫌だと言っている」
「(同性婚を)認めたら、日本を捨てる人も出てくる」

 

国政に携わる人間の発言としてけしからん、というのは私にもわかります。しかも一連の発言は公的な会見ではなくぶら下がりのオフレコ中に出たものだそうですから、一体オフレコとは何なのかという話にも飛び火しそうですが一旦それは置いといて、そのような、公人の立場でありながら本音が出てきた結果としてこの発言を考える時、私たちの本音はどうなんだろう?と考えました。

その後の政府与党の火消しとあんまり頼りにならない野党の追及はNHKの記事に詳しいので合わせてご覧ください。彼らは公式の場で発言することが求められるので、言葉の端々に細心の注意を払っています。それは裏返すと、そこまで気を配らないと、うっかり本音が、どんな本音かはともかく表沙汰にしづらい本音が漏れ出てしまうからに他なりません。

www3.nhk.or.jp

 

常々書いてきたことですが、物事には本音と建前が存在します。日本人は気持ちの言語化が苦手で分かりづらいなどとよく言われます。それは本音と建前の境目を明確にしないこと、直接的な表現を避けることが美徳とされる「察し」の文化圏の住人だからであって、決してヘタなわけではないのです(もちろんヘタクソすぎて目も当てられない人がたくさんいますけど)。アメリカ人のように露骨でわかりやすいことを美しくないと考えるから遠回しな言い方になるのであって、無理矢理わかりやすくしなくてもいいのです。

最近は恐ろしく察しの悪い、はっきり言ってやらないと分からない人間が大量生産されているきらいがありますが、これもグローバル化、教育の高等化やらの恩恵なんでしょうかね。

その一方で「忖度」なる、どこかの学園の元理事長が国会審議で連発した難解な言葉がネットスラングのようになってて、忖度できない人間が忖度を軽んずる、書いた人間の頭の悪さが露呈する構文が散見されます。大した進歩じゃないの。

政府要人としての建前上、世界各国が積極的な理解を深めようとしている(ように見える)性的マイノリティとの社会共存について、表向きは理解したような顔をしなくてはいけないところ、公人の立場を離れた瞬間(オフレコがそれに該当するとは思いませんが)建前と異なる本音が出てきたとしても不思議ではありません。

 

私はそれを悪いことだとは思いません。差別的なニュアンスを含むものであれ、内心がどうあろうと自由なはずです。責任を問われているのは公人の立場でそれを言語化してしまったからであり、立場を離れて性的マイノリティへの抵抗感を表明すること自体は問題ありません。

なぜなら、性の多様性を建前にして、本音では拒否したい=自分の望まないことを受け入れる、つまり誰かが決めた「多様性」を受容するのではなく、特定の誰かを排斥しないことが本来の多様性だからです。

性的マイノリティの方々が良き隣人として暮らし、私の知らないところで発展(近所に日本有数のハッテン場もあることですし)なさるのは大いに結構ですが、私は断じて当事者にはなりたくないです。

性的マイノリティの主張が一方的に受け入れられて、伝統的な男女観を持つ人間が差別主義者だと排除されるのはどう考えてもおかしいです。私はここに、日本に限らず世界の当事者団体、人権団体の危うさを見るのです。

 

……確かに、人類の歴史を俯瞰してみればそういう人々は散々迫害されてきたんでしょう。なので独自のコミュニティを持ったりして、社会の表舞台に姿を現さなくなったんでしょう。そこには抑圧なり差別の苦しみがあり、偏見に満ちた社会の視線に対する葛藤があり、さまざまな悲しい思いをされた方の感情もあるのでしょう。

私はそのような過去を背負った人々を迫害したりしませんし、人権団体が声なき声を社会に届けるために日々さまざまな活動をしておられるのも大体想像できます。

でもね?そのことと私がどんな性別の人を好きになるかは全然関係ありません。私自身は性的マイノリティではないからです。男として、女に性的魅力を感じる平凡な人間です。万が一男性に求愛されても断固拒否します。それを嫌々ながら受け入れることは多様性とは言いません。

