working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

最近の仕事観に対する違和感について

皆様こんにちは。年に1回、以前いた特殊任務系部署のメンバーで飲み会を開いています。今年45歳の私が最年少なので毎回幹事をやるのですが、部署設置以後、会場に困った覚えがありません。北新地、梅田、福島、天満、京橋……大阪市内、ミナミ以外の盛り場はだいたい回ってきました。鶴橋?あそこは高い。

 

当時の上司からは色々なことを教えてもらい、考え方の違いから激しく衝突したこともありましたが、結果的に今日まで関係は続いています。腹割って話せる数少ない上司で、先ごろ定年退職されてからもその知見を活かしてお仕事をされています。

その上司が、広報誌の仕事に対してめちゃくちゃに怒ったことがあったのは今でも忘れられません。その言い分はこうです。

 

「昭和レトロとか分かったようなこと抜かしよるくせに、昔のもんちゅうたら、なんでも茶色く汚しよる。センスが死んどる。究極の思考停止や。古いもんは汚いっちゅう思い込みやないか。お前らそれでもデザイナーか。

なんやほんだら、色鮮やかなもんでも汚くしたらレトロなんか?

江戸時代のもんは茶色いんか?

金蒔絵の硯箱は茶色いんか?

室町時代の庭は茶色いんか?

平安時代の着物は茶色いんか?

それより遥かに新しい明治、大正のもんはなんで茶色いんや?

おかしいと思わんのか?俺の話聞く気ないんやったら相談してくんな、おまんらの好きにやりさらせ、知ったこっちゃないわ、さっさと去ね、二度と顔出すな」

 

そんなに気性の激しい人だったとは思わなかったので、のけぞるくらい驚いたのと同時に、怒り心頭に発するとはこのことか……相手の女性2人にここまで言い放つなんてパワハラとか言われへんかな……と思う一方で、一般のお客さん向け広報誌がどういう役割を担っているのかを考えると、社会通念として広まっている「レトロ」とは基本的に古ぼけたもの、色あせたものというイメージがあります。

よく言えば調和、悪く言えば大衆に迎合したデザインになったことにも一定の理解はできますし、デザインに対して責任を負っているのは宣伝担当であり、お客さんからの声を直接聞くのも彼らの仕事なので、社会通念に照らして馴染まないことへの挑戦は避けたかったのでしょう。

上司がバックカラーに白を指定したら、紙の地色が露出した不自然な白を用意し、「白には色があるやろ」(この指摘が一番重要だったと思う)と上司が注文したことに対して、これ見よがしに茶色く塗ってきました。そら怒るわな。

デザインってむずかしいよね

私はデザインにあまり詳しくないので、この議論を上司の隣で座って聞いているだけでしたが、上司の白指定に対する回答があまりにもおざなりで、工夫とかよくしようとかやってみようとか、そういう発想はないんだろうかとは思いましたし、会議テーブルに上司の怒気が満ち満ちて、私が口を差し挟めるような空気でもなかったです。

 

特殊任務に関わる我々の知見だけをつまみ食いして、仮にも広報宣伝業務を経験した上司の言い分に聞く耳を持たない、デザインに一切譲歩しない宣伝担当の姿勢には、文字通りのステレオタイプ固定観念に囚われた硬直性を感じましたし、特に古地図に対する偏見が強く表れた仕事になってしまったな、と今でも後悔しています。

そういう誤った、とまでは言わないものの、人口に膾炙したレトロデザインに我々が同意したかのように見せかけるのは甚だ遺憾であり、特殊任務≒アカデミズムの領域に踏み込んだ特集記事を作るなら、デザインに関してもこちらのハンドリングを一定程度受け入れるのが筋ではないのか?と。

しかし彼らはそうしなかった。あくまで会社としての歴史的見解だけを拾い上げ、それを彼らのデザインに乗せた。これに強く反発した上司を、まるで鼻つまみ者のように扱うのは失礼を通し越して愚弄であると思います。

 

上司はそういう仕事のやり方に反吐が出るほど胸糞悪い思いに至ったのです。この感覚はとてもよく分かります。料理を作ったのはこちらなのに、皿だけ用意した彼らの手柄になるからです。

 

残念なことに、会社ではこういう仕事の仕方をする人間が増えました。人の功績を自分のもののように誇示する文化が蔓延ってしまいました。世の中的にはどうなんですかね。同じ制度を取り入れてるところがほとんどでしょうから、同じような問題が起きてるんじゃないですかね。

目標面接、キャリアパス、スキル、資格取得、いろいろなツールや言葉で着飾って従業員の能力を可視化しようとするのは結構ですが、結局それらの自己実現には周囲の助力があってこそ、という視点が完全に抜け落ちています。

人事部門の高邁な理想とかけ離れて、あたかも中心にいる個人が主となって全てを取りまとめたかのような書きぶりで目標達成報告を行うことには大変な違和感があります。呼び名を変えた労働力搾取であり、働く人の動機を失わせるものだと私は思います。

誰かの仕事を我がことのように扱うことと、オーガナイザーとして周囲の協力を取り付けて仕事を進めることは全く別です。その違いが目標面接というフィルタを通すと分からなくなります。これに美風を見出す会社は、この先長くありません。人が辞めていくことには複合的な要因があるとは思いますが、こういう事が続くと社風が淀みます。

 

そんな上司を含む酒飲みメンバーと1年ぶりの宴会、どこにするかな。こんなこと思い出しましたよって話でもするかな。