working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

あの歌劇団のこと

皆様こんにちは。皆様の学生時代っていつのことですか。

……年齢的な嫌味を言いたいのではなく、「学生時代」と聞いて思い出すのはいつですかって意味です。私は大学ですね。なぜって、就職活動までの3年あまりの間、不安がなかったからです。

高校まではもう受験が不安で不安で、趣味も何もないまま毎日アホみたいに勉強して、案の定大人になったらアホになりました。ぷいきゅあがんばえ~。

そんな私の人生に辛うじて咲く一輪の知性の花が卒業論文です。あれを書く時だけは、それまでの詰め込んだだけの勉強とは異なる、自分で興味を持ったテーマを深堀りする面白さ?探求心のめばえ?のようなものを感じました。

 

で、何書いたかって宝塚歌劇団です。

レビューすら現地で見たことない

 

箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)創業者の小林一三は北浜の三越百貨店で見た少女歌唱隊から着想を得て、当時クソ田舎、今もクソ田舎ですけど宝塚新温泉という温浴施設の浴槽にフタをして舞台を作り、女子だけの演劇を始めたのが現在の宝塚歌劇です。

その初演は桃太郎を題材にした「ドンブラコ」。可愛らしいお芝居を想像しちゃいますよね。宝塚歌劇100周年の復活演目にもなってました。ネットに写真落ちてるので見ましたけどマジカッコいいですね。

設立当初は物珍しさで、そして現在はショーとしての華やかさでお客さんの耳目を集め続ける宝塚歌劇は、阪急阪神ホールディングスのエンターテインメント事業の中核をなす存在です。タイガース?あれは阪神由来成分なので阪急が看板にすることはありません。阪急は優勝日本一セールもやらんかったし。

宝塚歌劇は阪急ブランドイメージを表すポジティブな語感のあれやこれやをも同時に背負っています。宝塚音楽学校の校訓にもなっている「清く 正しく 美しく」ですね。ブランドそのものと言っていいかもしれません。

president.jp

この記事は宝塚歌劇に言及してはいませんが、鉄道施設全般に見られる美意識がどこから来るのかという意味でブランドイメージと密接に一体化していると私は思います。関西における阪急は特別な存在なのです。

 

毎年たった40名しか入学できない宝塚音楽学校は中学卒業から18歳まで年齢差がある中で2年間、同期として芸術や作法を学び、自身を律し、舞台に立てるまでに鍛えられます。そして年齢ではなく何期であるかの序列が明確に定められており、上級生の指示は絶対で、やり遂げなければならないものです。代々そうやって芸事の極意を受け継ぎ、100年以上も続いてきたわけです。

卒論執筆にあたっては色々な文献を渉猟しました。宝塚音楽学校については外面的なルールと、芸事を学ぶことの厳しさみたいな話はたくさんあるんです。ユリイカのような芸術雑誌で、団員、元団員の女優さんが思い出を語ってたり、卒業後のゴシップだったり本当に色々です。

ただ、私達にはうかがい知れない実際のところ、厳しさとは具体的にどういうことなのか、単に指導が厳しい以上の何かがあるのか、センシティブな情報は慎重に秘匿されてました。まさに女の園

 

私は小林一三に少女歌劇に対する強力な思い入れはなかった、観客が呼べる、電車に乗ってくれる事業モデルに必要な目的地として機能する以上のことは求めていなかった、現在の宝塚歌劇は人気が過熱し過ぎて、もはや電車が脇役に下がるくらいの事業ウェートの逆転がどこかの時点で起きた、それが榛名由梨さんがオスカルを演じたベルサイユのばらであり、二次元コンテンツとの共存共栄が宝塚歌劇を日本独特の一大エンタテインメントへ押し上げたと卒論を結びました。それっぽいっしょ?知性感じるっしょ?ほめてほめて!

なので、小林以後、歴代理事長を務めた経営者たちは、音楽学校卒業後、あるいは入団後の彼女たちがどんな暮らしぶりをしているか、その絶大な人気とブランドイメージに比して認識が浅いというか、鉄の掟となっている上下関係によって維持されてきた何事かの実態をどこまで把握していたかというと、皆無だろうと思うんです。

女子同士の揉め事にどこまで介入できてたかなんて、いい歳こいたおっさんたちに年頃の女子たちの心の機微なんてわかりっこないじゃないですか。しかも普通の女子じゃないんですよ、芝居、演劇を通じて芸能人になろうとしている子たちなんですよ。そんなの舞台芸術の専門家に丸投げしたいに決まってるじゃないですか。

その結果、団員たちの良心によって支えられていた芸事の厳しさは隠匿性だけが高められ、厳しさの中身、実態がどのようであるかについて、阪急の関係者には分からなくなっていた、と考えるのが自然だろうと思うんです。ありがちなことです。その世界に身を置かない私たちには想像もつかない厳しさがある、でもそれはどんなの?って誰も知らない。

えてして、閉鎖的な組織における規律や掟の類は、その時々の運用者によって都合よく捻じ曲げられてしまうことがあります。これを防ぐには内外のいずれでも構いません、正しく運用されているかを監視する目が必要です。

 

経営陣として「知らなかった」では済まされないこと、現役団員が自殺したとみられることが今回起きてしまったわけで、記者会見とその後の経営陣の動きを見ていますが、企業グループとしてここまでヘタを打つものかと悲しくなってます。

調査報告書はお抱えの法律事務所に所属する弁護士がやりました。宙組団員4人はヒアリングを拒絶しました。理由は伏せます。ヘアアイロンの火傷は日常茶飯事です。ご遺族の主張には証拠を示していただきたいと応じました。世論に押される形で再調査をすることになりました。気がついたら理事長の角会長がおやめになります。

なんじゃそらですよ。次の理事長、証拠云々とぶち上げたあの人は広報レクとか受けてないんだろうか。企業グループとして発生事実に対する適切な謝罪と情報提供を効果的に行うこと、その後の憶測に基づいたデマや誹謗中傷の発生を未然に防ぐことがミッションだったあの場であんな態度を取るなんて、ちょっと私には信じられません。プライドが邪魔をしたのかなんなのか、会見として0点です。

そして何より私が心配しているのは、難関をくぐり抜けて宝塚音楽学校に籍を置いている生徒たちに極度の不安を与えてしまったことです。人一人が死ぬほどのプレッシャー、ハラスメント的な何かがあったかも知れない、そして因果関係は限りなく黒に近いグレー状態ながら、本当に命が絶たれてしまったことが明らかになった以上、安心して芸事に打ち込める環境ではなくなってしまいました。それはめちゃくちゃ、かわいそうなことです。

 

大袈裟な表現ではなく、外部から見えていること以上に、宝塚歌劇団は今、内部から崩壊しかねないほどの矛盾を抱えて、存亡の危機を迎えています。人の命とどう向き合うか、迂闊にも記者会見で本音が垣間見えたせいで、ブランドと信頼の根幹が揺らぐ事態になっています。

本来、100年以上も続いてきた組織には自己修正能力があるはずです。さもないと歴史のどこかで間違いなく淘汰されます。今、それが試されています。