 

一方が一方を排除する世界は確かにおかしいですし、是正されねばならない問題ですが、共存を建前にしながら、先の首相秘書官が公的地位を保てないのも、これまたおかしいんじゃないのかと思うのです。ああいう考え方をする人も含めて共存できる世界を構築するのが本来の姿だと私は思います。長らく日本の男女観として定着している感覚を反動的に否定するのは思想統制と同じです。

 

そんな現実社会をよそに、性的マイノリティを含む、社会的課題と向き合いながら生きる人々がいかに自然な存在であるかを真摯に考え、映像化しているのがプリキュアシリーズです。あぁやっとプリキュアの話にたどり着きました!もうヘトヘトですよ!

いらすとやの魔女っ子でリラックスしましょう

私が最初にそのことに気づいたのは、HUGっと!プリキュア(2018年〜2019年)の主人公、野乃はなちゃんです。

www.toei-anim.co.jp

彼女は人々を元気づける存在としてキュアエールになりましたが、激しいいじめに遭ってからの不登校という重すぎる過去があります。そんな彼女を絶えず励まし続けたのがお母さんでした。このエピソード自体は極めて短かったのに、作中全体を通じて彼女がふと落ち込む時にそれが垣間見えるのが悲しいんです。そんな過去を背負いながらも彼女はさまざまな経験を経て成長、自立し、最終回でついに母となります。それを1年かけて丁寧にやるんです。ぼろぼろに泣いた。

 

今回のテーマに一番近い、性的マイノリティと思われる人物が最初に登場するのもHUGっと!プリキュアです。フィギュアスケーター・若宮アンリ君は女子からの人気が圧倒的に高い眉目秀麗な男の子です。キュアエトワールの輝木ほまれちゃんとは良き友でありライバルだったようで、彼女がスケートの一線を退いてからはアンリ君の独壇場でした。彼女がプリキュアになりかけて、なれない回も見事な演出でしたが今は置いときます。

アンリ君は元々足首に爆弾を抱えており、ある事情で深手を負い、その日予定されていた最後の大会に出られなくなります。絶望の中でプリキュアたちの励ましを受けた彼は闇落ち寸前のコンディションから奇跡的に復活し、新たな希望の力によって、ついに、男子初のプリキュア・キュアアンフィニとなって、ほんのひとときだけ、会場で彼を待っていた人たちに夢のような時間を届けるのです。しかし夢は長続きせず、変身が解けた彼の足首は動かなくなります。あのシーンは思い出すだけでも泣けます。今すでに泣いてます。

キュアアンフィニ誕生の様子は42話で詳らかになりますので、ここには次回予告の公式動画だけ貼っておきます。

そんな彼を助けるパートナーのような存在が、キュアマシェリこと愛崎えみるちゃんのお兄さんなのです。あの完璧主義で堅物のお兄さんがまさか。最後の舞台を終えたアンリ君を迎えに出た彼、最初は肩を貸してたのが、最後に手を繋ぐんです。きゃっ。

そりゃね、私だってこれはちょっとプリキュアの範囲を逸脱してしまったんじゃないかと最初は思いましたよ?でも、それを理由にアンリ君やえみるちゃんのお兄さんを迫害するのはおかしいですよね?物見高い連中がああだこうだ言うかもしれないけど、そういう愛の形もあっていいんじゃないかい。私は自然にそう思いました。

 

アニメの世界で新しい何かを始めるのはやっぱりサトジュン(シリーズディレクター佐藤順一氏)でした。サトジュンがヒロインを不登校にしなかったら、あるいは男の子をプリキュアにしなかったら、この後のプリキュアが抱える生きづらさのようなもの、心の葛藤を描くことはなかったでしょう。

