working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

月末、野球を大いに語る

皆様こんにちは。ここ数日アニメもゲームも手をつけてません。月蝕の仮面は買って3か月以上経つのに未プレイです。怖いから。

もうすぐ7月、新アニメの季節が始まるので春アニメの総括をしたいと考えて書きためてるところですが、仕事終わりのビールがうま過ぎて、飲み過ぎて、帰ってきたらオリックス・バファローズ(以下、オリ)の試合を見てすぐ寝てます。近所の蕎麦屋の居酒屋メニューが充実かつ安定してるのと、店内Wi-Fi使い放題でベースボールLIVEを起動してオリを見ながらいつまでもだらだら飲むのが悪い。

今はそんな感じで新しいネタがないので、ネタストックの中から野球の話をします。

なんでもあるなぁ、いらすとや

野球という言葉を最初に使ったのは正岡子規です(※この部分は誤りでした、すみません。野球という言葉を最初に翻訳したのは中馬庚(ちゅうま・かのえ)でした。謹んで訂正します。後日の自戒のため消去せず残します。思い込みで書いちゃいかんね)。

baseball-museum.or.jp

脊椎カリエスを病んでからはほぼ寝たきりだったと言われる歌人俳人で、教科書に掲載されている横顔は例外なくラーメンマンに改造されてしまう正岡子規です。打者、走者などおなじみの野球用語も彼が翻訳したと言われています。

 

今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな

 

満塁のワクワク感を的確に詠んだこの歌、まだ「塁」という日本語が発明されていないのか、あえて使ったのか分かりませんが外来語の「ベース」をそのまま伝統文化の世界に持ち込んだ斬新さがあり、天命が許せば明治、大正、昭和の歌壇に新風を巻き起こしたであろうといった話を授業で聞いた覚えがあります。

私の中で正岡子規が具体的な像を結んだのは坂の上の雲です。司馬遼太郎はまるで会ってきたみたいに人物を活写する才能に秀でています。ただ、緊張感漲る日本海海戦中に画面を紙みたいに突き破って「ところで余談だが……」と本人登場のうえ話し始めるのはいかがなものかと思いますけど。

作中に登場する升(のぼる)さんは、中高でイメージしていた病弱な歌人とは異なる姿でした。野球に熱中し、球場に入れなければ木に登って野球観戦する活発な人でした。読みながら、このまま升さんは完全に治るんじゃないかって期待しましたもの。ラストの描写がタッチを想起させる悲しみに満ちたとき、いかに司馬遼太郎と言えど人の生死を操ることはできないのだと思いました。

 

子規の時代から移ろいでも、野球は相変わらず人気のあるスポーツです。関西圏に住んでいると子供たちは必ず最初に縦じまの一味の洗礼を浴びます。

私が初めて野球に興味関心を持ったのは92年、亀新フィーバーとともに阪神タイガースが大躍進を遂げた年です。知将・野村克也の率いるヤクルトスワローズにシーズン終盤に逆転され、まんまと優勝を目の前でかっさらわれる体験をしました。

その年の日本シリーズはヤクルトと西武の死闘、7戦までもつれましたがものすごく面白かったのを覚えています。その1戦目、延長の末に代打・杉浦享のサヨナラ満塁ホームランは鮮烈でした。代打で出てきてホームラン打っちゃうって、なんてカッコいいんだろうと。……まさかその後野村さんが阪神の監督をやってくれることになろうとは当時思いもしませんでしたが。

ところでご存じですか亀新フィーバー。今や見る影もない亀山努の引き締まった体とプレー、初めて見た背番号00のインパクト。そして高卒から中長距離打者として台頭した新庄剛志のヴィヴィッドな躍動感。岡田彰布真弓明信のダブルあきのぶが現役終盤を迎えた時期で、黄金時代を知る世代とともに、たった1年、92年の輝かしい実績を残した以外、暗黒時代を経験しつづけてきましたが、数年後に私の関心は近鉄バファローズに移りました。

