working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

コンテンツとLGBTQ

皆様こんにちは。最近、お兄ちゃんはおしまい!(以下、おにまい)が好きすぎて頭がおかしくなりそうなgentlyです。中身は自宅警備員の男でも、見た目がブロンドヘアの美少女で声が高野麻理佳さんだったらそりゃ可愛いし好きにもなっちゃいますわ。

onimai.jp

 

師匠「あいつ男だよ?」
じぇ「今は男ではないから抱きしめたい」
師匠「俺がある日ああなったら抱きしめるの?」
じぇ「んなわけあるか」

 

ここしばらく世情を賑わせているLGBTQに対する社会保障、性差に起因する役割分業への疑問、性同一性障害をめぐる理解の浅さ、それらへの差別的視線を含む建前と本音(あるいは公と私)の問題を軽々と飛び越えてゆく、というか問題として扱わないアニメは強いなと思います。正面から向き合おうとするプリキュアとは違い、人間、団体の利権が絡んで一向に話が着地しそうにない社会への風刺すら感じさせます。

 

おにまいの、あるいはアニメの強さはどこから来るのかと言えば完全性、つまり「どう見ても女の子」だから、心は純然たる男でも、姿形や声が完全に女の子に切り替わってしまえるからです。

社会に実在する性同一性障害は、個人差はありますが見た目をどれだけ心の性別に近づけようとしても無理があります。私には、彼らを異性として見ることはできません。生まれつき男性の体であれば男性、女性であれば女性です。どんなに肉体改造を施してもその認識が覆ることはありません。当人がカミングアウト(この言葉、広く使われてますけどLGBTQ発祥のはず)しているなら尚更です。

ただ、彼らが心と体の不一致を訴えるのであればその主張は受容します。それぞれのご事情を抱えておられることも理解します。ただし、こちらから積極的に仲良くしたいとか、さらに理解を深めたいとかいった気持ちは今のところありません。社会で共存する、そこまでです。ご近所であれば普通のご近所づきあいを、知人友人にいるなら普通の知人友人づきあいをするだけです。

 

現実世界における性転換の不完全性は、いまだ日本に多く存在するであろう伝統的性別認識の人々はもちろん、LGBTQの本質も知らずにただレインボーフラッグ振ってるだけの人々にとっても大きな障害になっていると私は推測します。極端な話、ちんちんちょんぱしてどんなに綺麗にしたって、骨格は誤魔化せませんからね?

一時期ニューハーフがもてはやされたこともありましたけど、彼らはそれがお仕事に直結するから、面白いと珍重されるから選択的にニューハーフをやっているのであって、心と体の性的不一致の当事者とは限りません。このことが一層、日本人の性別理解にややこしさを与えています。

 

グローバルスタンダードはLGBTQに対して日本人の理解が本質的に及ばないところまで行ってしまいました。体は男性なのに自分は女性の心である、そして治療を受けている(いわゆるトランスジェンダー)とのことで、東京五輪の重量挙げに女性としてエントリーしたアスリートがいましたが、米国のトランプ前大統領をはじめ、ハイステータスな人々の間でもその存在は異端視されていました。私はトランピストでもQアノンでもありませんが、こればかりは彼の認識が正しいと思います。いくら心と体の性が違うとはいえ、競技が男女別に行われるのは体組成が男女で全く異なるからであって、心と体の不一致の問題ではないからです。

おそらくLGBTQの本質は、性別は2種類ではない、ということなのでしょう。世間で分別されている男女にしたって、男性寄りの男性、女性寄りの男性、男性寄りの女性、女性寄りの女性の4象限から始まって、あとはグラデーションだよみたいなことが言いたいんでしょう。あとはDNAなり遺伝子なり染色体なりホルモンなりが赴くままの世界ですよと。

でも、今の日本人がそんなレベルまで腑に落ちた理解をしているかと言われたら、私は全くそうは思わないです。見た目も、中身も、明らかにどちらかに寄せないと性別として認めない、グラデーションなんて意味がわからないって人が大多数でしょう。

 

社会問題と向き合っているプリキュアにしたって、今回初めて男性がプリキュアになります、12歳の男の子ですと言われてますけど、キュアウィングのビジュアルをご覧になりましたか。

www.toei-anim.co.jp

どうですか?これはそこら辺にいる12歳の男の子ですか?どう見たって女の子だよ!いくら男児でもね、ここまで女の子にはなれないよ!これはアニメの完全性によって実現するLGBTQなのであって、この完全性が現実ではまず再現、担保されないことが一番の問題なのではないでしょうか。いくら社会が許容したふりをしたって、男の子がキュアウィングの格好なんかしたらいじめられます。だから私は日本のLGBTQ運動、もとい権利保護のために存在しているらしい諸団体には欺瞞を感じてしまうのです。

 

どこまで行ったって、どうせみんなの理解は見た目で大きく決まっちゃうのがこの世界です。明らかにおっさんなのに、女性の格好をして出歩いていれば普通に接しようなんて思う人は滅多にいません。真に理解ある人が話を聞いてくれたって、それはちょっと勇気をもらう程度のことに過ぎず、社会が急激に変質する原動力にはなり得ません。

現実がそのようだからこそ、アウティングが問題になるのです。当事者にとって今の社会は理解あるふりをしている人が多過ぎて、かえって恐ろしい世界になっていやしないかと思ってます。私は言いますよ、本質的な部分は何も理解してませんって。嘘ついたってロクなことがないから。

 

ことほどさように単純ではない世界のLGBTQ認識に対して、本当に私たちは理解できていますかと、おにまいを見ながら考え込んでしまうのです。