working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

何回目の消失

皆様こんにちは。日曜、飲み仲間のリクエストで涼宮ハルヒの消失をおうち上映しました。

オタクは外装フィルムを捨てない

私は20回目くらいの鑑賞でしたが、相変わらず凄い映画でした。オープニングのクレジットでもう泣いてました。

飲み仲間からは、なぜ私の家に長門ソロのジグソーパズルが飾ってあるのかよくわかったとの感想をいただきました。だって長門可愛いもの。

こんなシーンないけどな

working-report2.hatenablog.com

機会をとらえては書いている消失の思い出は、どれだけ字数を費やしても語り尽くせません。劇場へ見に行って15年、あの事件から4年経ちました。色々な意味で忘れられない作品であり、何ひとつとして過去になっていません。

 

上記リンク記事の中で私は、恋をしたことがない女の子が、気づいたら失恋していた、悲しい映画だ、みたいなことを書きました。

その認識は今でも変わっていませんが、あの事件後初の鑑賞となった今回、日常とはとても得難く、奇跡の連続で成り立っていて、盤石ではあり得ない、とても危うく脆いものだという気づきを得ました。

キョンは普段あれだけブーブー文句垂れてたのに、長門の誤作動という命がけの告白を振り切って、元の世界に回帰することを強く願いました。ハルヒに会いたかったなんて、テレビシリーズでどの口がいうものか。

取り戻すまでの道のりは一見とても険しいようで、あれだけの大改変を成し遂げた後でもちゃんと解決の道筋を残し、当該次元の自らが敵となりながらも、そしてキョンの天敵・朝倉涼子を再出現させながらも(あのシーンマジで怖い)、世界の命運と、1人の少女の狂おしい恋心に対する選択権をキョンに委ねた長門を、一体誰が嫌いになれましょうやい。

 

その意図を正しく受け止めて元の世界を選んだキョンは、消失事件の前後で何か変わったでしょうか。

事件前の古泉くんは長門ですら変化していると言い切りました。その通り、野球では負けたくないあまりギャグ漫画並みの仕込みバットを作り、射手座の日では負けたくないあまりデスラー総統の不正を是正し、無限に続く8月では負けたくないあまり誰にも助けを求めない。

挙句の果てに図書館で貸出カードを作ってあげる男の子と女の子のペアを見て微笑みを隠す革命的な変化として現れたわけですけれども、意外と長門は頑固な女の子かもしれない。

キョンは表には出さないでしょうけれど、ああ見えて16歳の男子高校生ですから、40過ぎの私なんぞより遥かに多く感じるものがあったでしょう。でもそれは作品中、一度も言語表現されませんでした。キョンは素直じゃないから。

そういう、言葉にした途端安っぽく、あるいは嘘っぽくなる、極めてハイコンテキストな感情を、直接的な言葉によらず情景と仕草だけで描き切ったのがこの映画の凄さなのだと思います。言語を基礎とする小説原作からここまで表現しえたのは京アニの創造力の極致です。

朝起きてこんな美少女になってたらどうしよう

解説書の字ちっさすぎんよ……と思ったら劇場パンフレットの縮刷版でした。今のところ、これを上回る映画を私は知りません。そのお仕事に最大限の敬意を捧げます。