 

やはり、ホームランは野球の華です。私はわかりやすい長距離打者が大好きです。鮮やかな守備とか、流し打ちとか、そういう渋さに美しさを見出した時期もありましたが、一撃で試合をひっくり返す面白さを暗黒時代の阪神に期待するのは些か以上に酷です。当時の近鉄にはそんな夢を見せてくれるスラッガータフィ・ローズがいました。

ローズの何がカッコいいかって、コンスタントにホームランが打てること以上に、日本の野球に順応して進化していることです。チームとして最後の優勝を決めた2001年の55本は日本球界の誇り・王貞治の記録であると同時に、かつて神様と言われたランディ・バースが並ぶことすら許されず、アレックス・カブレラもその先へ進めなかった記録でした。

あれ以降のあからさまな敬遠ラッシュはプロ選手の根性とプライドを大いに疑ったもので、そんなことして王さんが喜ぶ、名誉が守られると本気で思ってるのか、いつの時代の話だよと思ってました。その後意識改革が進んだのか、ウラディミール・バレンティンにあっさり抜かれ、昨年村上宗隆が56号を打った時の日本メディアのはしゃぎっぷりから垣間見える島国根性は実にみっともなかったです。

ローズは長く日本にとどまり、しばらく巨人で活躍の末、近鉄球団を吸収合併したオリに帰ってきました。キャリア終盤の3か年在籍して本塁打100本以上打つんですよ。外国人最多のNPB通算464本、まさに史上最強のスラッガーでした。

 

……ところで近鉄球団がオリに吸収合併される2004年、ローズがオリに復帰する少し前ですが、オリはチーム名をブルーウェーブからバファローズに切り替え、本拠地も大阪ドーム(現在の京セラドーム大阪)とグリーンスタジアム神戸(現在のほっともっとフィールド)のダブルフランチャイズ制を採用。これによってパリーグは5球団となり、試合日程が変則的になることから、経営状態のよくないパリーグの1球団をさらに減らしてセリーグとの合併、10球団による1リーグ制なんて話がありました。青天の霹靂もいいところです。

プロ野球選手会古田敦也礒部公一は真っ向から反対を唱えました。個人事業主とはいえ、所属球団が少なくなればプロ野球選手の働き口が少なくなるわけですから当然ですわね。

そこへ球団新設に名乗りを上げたのが、あのライブドア堀江貴文です。彼の品性はともかくカネだけはありましたから、日本野球機構NPB)への実質的参入障壁として機能していた60億円だか30億円だかのリーグ加盟料なんて屁のツッパリにもなりません。護送船団方式でぬくぬくやってきた他球団のオーナー達は「とんでもねぇ野郎がやってくるぞ」な感じで相当慌てたことでしょう。

私は全くそうは思いませんけど、世の中の人がそういうのでプロ野球界の盟主たる読売巨人軍渡辺恒雄オーナーの意向が働いたかなんだかで堀江は蚊帳の外に放り出され、代わりに迎え入れられたのが三木谷浩史です。皆さんご存じの東北楽天ゴールデンイーグルスですね。

この時行われた「分配ドラフト」という近鉄球団の解体作業を経て、礒部をはじめ、岩隈久志など名だたる近鉄戦士が仙台へ流れ、しかし球団名がバファローズとなったオリにも近鉄戦士が合流し、チームが文字通り分裂してしまった近鉄ファンとしてどちらを推すのか正解なのか、対応が分かれました。私は大阪ドームに当時の家が近いこともあってそのままオリの応援に回りましたが、同業他社の同期は(もともとどこのファンだったかは良く知りませんけど)新球団の楽天ファンになりました。

