working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

異動回避に寄せて

皆様こんにちは。勤め先の大規模異動時期がちょうど今頃で、内示の有無にビクついてましたが無事残留が決まりました。「人間には無限の可能性がある」「人間はいくつになっても成長できる」「仕事力は人間力」とかなんとか、精神的疾病を疑いたくなるほど仕事にポジティブな活動家はよく言いますけど、40代も中盤に差し掛かると新しい仕事を覚えるのはしんどすぎます。

ついでに言うと、人事権のない人間が「キャリアパス(今後の職種につなげていくための業務経歴程度の意味)」という言葉を多用するのはおかしいと思います。彼らは彼らで努力してるんでしょうけど、自分の希望通りの仕事にありつけて、好待遇も勝ち取って、そのメソッドが万人に通用するかのような自信に裏打ちされた語り口と、決まって「仕事を通じて成長する」みたいな、会社も自分もハッピーハッピーなおめでたい発想と態度はどこから湧いてくるのか。あんたらの陰で、会社都合で各種各地にすっ飛ばされてる人間もいるんですよ。そう、私のようにな!

 

……改めて自分の業務経歴を振り返ると、会社は私を持て余してます。

新卒研修直後に配属された法律関係の部署では、日々高度な法的判断を迫られる一方、連日22時を超える残業当たり前、株主総会のピーク時は日付が変わってからの終電当たり前、土日も容赦なく出勤を迫られ、休もうものなら上司から鬼電を仕掛けられる、体力気力地獄でした。

当時は寮生活で、帰りが遅くなりすぎると予約していた夕食は衛生管理の都合で廃棄されてしまい、何も食べずに風呂だけ入って就寝。その繰り返しで体重は40キロ台後半まで落ち込むし、体力も気力も持ちこたえられず、仕事のパフォーマンスは年次を追うごとに下がり、いろいろヘロヘロにすり減らして2年で戦力外通告です。うつを発症しなかったのは奇跡です。使い道を考える手間も時間もなかったので、その代償に㌧でもない額の預貯金が出来ました。あれはどこに消えたのか。

 

これがケチのつきはじめです。人の能力、特にネガティブな情報は総合職社員間を光の速さで流通します。人事課長がよそよそしくなり、他部署の管理職もそっぽを向くようになり、気がついたらあいさつしても無視される始末です。

そりゃね、いまだに偏差値的に日本最難関クラスの一流名門大学の法学部法律学科を卒業して、鳴り物入りで入社して、幹部の皆様方の期待をそれなりに背負ってたのは分かりますよ?でもね?それが裏切られたからって、それなりの立場にある人間が、普通、年少者を無視なんてするか?いじめかよ。どんだけ消耗したか知ってるんか。いくら相手が無能でも、「おはようございます」くらい返してやってくれよ。深く傷ついたよ私は。

 

……ここで働き続けてもいいことなさそうだし、疲れたし、もうやめようかなと思い始めた3年目に異動通知です。なんか、こう、世の中でよく言われる「3年目の法則」みたいなところだけ離職対策をきっちりしてるのがほんとうに嫌でした。もう少し辛抱すれば、仕事に前向きになれる、道は開けるかもしれないと思った時期でもありました。

その後、財務、社史編集(特殊すぎる!)、企画、滋賀で観光、東京で広報、大阪に戻ってITセキュリティ、そして現在、総合力が試されるグループ企業の管理全般。業務内容も勤務地もてんでバラバラ、酒の肴にもってこいの話ならいくらでも出来ますけど、いざこの経験を糧に自分がどのようになれるのか、なりたいのかが一向に見えてこないキャリア。企画時代の死にかけた話は過去に書いてました。

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いつごろからか、自分がどうしたいかより、会社が自分をどう使いたいのかが優先される、それが会社員の選択なのだと考えるようになりましたし、実際そういう人の方が多いに違いありません。キャリアパスなんてものは、雇われる側は眺めるのが精いっぱいで、我々の声を拾い上げたように見える会社が自由に操るものです。

起業マインドとやらを持った、目つきも言葉づかいもギラついてる人たちはこれを「奴隷化、社畜化」と言います。人の気も知らないでよくもそんな言葉づかいが出来るものだ、お前らほど楽な仕事してねぇわと思ってます。結果から逆算して自分を肯定できる人は、それが出来ない人に対して、まるでゴミでも見るような視線を向けてきます。その傲慢さを私は軽蔑します。

 

私が唯一、自己実現(肯定感ともいう)と社業貢献を両立できたのは社史編集だけです。この4年間はいくら残業しても苦にならず、仕事が楽しくて仕方ありませんでした。法学部法律学科卒とはいえ、私が学生時代に学んでいたのは歴史でしたから、過去の文献を渉猟して通史を整理して記述する、会社の広報が掛け持ちで適当にモノを放り込んだせいで満足に整理されてこなかった資料室の管理、アーカイブの構築といった、普通のサラリーマンがやらない業務がとてつもなく好きでした。

じゃさっさとリスキリングして学芸員にでも転職しよう!ってならない最大の理由は、待遇です。行政界隈は手取りが「みみっちい」と言っても過言ではない。現在の生活水準を多少落とした程度では暮らしが成り立ちません。公務員は安定しているかもしれないけれど、彼らは収益事業を展開しているわけではないので、自分がその地位≒好きな仕事を抜け出して偉くならないと絶対に昇給しない。

それでも最近、会社の課長待遇を抜け出して、とある自治体の観光協会に転職した後輩がいました。その志を私は尊いと思います。片田舎の企業グループで心身すり減らしながらそれなりのお給料をもらうより、たとえ待遇が下がっても自分が天職と思えた世界に飛び込んでいくのは、相応の覚悟がないと出来ないことです。

ただ、それは、なんて言うんですか、アニメ業界でも問題化しつつありますけど、就業者の「好き」を原資に労働力を無限搾取する構造っていうんですか。労働相応の対価を支払わずに高い品質を求めてくる上司と経営者。オタクもか。このままじゃ早晩、優秀な技術力が中華資本に流れて国内産業は死滅します。

 

……仕事なんてね、やりがいとか生きがいとか過剰に求めるもんじゃありません。そうしたい人だけそうすればいい。好待遇とそこそこの業務量、趣味の時間も十分取れて健康を害することなく生活できるのが一番です。「ほどほどの仕事、ほどほどの待遇」って、何をどう考えても万人に共通、共鳴してもらえる価値観だろうと私は思ってるんですけど、転職サイトとか求人サイトを見てると真逆のこと言ってる人がいて疎外感と違和感を覚えてます、今まさに。

現職場で4年目を迎え、これまでのキャリアで身につけた知識の範囲で大過なくやってきました。なんならこのままでいいと思ってるのを、どう伝えればいいのでしょうね。「成長をあきらめたクズ」みたいなレッテルを貼られるんでしょうかね。心の底から言い返してやりたいですね。「俺はお前らと仕事もしたくなければ顔も見たくない、それだけだ」と。