以降、いずれのプリキュアでも、なんらかの悩み(宇宙人に対する差別的な視線、発達障害と見られることへの自覚)を抱える人物が登場しますが、字数がとんでもないことになってるので割愛します。

 

そして前シリーズ・デリシャスパーティープリキュア(2022年〜2023年)では、内面の性はわかりませんが、明らかに男の人なのにメイクを施し、女性的な物腰の、いわゆるオネェキャラが戦闘補助員的に登場します。ハーブから名前をとったローズマリープリキュアたちからマリちゃんと呼ばれ、曇りなき心で接するキュアプレシャスこと和実ゆいちゃんは「マリちゃんはオネエなんだね」って具合にあっさり受け入れます。

このね、舌ペロってするとこがね、すんごい好き。あとね、妖精のコメコメは人に化けるんですけど、だんだんおっきくなっていく様子が激烈に可愛い。

 

当初、彼の存在に戸惑っていたキュアスパイシーの芙羽ここねちゃんと、少し遅れて登場するキュアフィナーレの菓西あまねちゃんは、本能で生きているわけではない知性派の人たちだからかなのか、マリちゃんと距離を取ろうとしますが、次第に彼の優しさや思いやりに気づき、心を開きます。誰でも簡単にそういう存在を受け入れるわけではないことをここねちゃんとあまねちゃんは教えてくれます。

正統派の青キュアでしたね。ちょっと釣り目で、大人っぽくて。イヌ風の妖精、パムパムもたまーに人型化するんですけど、それがめちゃくちゃ可愛い。

 

圧倒的貫禄。可愛いとかそういうのとは違う存在感。まさにフィナーレ。そして間違いなく一番賢い。だって生徒会長だもの。彼女、最初はジェントルーって名前の敵キャラだったんだぜ?敵キャラからプリキュアへの寝返りはネット上で「光堕ち」(闇堕ちの対義語)と呼ばれてるようですが、もうちょっと語呂のいい言葉ないですかね。

 

さらにその後のキュアヤムヤムこと華満らんちゃんは、ゆいちゃんと性質がよく似ているのですんなり受け入れます。

存在自体が可愛い。声が可愛い。あと得意技のバリバリカッターを酷使されてた。火を吹くスキルを持つ妖精のメンメンは、初めて攻撃力を備えた妖精でもあります。

 

マリちゃんは完全に日常生活に溶け込んでました。むしろいなくなると寂しいくらい。街の人が彼を見ても奇異な視線を向けないのです。おいしーなタウンではあれが普通なのです。日本にあのような社会は訪れるでしょうか。氷川きよしに対する風当たりを見る限り100年以上かかりそうな気がします。

マリちゃんが割としっかり見える動画はこれしかなかったわ。なんで記事の本筋とあんまり関係ない動画挟むのかって?文字だけだと読むのつらいからですよ!4,000字超えてる記事なんて、普通の人は読まない。

 

そしてついに、ひろがるスカイ!プリキュア(2023年〜2024年)に至って、レギュラーの男の子プリキュア・キュアウィングが誕生するというわけです。キュアアンフィニから実質4年少々、プリキュアは20周年の節目に思い切ったことをやりました。男性で初めてレギュラープリキュアを担当する村瀬歩さんの声は、正直、すごいです。入間くんは最初女性が中の人をやってると勘違いしたくらいですから。私は声豚3軍以下だ。

これが初めてのプリキュアになる女児たちは、目を覆いたくなる日本の現状とは裏腹にソラシド市に現れるマイノリティのプリキュアを当たり前として受け入れるのです。自分自身の性別、男の子と女の子の性差、そういった従来からのマジョリティの考え方を否定することなく、「そういう人」が普通にいる世界を見るのです。素晴らしいことだと思います。

 

昨今の性的マイノリティに対する社会の目、建前と本音をベースに、プリキュアがどれだけ優れたアニメであるかを力説しました。今日の私は精魂尽き果てました。お付き合いありがとうございました。