なんというんですかね、球団を応援する気持ちは地元愛から来るんじゃないかと私は思ってて、かつて大阪にあった南海ホークスも今や福岡の、東京ドームを巨人と共用していた日本ハムも北海道の、川崎球場で細々やっていたロッテもすっかり千葉の球団になりましたから、楽天も球団創設からぼちぼち20年、ファンの間で当時の記憶が薄れゆくのと並行して、仙台、ひいては東北の球団に既になったと思うんです。そこにはもう、近鉄の面影も何もないわけで。スラッガーびいきの私はこの騒動から先、推しの球団が消えた悲しみのあまりしばらく野球から遠ざかっていたんですが、ローズがオリに入団した時点で心はオリに戻ってきました。ただ、あんな悲しい出来事は二度と起きてほしくないなと思います。

 

こうしてパリーグ球団消滅危機は回避され、ベンチャー・IT業界から声がかからなければ今のプロ野球はなかったわけです。気が付けばダイエーソフトバンクに、阪神は球団名はそのままで阪急阪神にオーナーが切り替わり、盤石と思われた業界にも容赦ない再編の嵐が吹き荒れるのですが、それやり出すと1万字超えちゃうので機会を改めます。

 

……話を戻して、ローズがいなくなってからのオリは暗黒時代です。近鉄最後の優勝で漫画みたいな長い名前のホームランを打った北川博敏はクリーンアップを任されながらもローズほどの飛距離はなく、当時ちょっと期待していた下山真二も伸び悩み、徐々にオリックスからもフェードアウトしかかっていた頃、後藤光尊のレプリカユニホームを着て、当時の彼女を連れて、夜のことしか考えてなかった頃に颯爽と現れたのが岡田貴弘(現在のT-岡田)です。そのひどい彼女との野球話はこちらに書いてました。

working-report2.hatenablog.com

球場で初めて岡田のホームランを見た時は耳を疑いました。聞いたことのない打撃音がするんですよ。バチーン!て、ちょうど今の佐藤輝明みたいな。ああいうのを体験すると新たなスラッガーの誕生を期待しちゃいますよね。その後の岡田の成績が示すとおり、本塁打王は22歳で取った1回だけで、以後は研究が進んでしまったのか、期待する場面でほとんど打てなくなってしまいました。サトテルはどうかな……年々期待値が私の中で下がってるんよな……。

 

現在のオリで私の一推しはラオウ、杉本裕太郎です。確実性は低くても本塁打か三振みたいなわかりやすさがとてもいいです。杉本は入団以来長いこと才能が開花せず、2年前から突如コンタクト能力が覚醒、アベレージも打てる遅咲きのスラッガーとして開花しました。最近は打率がイマイチですけど、やはり華があります。こないだ阪神の湯浅京己から打った9回逆転のホームランは4万人余りいただろう甲子園の阪神ファンの歓声を一撃で悲鳴に変えました。さすが世紀末覇者

 

これよこれ。こういうのが見たいのよ私は。打った瞬間に確信したラオウと、がっくり膝をつく湯浅。浜風があるとはいえ、レフトスタンドの中段まで持って行った日本人選手で他に覚えがあるのは城島健司くらいかな、それもダイエーにいた頃の。

現在と、野球を見始めた当時を比べると、当時は現地に行くかテレビでしか見られなかったのが、今では少しお金を払えば中継配信が簡単に見られる、しかも関西圏の阪神偏向気味の中継ではなく、パリーグの試合を安定的にリアルタイムで見られるようになったのは本当に大きな進化だと思います。毎月500円、年間5,000円にも満たない金額でパリーグ全試合見放題ですよ。選手のプレーを見る機会、露出の機会が増えればモチベーションにもつながるでしょう。いい時代になった、いい時代に生まれたと思います。

野球の始祖に始まり、球団消滅騒動を経て最近の推しに至るまで、私のプロ野球遍歴についてざっくりと語りました。今後も思い出すたびなにか書くかもしれません。

 

……話題に統一性がなく、思い出話が多いのはたぶん加齢の影響もあるでしょう。すでにひん曲がってますけど、世の中に対して斜に構えて悪口言うのがカッコいいみたいな、感じの悪い年寄りにはなりたくないなぁと思います。