working-report 2回戦

ゲーム脳はゲーム脳のままで熱を失うだけ

おすすめはきつね

皆様こんにちは。私が小学生の頃は今日ぐらいから宿題の残りがどれくらいか見積もって、あぁ僕は有能だから明日になっても全然大丈夫だよ、うん、ぜんぜんだいじょうぶー言いながら冷や汗かいてました。今更どうしようもない自由工作の課題を市販の木組みの貯金箱で済ませ、読書感想文もほぼ飛ばし読みで適当に書き流し、その他の宿題は合っているかどうか関係なく適当に記号や文章を埋める不毛な1日。

私の地元では宿題の提出はするんですけど、その後返却されて、マル付けは授業時間中に先生の説明を聞きながら自分で添削するので、間違っていようとなんだろうと怒られたりしないんです。それが分かっていたから許された究極の手抜きですね。先生方も全員のマル付けをしていると手間なので、ちゃんと回答しているか程度の確認で済ませていたんでしょう。だって夏休みだもの。

 

完全週休2日制が導入されて以降、大阪府内の公立小中学校の2学期始業式って、先週月曜(21日)だったんですね。なんて余裕のないことでしょう。これじゃあエンドレスエイトの何が面白いのか理解できないじゃないですか。

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……まぁ、こんなだから最終的にスパルタ塾に押し込められて知性と性根を叩き直されることになるのですが(親元から引き離して永平寺で修業させる案もあったのですが泣いて謝って固辞しました)、社会に出て分かったのは、結局どれだけややこしい問題から逃げるか、いかに自分は努力しているかのように見せるか、その一方でどうやって上役の点数を稼ぐかみたいな、小手先の技術も知性と同様に必要なことです。

真面目に物事にぶち当たってうまくいけば御の字ですが、いくら粉骨砕身しても成果が上がらなければ誰も評価しません。世の中には「無理ゲー」と言われるクソみたいな仕事が割とごろごろ転がってます。たとえばこんなの。

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努力して上手くいく仕事ならやりがいもありますし、ちゃんとやろう、そのために必要なスキルや知識も習得しようって気にもなるでしょう。でもね、官公庁でも一般企業でも、必ずしも人の成長とか評価の向上とかを前提にした優しい世界にはなってないんですよね……どこまでもミッションの遂行が第一目標です。

ある意味異世界ですけど、全然人に優しくないし面白くもないことがほとんどです。敵を倒せば経験値がもらえてレベルアップ!みたいには作られていない、つまり、ミッションを達成しても成長につながるものが何も残らないことがある。

この仕事をやり遂げたら、俺、会社で偉くなるんだ……は死亡フラグです。上司が会社の目指すべき方向性を見誤ると、そこで与えられた仕事をどんなに一生懸命やったところで、むしろマイナスの評点がついてしまうのです。

万が一そういう職場に当たってしまったら、どんなに狡いと言われようと、どんなに馬鹿にされようと、ひたすら逃げるのです。真面目に向き合ってはいけない。自分より知性も狡賢さも上回る上司は手練手管を使って説得しに来るかもしれませんが、本当に信頼している人間以外の言うことを聞いてはいけない。そういうことが、あるのです。すべては自らの心と体を守るためです。これがやられてしまうと、生きていけない。

 

学校では真面目一辺倒で努力とか精進とかの重要性を説くんですけど、先生方は教育現場以外の社会を見ていないので話半分程度に聞いておくのが一番です。社会では努力と真面目が取り柄です!だけではどうにもなりません。

何よりも大事なことは、自分の身を守るために狡賢くあることです。頭がよくないと狡賢くなれませんから、勉強はもちろん大切です。場合によっては学校に行かないことも選択肢たり得ますが、学校で習うことだけに限らず勉強は続けてください。モノを知らない人間が狡賢く振舞おうとしても、それはバカ野郎がかしこぶってるだけなのがすぐバレてしまうので、誰からも信頼されなくなります。ゆたぼんはもう手遅れ。人間ああなっちゃおしまいだ。

 

子供のころに読んだ童話や寓話の中の狐も狸も狼も兎も猿も犬も、最後は大きくしくじったりとんでもない目に遭ったりしますけど、真に狡賢い人が増えたら社会が踏み台として欲する羊のような無抵抗のスケープゴートがいなくなってしまうから、狡賢い人間になってはいけませんよ、真面目に、真摯に努力だけを積み重ねて立派な人間になるのですよと説くのです。

どんなに平和に見える社会でも、一定量の血と歯車を欲するのです。怖いですね。ぼっちちゃんが社会に出たくないのも頷けます。そういうものが少しでも垣間見えたらすぐ逃げましょう。逃げた後にもっと賢くなりましょう。

ぼくはきつねがいいな

私達に必要な努力とは、社会の理不尽に耐えることではなく、より賢くあろうとする努力です。ここを勘違いしたままだと死ぬまで血を搾り取られます。

読者様に現役小中学生はいないと思いますが、今もあの頃も、夏休み明けに一皮むけたクラスメイト達は何かに気づいたのかもしれませんね。私もそうありたかった。