working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

平家物語を見終えて

皆様こんにちは。今年初めに放送されていた平家物語を見終わりました。あおちゃんの吟詠は鬼気迫るものがありました。見届けたびわは両目の光を失ったようでしたが、こんな気の毒なことありますかね。建礼門院びわの不遇を知ってか知らずか後白河院と穏やかにしゃべってるし。最後のシーンで建礼門院が色の異なる五弦を手繰り寄せる動きは、救えたやも知れぬ人々に見立て、平家の栄華がフラッシュバックしたのでしょうか。生き地獄のカンダタやないか。物語の伴走者としてのびわは本来物語に登場しない架空の人物で、あの画面に存在して登場人物と触れ合っていたけれども、終結に至って存在しない誰かになったような、後の琵琶法師の一人になったような印象を残しました。エンディングの色が抜け落ちたびわは美しかったな。

合間のCMでは、銀座でママの髪をつかんでわろてる写真が流出しちゃった歌舞伎役者が孫悟空に栄養剤を勧めてました。まさしく盛者必衰の理をあらはす。復帰の演目は平家物語で決まりですね。彼は、示談なんて目撃者が多数いたら何の意味もないことを教えてくれました。刑事訴追は免れても社会的制裁はしっかり下るのです。その制裁に加担してる無関係な人間はくそくらえと思いますけど。平家物語のプロローグは美文であり金言であることを改めて実感します。おごれる人も久しからず。

 

平家物語に原作と称されるものが実在するのかは存じません。信濃前司行長(これは信濃の前の国司で、行長という名前でしたぐらいの意味かな)が書いたらしい程度の事は知ってますが、真偽定かではありません。

私が初めて平家物語のストーリーに触れたのは手塚治虫火の鳥・乱世編でした。飯森山の弁太は、平家に連れ去られた幼なじみの少女おぶうを追って都入りし、五条の橋で武士と見るや襲いかかる狂人になり果てていたところにイケメンの源義経(いつ、どの時代でも義経の描かれ方はこうなんだな)が現れ……以後はぜひ原著に当たってください。あんなに悲しい話はない。小学生の頃、親父がどこで手に入れたのかギリシャ・ローマ編とシュマリを除く豪華装丁版を買ってきて、勉強ほったらかしで毎晩読みふけってました。おかげで小6にして宿題忘れ王の称号を授かったほどです。その後衝撃を受けたのは扇の的。ひゃうふっのオノマトペ考えた人は天才です。見てないのにどうなったか分かる。

手塚以来、源氏の肩を持つ史観に傾いておりましたが、思春期に差し掛かり、鎌倉幕府の成立以降の血生臭い展開を経て北条執権政治および宮将軍、摂家将軍に至るプロセスを学んで以来そうではないのではないかと思い始め、大河ドラマ義経を見て改めて源氏寄りに矯正され、今回のアニメでとうとう完全に平家びいきになりました。平家方に光を当てた内容を通しで見たのは松山ケンイチ主演の大河ドラマ以来でしたが、井浦新の出番は少ないのに強烈な印象を残した崇徳上皇と、意外と上手だった森田剛平時忠阿部寛によるイメージ通りの平知盛以外はほとんど忘れました。散々な言われようでしたけど、鎌倉殿に比べたら全然見られました。というか三谷幸喜古畑任三郎以外全部無理だった。

アニメを見るにあたってはキャラクターデザインが入って来るかどうか、違和感を最小に抑えられるかにかかっていると思います。私は最初こそ抵抗がありましたが、だんだん目が慣れてきました。

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